第四章 山頂を目指して

第23話 四合目の町

 俺たちは雪の上を滑走しながら進んだ。踏み込めばぬかるむような雪の上をだ。

「これが山の精霊のご加護ですか。我々の山頂への道行はごく軽いものとなりましたね」

 クロードが言った。

 彼の言う通りで、俺たちは雪の上を歩く時、雪質がどんなものであれ、足を取られることなく、その表面をすべるように進むことができるようになったのだ。

 感じとしては、スキー板をはいて雪面を滑るようなものかな。

 このおかげで、移動はずいぶんと楽になった。

 シェルパやロバのチームと合流できたのも古代遺跡を出たその日のうちのことだった。


「なんだよ、ひとりも減ってねえじゃねえか。物語の中盤には誰かひとりが死ぬのが筋ってもんだろうが。この中にはオビワン・ケノービ的なキャラはいねーのかよ。死んでおけよ」

 顔を合わせるなり、ロバのドンクが汚言をまき散らした。

「これは驚いた。増強された装備もさることながら、雪の上をスケートのごとく滑ってくるとは。一体何が起こったのですか?」

 目を丸くしたのはカエル顔のレイニーだった。

「山の精霊と会ったんだよ。魔人の体内から解放したお礼として祝福を受けてね。こんな能力を手にしたと言うわけなんだ」

「山の精霊ですと!」

 シェルパのレイニーもバニヤンも目を丸くした。

「我々シェルパにとって信仰の対象です」とレイニー。「古くから現在まで我々は山の精霊に祈りを捧げ、そしていつかその姿を見えんと強く願って生きているのです」

「山の精霊はどのような存在でしたか? 男? 女? それともトランスジェンダー?」

 バニヤンがたずねた。

「女性だったよ?」

「ほう、では乳のサイズは?」

「では、ってなんだよ! 信仰の対象でまず知りたいのがそこなのかよ!」

「嫌だなあ、冗談ですよ。シェルパジョークです」

「冗談に聞こえないっての」

「とにかく、その能力さえあれば、頂上までの道はグッと近くなりますね。いまだ四合目。尻の穴を引き締めて頑張りましょう」

「むりやりシメたな」


 その日の晩はバニヤンの家に招かれ、奥さんの手料理をご馳走になった。同じウサギ耳族で、髪の長い美人だった。

「うお? これは旨いな!」

 ビッグスが驚きの声を上げたのは肉の煮込みを口にした直後のことだ。これがめちゃくちゃうまかった。

「お口に合えばいいのですが」

 バニヤンの奥さんはおしとやかに微笑んだ。

「いや酒場でもこれだけの味に出会えることはありません。奥様は大変手料理がお上手なのですね」

 クロードがほめると、バニヤンの奥さんは顔とウサギ耳を赤くしていた。

「妻はクロードさんが気に入ったようですね。こいつったら面食いなもので」

「やだ、あなたったら」

 奥さんはバニヤンをバシンと叩いた。冗談で叩いてる空気だが、バニヤンは顔をしかめわりと痛そうだった。


「こんなウマい肉食べたことないや。一体何の肉だい?」

 もぐもぐしながらミルズが言った。

「これは魔獣の肉だろ、バニヤン」とレイニーが言った。

「魔獣? それって異世界ジョークだよな?」

 ハハハと俺は笑うのだが、誰も同調してくれない。誰か笑ってくれよ。

「シールドゲーターだよ。この前襲われた時に肉を回収しておいたんだ」

「肉づきがよくてうまいな。最近は旅人が多かったし、エサがよかったのかな」

 レイニーは言った。これにはみんなが笑った。こいつらの笑いのツボが本当にわからん。

「食欲なくしちまったよ。せっかく久しぶりの温かいメシだというのに。ワンドル俺の分食べていいぞ」

「…………」

 ワンドルはしっぽをふり、がつがつと食べはじめた。


「今日はわが家に伝わるお酒を持ってきました」

 レイニーは机に瓶を置いた。透明な瓶の中に緑色の液体が入っている。

「おお、これはフロッグマン族に伝わる伝説のお酒ですね。ひとくち飲めば極上の気持ちになれるとか」

 クロードが言った。

「これはフロッグマン族の体液で作った酒とかじゃないよな」

 冗談で言ったつもりはなかったのに、今回はなぜかみんな笑った。本当に笑いのツボが分からん。

 バニヤンの奥さんが瓶を受け取って、グラスに注ぎ、皆に配りはじめた。

 酒からは体液とはほど遠いフルーティな匂いが漂ってくる。マンゴーとか桃とかオレンジとかを甘く煮詰めたような感じだ。

「いい匂いだな」

「これは湿地の奥に生えている〝トランマインズ〟という果実を醸造したものになります。世界中の王侯貴族がこぞって高値をつけるお酒ですよ」

 レイニーは胸を張った。

「では、ひとくち」

 ビッグスがグラスを口に運んだ。クロードもミルズが後に続いた。俺もそれにならった。

「うまい!」

 香りの良さを裏切らない、極上の味わいだった。酸味と甘味とさわやかさのハーモニー。舌触りがよく、とろみがあった。アルコール分は強くパンチが効いている。

「最高だよ、これ。何杯でもいけちまうな」

「おっと、ホッシーさん。すこしピッチが早いですよ」

 レイニーが言った。

「トリップタイムが早く訪れてしまいます」

「なんだ? トリップタイムというのは?」

 そう言った直後、ぐらりと視界が揺らいだ。テーブルを囲んで座る仲間の輪郭りんかくが歪んで見えた。まるで、水面に映った景色が風にそよがれ波たつように。

「なんだこれ⁉︎」

「行ってらっしゃいませ、記憶の旅へ」

 レイニーらしき男が言った。

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