第25話 転生者
ある仕事帰りのことだった。俺はそのときたまたま同僚の女子と同じ列車に乗り合わせていた。この女子については取り立てていうことはない。「適当に仲のよい女子」ぐらいに考えてくれれば結構だ。
俺に一方的に行為をよせる彼女から見て、この同僚の子がどう映ったのか俺には知る由もないが、その後の展開をかんがみるに、何らかの悪い影響を与えたことは明白だ。
この間、ずっと近くから見られていたに違いない――例えば背後とかから。
その同僚の女子と別れた後、乗りかえの駅で降りて、次の列車を待っていた。スマホでXを見ていた。中東のニュース……Bリーグの次の試合……アイドルの水着。目的があったわけじゃなく、暇つぶしで見ていただけだ。
列車の到着を告げるアナウンスが鳴り、俺は携帯をコートのポケットにしまった。ポケットに両手を突っ込んで、首に巻いたマフラーに口元を埋め、『きょうは寒いな』などと考えながらじっとしていた。
その直後、背中を突かれた。
視界が下がり、俺は暗く冷たい線路の上にいるのに気がついた。高いところから落ちたせいで両足が痛んだ。ヘッドライトの強い光が俺を照らしつけた。
俺はホームを見上げた。
そこには女の笑顔があった。
今となってはそいつがミチルだったと分かるが、そのときは男女の区別もつかなかったし、何者かわからなかった。
ただ、そいつも俺のあとを追って線路へと飛び降りてくるのが見えた。
列車の光がますます強く近くに感じられた。
そこですべてが終わった。
モザイク模様の視界が元通りになっていく。目の前に居るのは卓を囲んでいる面々――クロード、ミルズ、ビッグス、ワンドルたち。みんな幸せそうにボーっとした顔をしている。トリップタイムを味わっているのだろう。俺にとってはとんでもないバッドトリップになったが。
額の汗をぬぐう。ローブの下の背中もじっとりと汗ばんでいた。
現実に戻ってきた。
今はこの異世界こそが間違いなく俺の現実なのだ。
「どうしたんだよ、ホッシーの旦那よ」
声がした。
ドンクの声だった。ドンクは部屋の隅で体を丸めていた。にょきっと首を突き出し、俺に笑い顔を向けていた。
「ずいぶん青ざめた顔してるじゃねえか。まるで地獄でも見てきたような顔つきだぜ」
「なんでロバのくせに家の中に居るんだよ」
「バニヤンのきれいな奥さんが中に招いてくれたんだよ。あいつは俺にほれているな」
「図々しいことを」
「それでよ、どんな怖い幻覚を見たんだ。教えろよ。おっかないことはなんでも言語化するようにしたほうがいいぜ。それが唯一のトラウマ解消法だ。そうすりゃ、夜な夜な悩まされなくてすむようになる」
「なんで俺はロバと話をしているんだろうな」
食卓に置かれた水差しを手にとって俺は直接口に運んだ。がぶがぶ。かわいた喉に冷たい水が気持ちよかった。
「ツマらねえこというな。ま、異世界歴の長い俺がひとつ訓示を垂れてやる。転生してくる奴らはみんな前世に未練を抱えたやつらだ。生ききれなかった奴ら。不幸な死に方をした奴ら。他人に殺された奴ら。誰だって辛い過去を持っているときたもんだ。トラウマは心に悪い。異世界まで持ってくるものじゃねえよ。吐き出しちまったほうがいい。そうだろ、星神金太郎」
「お前、どうして俺の本名を」
俺はドンクの顔を見た。ドンクは相変わらずニヤニヤ顔で俺を見つめていた。
「俺をただのロバだと舐めるなよ。お前のこと知ってるんだぜ。お前の最後も知ってる。誰と心中したかもな」
「心中じゃない」
「世間じゃ心中扱いだったぜ」
「お前は何者なんだ。話せよ」
「つまらない者でな」
ドンクはへらへらと笑った。
「それより俺にもその酒をよこせよ。俺もトリップしてえ。元の世界に戻ってみるってのも楽しそうじゃねえか」
「話をそらすなよ」
「どうしたの、ホッシー? なにかモメ事?」
むにゃむにゃとミルズが言った。記憶の旅から目覚め、幸せそうな顔で背伸びをした。
「起こしちまったようだな。仲間の前でシミったれた前世の話を続けたいか? この冒険にゃ関係ない話だぜ。もう死んじまった後なんだからな。どうしようもねえんだよ、俺もお前も」
「結局お前は何がしたいんだ」
「お前さんをからかいたいだけだよ。他人をからかうのが俺の生きがいなんだ」
「くだらねえ人生だ」
「ロバなんでな。説教は俺の耳に念仏だぜ?」
「さっきから何を話しているの?」
ミルズは小首をかしげた。
「ひとつ言えることは」とドンクは言った。「お前はそこそこ有名人だってことだよ。死後ネットで顔写真が貼られまくってたんだ。新聞もテレビもなにかネタを探してて、たまたまお前らがちょうどいいタイミングで死んでくれたってことだな。お前らの死はメディアに大々的に取り上げられたんだよ。おっと怒るなよ。俺のせいじゃないんだからな」
「ホッシーの前世の話? おいら興味あるなあ」
「女は黙ってろ。男の話し合いなんだ」
「ドンク、おいらは男だって!」
ミルズはぷんぷん怒った。
「なにかありましたか?」
首を左右に振りながら、クロードが言った。彼もいままでめくるめく記憶の旅を味わっていたようで、風呂上がりのようなリラックスした表情をしている。
「旦那方、ホッシー様が俺に聞きたいことがあるようなんですよ」
ドンクは言った。
一同は静まり返った。部屋のなかの全員の視線が向けられた。
「いや、特にないよ。ロバの話なんて真に受けないほうがいい」
「そうだと思ったわ。くだらないことで騒ぎおって。せっかく気持ちよく酔っ払っておったのに」
ビッグスが口をとがらせた。
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