第33話 谷底
クロードは斬られた。
だが、全身を刻まれたわけではない。指先をチクリとやられただけだ。だが、暗黒の武器を持つものにとってはそれだけで用が足りるのだ。
「ぐあああああッ!」
クロードが悲鳴を上げた。
ワンドルがやられたように、その全身が痛みにさいなまれているのだ。
「クロード……!」
「ホッシー殿。そなたはこのエルフの男より聞き分けがよいでしょうな。このような苦しみを甘んじて受けたいでしょうか?」
アダムのもった武器の黒刃が俺の頬にぴたりとつけられた。冷ややかな感触。命を奪う死の感触。
「ちくしょう……」
「さあ、ホッシー殿。お嬢様の元へ向かうでござるよ。あちらも間もなく決着がつくでござろう」
視線を上げれば、雪原の上にビッグスがうつぶせで横たわっているのが見えた。赤く染まった脇腹。そこから漏れ出た血が、真っ白な雪をバラ色に染め上げていた。
スモールズは満足そうにその獲物をながめていた。
「うそだろ……ビッグス」
俺は問いかけた。だれも返事をよこさなかった。
俺には奥の手がある。
飛行のマントの力を使って逃げるのだ。
ここで逃げ延びることができれば、なんとかほかの仲間を助けることができるはずだ。
あいつ――タナトスの力を借りることができたなら。
マジックアイテムのマントの力で、上空に向かって飛び上がろうとした矢先、投げ縄が飛んできて、俺の首をぎゅうっと縛り上げた。喉から空気が奪われ、俺はやむなく着地する。
「くそ……ッ」
ローブのヤツだった。あいつらは俺たちを取り押さえるためにありとあらゆる物を持ってきていたのだ。
「隠し玉をもっておいでとは、ずいぶん我々の手を焼かせますな、ホッシーとやら」
白ローブのリーダー格は捕縛する時、俺の頬に鉄拳を見舞ってきた。したたかに打たれた頬の内側が切れ、口の中に鉄さびの味が広がった。
白ローブの生き残りたちが、ミルズを、ワンドルを、クロードを縛り上げた。俺たちが手に入れたマジックアイテムはすべて没収された。
「お主らも抵抗はしまい?」
アダムが言うと、レイニーとバニヤンは不承不承にうなずいた。
「命には変えられない」
「すまない。ホッシーさん」
「ああ、ここで終わるんだよ。俺の転生生活はよぉ」
ドンクはむせび泣いた。
「ふむ。これはいい。気に入った」
リーダー格は俺から奪ったマントを着込んで、上機嫌な様子で宙に浮いていた。
「兄弟を殺したのかよ」
俺はスモールズに問いかけた。
「お前には血も涙もないのか」
「ダークドワーフとなりしときに、情も涙も消え失せたわ」
スモールズは口元を歪めた。
「さて。それではこやつらを翼竜の背に乗せよ。お嬢様のもとにお運びするのだ」
リーダー格は言った。
「貴様らは
「邪神……!」
「冥土の土産に教えてやろう。お嬢様は邪神ベルゴスを呼び出すためにこの山においでなのだ。召喚の場所は山頂。貴様らはそのための贄だ。それはそうと、ホッシー。貴様がなぜお重宝されているのか分からぬが、貴様だけは絶対に殺してはならぬという命令だった。お嬢様の慈悲に感謝するといい」
「さっきからお嬢様、お嬢様って言ってるけど、そいつは一体誰なんだよ!」
「魔王様の娘よ」
リーダー格は言った。
「何だって……じゃあお前らは魔王軍の……」
「そう。魔王軍の残党なり。この魔の山を新たなるヘルラウンドとし、邪神の降臨を進める。精霊の加護を排したこの魔の山ならその降臨の儀が可能なのだ」
仲間たちはプテラノドンの背中にまるで荷物のように重ねて積まれていった。ドンクは優しくしてくれぇと哀願したが、そんな聞き分けのいいやつらではない。
「さ、ホッシー殿。行きましょう」
剣士が手を出した。もちろん、剣と一体となっていない方の手をだ。
「反対の手がそなたの手を切ってしまわぬうちに。さあ」
剣士がそう言った直後のことだ。
ズシーン。
番狂わせは突然現れる。
全く予期していないときに突然。
ズシーン。
「なんでござるか?」
きょとんとした顔をして剣士が言った。
「な、何だあれは」
リーダー格はマントの力で浮いていたから見えたのだろう、この大きな足音の正体を。
ズシーン。
「があああああ!」
キングモンキーだ。
それも一匹や二匹じゃない。
二十はいる。
すると、あの時すれ違ったキングモンキーの群れか。
「ええい、これだから魔の山は嫌いなのだ!」
リーダー格は叫んだ。
「はやく翼竜を移動させろ。神殿ならば安全だ!」
ドドッ、ドドッ、ドドッ。
「今度はなんだ⁉︎」
モンキーとは正反対の方向から地鳴りが響いてきた。
もちろん、その正体はシールドゲーター。これもまたかなりの数がいる。
怪獣どもは、俺たちのことなど構わずに正面からぶつかり合う。
逃げようとしたプテラノドンの一匹は、キングモンキーに引き裂かれ、その乗組員ともどもその腹の中に収まった。
仲間たちが乗せられたプテラノドンはなんとか逃げ延びたようで安心した。
リーダー格と剣士は、プテラノドンに慌てて飛び乗った。
「はやくホッシーめを捕まえろ」
「わかっているでござる!」
アダムはプテラノドンを低空飛行させ、俺へと接近する。
雪山での怪獣大戦につきものの自然現象がある。
巨大猿と巨大ワニの悲鳴が響き渡るなか、ドドドドと雪の塊が俺たちに向かって迫ってきた。
「無理だッ!」
リーダー格とアダムを乗せたプテラノドンは俺を捕まえる寸前で離脱した。
そこらに生えていたクロマツに俺はしがみついたが、さらにはそのクロマツごと雪崩に押し流されていった。
邪教団の奴らから離され、遠くへと流されていく。
どこまで流されるんだ!
その先は山の切れ目――谷だった。
「嘘だろおおおおお‼︎!」
雪崩の雪と共に、広大な雪原の広がる谷底へと落ちて行った。
「
谷底へと落とされる瞬間、青白い光の衣で全身を包んだ。20メートルもの高さから落下したことのある俺だ。防御を強化すればなんとかなるだろう。
落ちていく。
落ちていく。
真っ青な空の中を、谷底の雪原へと落ちていく。
――ごちん。
何か固いものに後頭部を打ち付けるような感覚があった。
視界が暗点し、俺は意識を失った。
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