第30話 魔の山温泉2

 岩に背中をあずけて、しばらく湯に使っていた。俺は何時間でもつかっていられるタイプで、一緒にいく人をしばらく待たせてしまうので、友達からは敬遠されがちだった。イベント好きの武藤からも風呂の誘いだけは断られ続けた。

 サウナがあれば最高なんだが……などと考えていると元の世界が恋しくなってくる。風呂上がりの牛乳。卓球台。筐体きょうたいの置かれたゲームコーナー。なにもかもみな懐かしい。

 さすがにのぼせそうなので、湯から上がろうとした瞬間、誰かの声が聞こえてきた。それはクロードやミルズたちの声ではなかった。女の声だった。

 ――女!?


「こんなところに温泉が湧いているとはね。よく見つけたわ」

「上空から偵察しているときに見つけたのです。さっそく入りましょう」

 きゃあきゃあとはしゃぐ声が聞こえてくる。

 ちょっとまてウソだろ!?

 俺たちが入ってきた方とは反対側からそいつらが来た。

「ねえ、後ろのボタンはずしてくれない?」

「いいですよ。わたくしの鎧の留め金も外していただいてよろしいでしょうか?」

「もちろん」

 がさがさ。衣擦きぬずれの音がする。女たちは服を脱ぎはじめているようだ。


 ――ちょっと待て、ちょっと待て、ちょっと待て。

 俺は岩陰に身を隠した。

 まさかこんな奥で女性グループと居合わせるとは思いもしないじゃん。

 っていうか、男を惑わす妖怪のたぐいじゃないよな?

 振り返ると女じゃなくて、牙をあんぐり開けた猛獣めいた奴がいるとか。

 ――ザブン!

 水しぶきが跳ね上がった。

 どうやら女の一人が飛び込んできたらしい。俺の顔にも水がザブンとかかった。

「ちょっと、もうガサツなんだから」

 もう一人のほうは慎重に湯に入ってきた。

「ああ。気持ちいい~」

 長くため息をつくのが聞こえる。

「こんな景色を独占できるなんて贅沢ですね」

「ええ。こんなに開放的な気分で湯につかれるなんて最高だわ」

「いい骨休みになれますね」

「んぐっ!?」

 さっき飛んできた湯のしずくが気管に入った。口を開けっ放しにしていたからだ。

「ゲホゲホッ!」

 我慢を試みるが、咳き込んでしまった。


「――えっ!?」

「――誰!?」

 女たちが声を上げた。

「すみません。先に入ってましたっ!」

 こうなったらごまかすほうが不自然だ。俺は正直に声を上げた。

「俺は目をつぶってますから。何も見てないですから。とにかく、このまま風呂出ます。すみません!」

 なんで俺は謝っているんだろう? などと思いつつ謝る。

 こちとら小市民なのだ。面識のない女性と堂々混浴体験をする度胸はない。

「……ホッシーさん?」

「えっ? 誰? 知り合い?」

 俺は目をつぶったまま言った。

「わたくしです……あのー、タナトスです」

「タナトス? まじかよ!? よかった。女かと思って心配したぜ」

 確かにタナトスの声だった。タナトスは男にしては高い声だから、女と間違えてしまったらしい。

「別にこっち見ていいわよ。水着きてるし」

 知らない女の声が言った。

「そ、そうか。用意がいいですね。まあ、そっちがいいなら」

 目を開けると、そこには円筒形の仮面をかぶって湯につかるふたりの人間がいた。

「――なんだこの光景は!」

「はずかし……いえ、素性を隠すために仮面を被らせていただきました」

 肩までつかりながらタナトスは言った。

「徹底しているな。風呂ぐらい外してもいいだろうが」

「私は別に顔を隠す必要はないのだけれど」

 となりの女が言った。

「いいえ、被って下さい。お願いします」

 となりの女も仮面姿。なんとも異様なやつらである。

 俺たちに共通の話題はないので、しばし黙り込んでしまう。気まずい沈黙だ。


「あのー、あなたは彼女さん?」

「友だち」

「あ、そうですか」

 沈黙。

 もう熱くなってきたからさっさと出たいんだけど、声かけられた以上、無視するわけにもいかないしなあ。

「バカバカしい。私は脱ぐわよ」

 となりの女は仮面をぽいっと投げ捨てた。

「ちょっと、エミリーさん!」

 タナトスが叫んだ。

 美少女だった。やわらかそうな亜麻あま色のロングヘアに、メガネ姿。眠そうなまなざしが俺に向けられている。その顔をみてもピンとこなかったが、どこかで会ったような気もする。誰だっけ? エミリー? やっぱり知らない名前だが。

「あんたたちは山頂を目指してるのね」エミリーは言った。「あのバカなプロデューサーにそそのかされて?」

「キング・ザ・ブルのことか。まあバカだよなあの人」

「目指せると思う? だってスキルもないんでしょ、あなたたち全員」

「よくご存知で。まあ……マジックアイテムで補強したし。そういえば、それはタナトスの発案だったな。この場を借りて礼を言わないとな」

 俺は頭を下げた。

「いえいえ、いいんです。それを成し遂げたあなたたちも立派です」

 タナトスは言った。


「ふうん。そうやって陰ながら支えてあげてるってわけね。優しいわ、タナトス」

「も、もうエミリーさん!」

 こいつらの関係がいまいち分からん。一緒に風呂に入るほど仲がいいのに、恋人同士って感じはまったくない。本当に友人同士のようだが、タナトスは威厳もなしにからかわれる一方だ。

「それにしてもタナトスはどうしてここにいるんだ?」

「といいますと?」

「いや、お前の実力ならすでに山頂にいてもおかしくないように思っていたんだよ。なぜか不思議と顔を合わせることが多いなと思って……」

「それは……その……」

 言いよどむタナトス。

「まあ、タナトスはあなたたちを気にかけているっていうことよね。特にホッシー、あなたを」

 エミリーは言った。

「どういうことだ?」

「違います! ライバルがほしいだけなんです!」

「本当にそれだけかしら?」

 サディスティックな顔つきで、エミリーが言った。

「違うったら違うんです!」

 タナトスはざばっと湯から上がり、どこか彼方へ飛んでいってしまった。


「……どういうことだよ」

「自分でバラしてたら世話ないわね」

 エミリーがけらけらと笑った。

 タナトスが湯を出ていった時に見えてしまった。タナトスは女ものの赤い水着を身につけていた。凹凸の著しい体つきをしていた。この事実から導かれる結論はたったひとつ。

「あいつ、女の子だったのか……」

「まあ、そういうわけだから」エミリーも立ち上がり、湯を出ると、木の枝にかけていたタオルを手に取った。さっき言った通り水色の水着を着ていた。「あんまりからかわないであげてね。あの子、純情だから」

「いや、主にからかってるのはあんただろうに」

「あはは。そうね。まあ、私たちは気心しれた仲だから」

 そう言ってエミリーという少女もどこかへ立ち去っていった。

 ひとりきりになった。

 仲間のもとに戻ろうとして、足元がふらついた。

 完全にのぼせた。

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