第26話 夜陰

 ――もう死んじまった後なんだからな。どうしようもねえんだよ、俺もお前も。


 ロバのドンクが放った言葉が矢のように深々と胸に突き刺さっている。ああ、そのとおりだな。どうしようもねえ。考えるだけ無駄なんだ。

 それなのに、死んだ時の光景だとか、死んだ後におこったらしいことだとかが頭のなかをぐるぐるまわり始めて止まらない。頭痛がしてくる。

 くそ、変な話しやがってロバ野郎。

 俺たちの寝床となったバニヤン家の居間では、クロードもミルズもビッグスもワンドルも毛布にくるまってすやすや眠っている。

 それもそのはず。古代遺跡の硬い床で仮眠をとるような生活を送ってきてから、ようやく温かい屋内で眠れているのだ。

 日ごろやわらかなベッドで寝ている読者諸兄は、床なんぞで眠れるわけがないだろうとお思いだろうが、分厚い絨毯が敷かれ、薪ストーブで温められた室内とあれば、これほどの環境はなかなかこの世界では得難いものだ。余裕で眠れる。金がないころは、家畜小屋で寝泊まりさせられることもあったしな。


 夜は更けていく。

 姿勢を横に向け、俺は何も考えないようにつとめる。

 すると肉体の疲れが効いてきたのか、徐々に眠りが訪れてきた。いいぞいいぞ。このまま眠れそう。意識が白濁してきた辺りで、背中に誰かが接触してくる感覚があった。

「ミルズ? またおまえか?」

 せっかく眠りの兆候が訪れたのに、邪魔しやがって。俺はイライラしながら言うが。

 すぐとなりでは、

「むにゃむにゃもう食べられない……」

 などと昭和アニメのマスコットキャラクターみたいな寝言をいいながら、ミルズが眠りについているではないか!

 じゃあ、誰だ?

 やけにやわらかく、あたたかな感触……。

 間違いない。

 女性の肌だ。


「しーっ。ホッシー様。声を立てないでくださいね」

 声がささやいた。あまい吐息が耳元をくすぐる。

 この家にいる唯一の女性……となれば彼女しかいない。

「バニヤンの奥さん……ちょっと、まずいですって……なにをしているんですか……」

「ふふふ。おわかりでしょう?」

 バニヤンの奥さんの両腕が俺の胸の前に回され体が密着する。温かな柔肌。その繊細な長い髪が俺の首筋をくすぐる。

「こんなことバニヤンに知れたら……殺されますよ俺」

「そんなことはありません。旦那の言いつけですから」

「へっ!?」

 変な声が出た。

「しーっですよ、ホッシー様。こうした風習は山岳民族ではめずらしいことではありません。旅行者にこうして妻を差し出すのは、別の血を一族に取り入れるためなのです。剛の者――ホッシー様のような――の血を取り入れることで、一族の繁栄はより強固なものになるのです」

「なんとなく理にかなってる感じはするけど……まずいですって! 第一に俺は剛の者ではないですよ!」

「本当かなぁ? 私にはホッシー様はとてもたくましく見えます……」

 バニヤンの奥さんは耳元に軽く息を吹きかけてくる。

 いや……だめっ……あんっ――みんな、あえいでいるのが俺で本当に申し訳ない。

「みんなが起きてしまいます!」

「みなさんにはたっぷりお酒を盛らせていただきました。私のウサ耳に触って下さい……ほら、すごく熱くなっているでしょう……」

 奥さんは俺の手をウサ耳にあてがった。

「あっ、本当に熱い。ウサ耳族の耳に初めて触りました」

「ふふっ。ほら。すっかり脱いでしまいましょうね」

 暗がりのなかで目がキラリと光ったように見えた。その両手が俺のシャツのボタンを外しにかかる。ヤバい。このままでは一線を越えてしまう。

「本当にだめなんですって、俺は大学三年のときに初体験して以来一度もヤッてない……じゃなくて! 社会通念上許されないです! この小説を連載しているカクヨムにも怒られます!」

「カクヨムなんか怒らせておけばいいんです。それに、〝性描写あり〟のタグを付ければいいのではないですか?」

「つーか、奥さんの積極的な責めのせいでカクヨムそのものから追い出されてしまいそうですが!」

「それでは〝ノクターンノベルズ〟で続きをいたすのもよろしいのでは……?」

「ダメです! 〝ドラゴンノベルス〟に応募できなくなってしまう……!」

「〝ムーンライトノベルズ〟ではダメでしょうか?」

「ダメなものはダメです!」


 俺が拒絶の態度を示したので、奥さんは泣いてしまった。

「これでは旦那に叱られてしまいます……」

 などと耳元で泣かれると、ちょっと弱い。

「すみません、こればかりは応じるわけにはいかないんです」

「わかりました……恥をおかけして申し訳ありません」

 奥さんは俺から身を離した。背を向けて、しゃくりあげて泣いている。

 申し訳ない気持ちに駆られる。奥さんとしては屈辱だろう。慰めのために言葉をかける必要があった。

 本心を語る必要が。

「月並みな理由を語るようですが、俺には心に決めた人がいるんです」

「その方に操を立てておられるのですか?」

「そのつもりはなかったのですが」と俺は言った。「今日分かりました。俺、そいつのことが本当に好きなんだと思います。ですから今夜は申し訳ありませんが……」

「いいえ。こちらが悪いのです。申し訳ありませんでした。ホッシー様に慕われているなんてその方は大変な幸せものですね」

「そんなことは……」

「ところで、ドラゴンノベルスってどうして〝ズ〟じゃなくて〝ス〟なんでしょうね?」

「知りませんよ!」

「ふふっ」

 奥さんが浮かべた笑顔が穏やかだったものだから、彼女が部屋を出ていくまでの間俺は安心していられた。


 再び静けさが訪れた部屋で、頭に浮かぶのはひとりの女の子の姿。酒場で一晩だけあっただけの女の子。なのにずっと心を離れない。遠くにいるのになぜか近くにいるように感じる存在。

 心がささくれていたのがウソみたいに消えて、穏やかな眠りが訪れる。何もかも失われた俺の人生だけど、ひとつだけ希望があるように思えた。俺は眠った。

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