第24話 記憶の旅
視界の歪みが乱れに乱れる。それはやがてマーブル模様となり、モザイク模様となり、白く塗り立てられ、最後に再び像を結んだ。
その光景に俺は驚愕した。
そこは明らかに2020年代の日本、それも俺の暮らしていた仙台市青葉区の街並みだったからだ。
「こ、こ、ここは⁉︎」
林立する巨大ビル。夜を照らすネオンのかがやき。行き交うビジネススーツの男女。間違いない。ここは俺の生活していた世界だ。
「どうなってんだ? 俺は元の世界に戻ってきたのか? あの酒を飲んで⁉︎」
突如目の前に大柄な男が立ち塞がった。ぶつかる――と思った時には、そいつは俺の体をすり抜けていった。
――行ってらっしゃいませ、記憶の旅へ。
レイニーが最後に言った言葉。
なるほど、俺は幻覚を見ているのだ。肉体はバニヤンの家にあって、精神はフルーツ酒の作り出す幻のなかにいるといったところだ。
「なんつーもん飲ませてくれるんだよ。つーかあの世界ではこういう精神旅行を楽しんでんのか」
「おい、
懐かしい声に振り向くと、そこにはすらりとした背の高い男がいた。ビジネススーツに黒のコート。不敵な面持ちで俺を見やるソフトリーゼントのこの男は、生前親しかった同僚の武藤に相違ない。
「武藤? 武藤か?」
「だったらなんだよ。星神。おまえ酔っ払ってんのか?」
などと赤ら顔の男に言われる。
「ミナちゃんに会いたいなあ。お前どうよ?」
「ミナちゃん?」
記憶の片隅にあったその名前がよみがえる。ミナちゃんは武藤が熱を上げていたバーのウェイトレスで、スタイル抜群のセクシーな子だ。肌はサロンでこんがり焼いて、長い髪は根本まで茶色に染めていた。
「懐かしい名前だな」
「バカか? 先週あったばかりだろうが。もう十年も会ってねえような言い方しやがって。さあ、行くぞ。バー『シンデレラ』に」
「シンデレラ……」
「なんだよトボけたみたいに。お前大丈夫か? 酔いつぶれてんじゃねえのか。帰宅コースでもいいんだぞ」
「大丈夫だよ。俺も行くって」
「そう来なくちゃな」
そうやって武藤と宵の町を歩く。コンクリートで舗装された通りに、あふれんばかりの人。等間隔をおいて地面から突き出た電柱。
天気のいい夜で、空には星が瞬いていた。今はもう見ることのできない北極星のきらめきをながめていると郷愁にかられた。
北極星の存在を教えてくれたのは母だった。空を見上げてはいろんな話――季節の星座、惑星の名前、月の満ち欠け――を教えてくれたものだった。
母親は元気にしているだろうか? 仕事人間だった役所勤めの父親は? 先立って向こうの世界に行っちまった。せめてなんかの報告ぐらいはしてやりたかった。
今は幻覚の中だけど、もし電話をかけたらどうなるのだろう? 父母の声が聞けるのだろうか? その瞬間にこの幻覚も消えてしまうのだろうか?
そんなことを考えていると、「シンデレラ」へとたどり着いた。ここは電飾看板の派手な大衆向けバー。席数は多く、店員も多い。大衆向けのフランチャイズ店で、静かな雰囲気を好む奴らにはイマイチ好かれない。ウェイトレスはミニスカのチアガール風ドレス姿で、胸元も大胆に開いており、明らかに男の視線を意識している。
扉を開け、来客を告げる鈴の音が頭上に響いたかと思うと、武藤のお目当てのミナちゃんが満面の笑顔で出迎えてくれた。
「おひさしー。ムッティーにホッシー! 二名でよろしいですね?」
こんがり焼けた肌に、金髪ショートボブ。武藤は目にハートを浮かべて見つめている。
ホッシー。
思えば異世界での名乗りもミナちゃんのつけてくれたあだ名を使ったのだった。
店内の壁にかかっているカレンダーは2023年10月17日を指していた。俺はうっすら思い出す。この幻覚は俺の記憶なんだ。俺の記憶が再現されているんだ。
レイニーは「記憶の旅へ」と言っていた。そうか、酒の酔いで消えてしまったかに思えた記憶のなかに俺はいるのだ
気がつくと俺はトリスのハイボールを手に、武藤と乾杯している。
俺たちのそばにはミナちゃんがいた。
「最近忙しそうだよね、ミナちゃん。なんだか休むヒマもなさそうじゃん」
武藤が言った。
「本当よ。今ようやくひと心地ついた感じ。最近店の子がたくさん辞めていっちゃったから」
「なにそれ、女子間のトラブルか何か?」
武藤が下世話な笑顔を向けた。
「違うわよ。それぞれの事情ってもんがあるの」
「女子もいろいろと大変なんだな」
ハイボールを俺はすすった。酒を飲んで飛ばされた先でまた、酒を飲んでいるって不思議な気持ちだ。しっかり味を感じられる。
「思い出した。ねえ、ホッシー」ミナちゃんが話しかけてきた。「覚えているかな? 前この店にミチルちゃんって子いたじゃない?」
「ミチル?」
その名もまた記憶の片隅から出てくる。黒髪の物静かな印象の子だ。
「覚えているよ。その子がどうしたの?」
「彼女ホッシーに迷惑かけていないかなって」
「迷惑? いや、そんなことは……」
「あの子ってとっても一途な子なんだけど、暴走しちゃうところがあるのよね。一方的に愛情を募らせて、好きになった人にストーキングとかしちゃうの。私の言いたいこと分かるわよね?」
そういえば、無言電話をもらったり、誰かの視線を感じたりということがあった。それは俺が死ぬ一週間に集中して起こっていた。
「星神、ミチルちゃんとなんか接点あったっけ」
「前に国分町の裏路地で会った。ミチルちゃんがこの店辞めてしばらく後のことだけど。その時彼女が泣いてたんで、ハンカチ貸して話聞いてやったんだ。彼氏にフラれたって言ってた」
「あー、気に入られたかもね。実はね、あの子から星神さんについて聞き出すような問い合わせがあったのよ。知らないってごまかしておいたけど、あの子きっとあなたに狙いをつけているわ。気をつけてね、彼女は元恋人を相手に流血事件も起こしているから」。
「やっべーなそれ」
武藤が声を震わせた。
なるほど、それがきっかけでミチルが俺をつけ回していたのか
まてよ。ミチルは俺を付け回していた。それから一週間後に俺は死んだ。ということは……?
「ミチルちゃんってどんな子だっけ? 顔写真ある?」
ミナちゃんはスマホを取り出し、画面をスクロールさせた。
「ほら、これこれ。右があたしで、左がミチルちゃんだよ」
そこにミチルが写っていた。黒髪ロングボブのおとなしそうな子。ミナちゃんとふたりきりで収まっている。画像はどうやら店内で撮られたものらしい。二人ともこの店のウェイトレス服を着ている。
その顔を見て、ぼんやりとしていた記憶の輪郭が浮き彫りになっていく。
やべ。犯人わかっちまった。
俺を突き落として殺したのはその女だ。
俺はこのミチルという女に殺されたんだ。
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