第3話 魔法なんてどうでもいい

「王国軍に、戻ってくる気はありませんか?」


 一言一句違わず、ネーヴェはそう告げた。

 ほとんど私の予想通りだったから、驚くこともなかったけれど。


「そういうことだろうなとは思ったよ」


「……でしょうね」


「それで、私を呼び戻したい理由は?」


 スープを口に運んで、真剣な眼差しのネーヴェに訊ね返す。

 するとネーヴェは、ほんの少しためらいを見せてから、


 

ためです。奴らから、魔法を」


 

 そんな突飛なことを、私に言った。

 正直、さっきよりも衝撃が大きかった。


「取り戻すって……だいいち王国は今、奴らとは休戦中だったはずでしょ?」


 奴らと――「魔族」と再び敵対するという意味の彼の言葉に、私は引っ掛かりを覚えた。


 ネーヴェの言う通りなら五年前、「退魔戦争」で敵対していた魔族たちの策略――今では〈大魔法消滅マジック・バン〉と呼ばれる現象――によって私たち人類は魔法を奪われたんだ。魔法を操ることに主眼を置いていた私たち魔法使いはもちろん、治療や防御などの面で王国全体が多大な損害を受けた。


 それからまもなく、ことの重大さに気づいた国王が魔族側に停戦を申し出たのは、今では彼の美談の一つとして有名な話だ。魔族たちのトップである「魔王」も大人しく停戦協定を結んでくれたおかげで、今の仮初の平和がある。


 だからこそ、ネーヴェのある意味好戦的な発言は、異常に思えた。

 

「……休戦状態であるというのは、その通りです。しかし今現在、魔族たちも水面下で動いている。もしまた『退魔戦争』が勃発すれば、魔法を失った我々は今度こそ滅ぼされます」


 たしかに、魔法なしの王国軍と魔術を操る魔王軍では、単純な戦力だけで見ても差がありすぎる。この平和が破られればきっと、この国に未来はない。


「……そうならないために、魔法隊を再建したいってこと?」


 ネーヴェは首肯して、その口調に熱を込める。


「――魔法の復活には、〈大魔法消滅マジック・バン〉発生時の生存者であり、元大魔法使いのユスティア様の協力が不可欠なんです。ですからどうか、我々に力を貸してください! お願いします!!」

 

 切実な口調で言い切って、ネーヴェは立ち上がって頭まで下げた。

 国からの命令とはいえ、この子もずいぶんと「大人」になったものだ。この成長を喜ぶべきなのかは、疑問が残るけれど。


(力を貸す、か……)


 五年ぶりに再会した、一番弟子からの頼み。

 普通なら、聞いてやらない道理はない。


 けど、今は――



「ごめん、ネーヴェ。協力はできない」



 これが、今の私の本音だった。


「なっ、どうしてですか……!?」

 

「今の私じゃ、王国軍の役には立てないからね。魔法の使えない私が戦力にはならないのは知ってるでしょ。それに、〈大魔法消滅マジック・バン〉のことについては、五年前に私自身で調べ尽くして挫折した。今の私には、もう何も期待しないほうがいい」


「っ、ですが……王都には俺含め、魔法の復活を望む元魔法使いたちが残っているんです! 元大陸最強の大魔法使いであるユスティア様が彼らの前に立って導いていけば、いつかは――」


「どうでもいいよ」


「……え?」


 ネーヴェが虚をつかれたような顔をしている。

 滑らかに出てきた私の本音に、私自身も驚いた。


 けれど、それで踏ん切りがついてしまった。



 

「魔法なんて、もうどうでもいいんだよ。私は」


 


 本当はこんなこと、言いたくなかった。

 言ったって、虚しくなるだけだと思ったから。


 実際、今もそうだった。


「そんな……でも師匠は、魔法の研究を生き甲斐にしていたほどの大魔法使いで――」


「五年も前の話でしょ、それは。今は魔導書も全部焼き払ったよ」


「――っ、嘘だ!! あなたがそんなことするはずが……っ!!」

 

「嘘じゃない。全部本当のことだよ、ネーヴェ。君には、私の気持ちはわからないだろうけど」


 瞳を揺らして、ネーヴェは私を責めるような目で見る。

 私だって、この子にこんなことは言いたくなかった。師匠のこんな台詞を聞いてネーヴェが悲しむのは、はじめから火を見るより明らかだ。


 けど、この子相手に虚勢を張るのはもっと嫌だった。


「私は、王都に戻るつもりはない。君たち元魔法使いに手を貸すつもりもない。この場所で穏やかに生き続けて、誰にも知られずに死ぬ。それが私の夢だから」


 私の中の確固とした意思が、そんな言葉を紡いでいた。

 この意思が揺らぐことは、きっとない。

 

 ただ、許される限り私は、この場所で余生を……スローライフを過ごしていたい。魔法への未練も、戦争での悪夢も感じぬまま、自堕落に現実から逃避していたい。


 これが今、最低に成り下がった私の、最低な願いだ。


「ごめんね、ネーヴェ。君に謝って許されるのかは知らないけど、とにかくこれが私の答えだから。伝えておいてくれる?」


 うつむいてしまったネーヴェに、なるべく淡白にならないように語りかけた。久々に自分の師に会って早々にこんなことを言われて帰るなんて、この子も可哀想だ。


 罪悪感と老婆心を押し殺し、私はスープを飲み干して席を立つ。

 するとネーヴェは静かに口を開き、


「わかりました……けど、俺はまだ帰りません」


「……え?」


「こうなるだろうなと思って、俺、んです」

 

 顔を上げた彼は爽やかに、それでいて悪戯っぽく笑った。

 

 待てよ、この子、まさか……


 

 

「――俺、師匠が戻るって言うまで帰りませんから!」




「ええ……」


 マジか、この子。



 


 

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