第6話 悪魔の囁き
冒険者ギルドを出て最初に向かったのは薬屋だ。薬屋は芸術家のアトリエのような平屋で屋根の上には煙突がついている。今も煙をもくもくと吹かせている。
小さな窓から薬品の瓶のシルエットがみえる。なにか薬品を混ぜているようなカチカチという小さな音が聞こえてくる。
「どんなところなのかな?錬金術かな、手作業かな?」
ゲームによって変わるシステムをみるのはとてもワクワクする。入口は少しだけ階段があり、その周りには整えた植木鉢があり、不思議な色をした植物が生えている。
扉の横には紐のついた呼び鈴があり、ポーションの容器を加工してつくったように見える。軽く持ち手を摘んで振ると、チリンチリンというかわいい音が鳴る。
ドアの向こうから「どうぞ」と聞こえた。ゆっくりと扉を引いていくと、中から変わった匂いがした。お茶よりも薬湯に似たふんわりとした匂いだ。
「わぁ、すごい……なんだろう、この匂い?」
店内はランタンの灯りに照らされた温かな部屋だった。入口からカウンターまでの距離は近く、どこか薬局のような清潔感を感じる。奥には神妙な面持ちで薬品を混ぜているおばあさんがいた。
「こんにちは」
「………」
ちらりとこちらをみてすぐに薬品と向き合う。手が離せない様子。偏屈なおばあさんというわけではない。いかにも金を持ってなさそうな小僧が来ても「帰れ」と言わないあたり根は優しそうだ。
雪城:『おしゃれな雰囲気ね』
雲行き綾憂:『ポーションあるのかな?』
人参太郎:『冷やかしなら帰ってくれ!』
金がないボクは冷やかしだ。だが断る。これから買う予定の薬品がないか見回る。壁に沿う形で置かれた棚にはいくつかの薬品と束で置かれた薬草がある。
その中でも変わっていたのは鮮やかな緑色をした薬品だ。中にキラキラとしたものがある。
「何に使うんだ?」
「それは呪符用のインクだ」
薬品の前で足を止めていると、いつの間にか隣におばあさんがいた。
「へ?」
「まだお前さんのレベルでは使わんものばかりだ。もう少し成長してからここに来るといい」
おばあさんは先程作っていた薬品を棚に置くと、また作業に戻っていった。一通り見学したあと、おばあさんに礼をして店をあとにした。
「すいません、また来ます」
この世界の薬屋さんは手作業でつくるタイプの薬品だった。摩訶不思議な力でつくるものよりもこっちのほうが好みだ。
人参太郎:『釣りはしねぇの?』
悪魔の囁きが聞こえる。両耳を塞ぐと、天使の声も聞こえる。
雪城:『だめですよ。だめって言われたものはしてはいけません。素潜りをしましょう』
トンチをきかせた、だめなほうの天使だった。
雲行き綾憂:『ふたりとも落ち着いてください。残りの服飾屋行きませんか?』
珍しくまともなことを言ってくれる。悪魔と天使の声は聞こえないふりをする。相手にするだけ無駄だ。ボクが洗脳されてしまう。
次に服飾屋に向かう。店の外から見えるように鎧や魔法使いの服がショーウィンドウに並べられている。上下ボロボロの村人装備で入るにはハードルが高い。
「よし、行くか」
見知らぬ店にジャージで堂々と行けるボクにとっては造作もないこと。ゆっくりと扉を開けて、中の様子を伺う。そこにチラッととんでもないものが見えた。
「………っ!?」
反射的に扉を閉めてしまった。これが恐怖のあまりしてしまったおかしな行動だ。さすがのボクのは視聴者も困惑している。
人参太郎:『どうした?入らないのか?』
一瞬の出来事だった。同じ視界を共有していても見えないこともある。知らなければいいことだってある。ボクは見なかったことにした。
「い、いやぁ〜ここはいいかな?あはは」
踵を返して扉から離れようとすると、閉ざされていた扉が急に開いて中に引きずり込まれた。
化け物はボクをまじまじと見つめると、頬に手を当てて少し高めの声で歓喜をする。
「あらぁ、可愛い子が来たわね!」
女性と思えば上品なセリフも、毛の濃いオネェさんなら話が変わる。
性別差別をする気はない。濃くてでかかったら誰しも怖さはある。店に入ってすぐ、ゴリラが「あら、いらっしゃい」って言ってきたら怖いでしょ?それと同じだ。
「あ、ど、どうも」
「こんにちはね〜、もしかして新人さんかしら?どうもぉ、私はマリアベルよ」
「えーっと、嘉六って言います」
「嘉六ちゃんね、よろしくね」
マリアベルがウィンクしてきた。苦笑いしかできない。装いはおかしくてもは接客は丁寧だった。
「今日はなにしに来たのかしら?もしかしてデート?」
「お店になにが売ってるのか見に来ました」
「まあ!デートに行く前の下見ね!いいわよ、好きなだけ見ていきなさい」
独り身にデート連呼は心臓が痛い。店内は間接照明でこれまたおしゃれな雰囲気をしている。光の加減によって服に影を落とし、立体的にみえるようにすることでより服の良さをより際立たせている。
戦闘向きの鎧もあったが、どちらかといえば薄着のものが多い。魔物の種類がわかっていないから戦闘中の想像がつかない。ここに送ってくれた騎士は鎧を着ていた。
「鎧はやっぱり鍛冶屋で買うんですか?」
「んー、そうね、鍛冶屋になるわね。けど、いらないと思うわ」
「そうなんですか?」
「嘉六ちゃんはまだ戦ったことがないのよね?だったらすぐにいらないものだって知ることになるわ」
「そうですか……」
マリアベルはこの世界の戦いを知っていた。先人のアドバイスも同然の言葉に頷くことにしかできない。今はまだ、鍛冶屋に行っても知れる情報は少ないかもしれない。
「ボクはそろそろいきます。今日はありがとうございました」
「いいのよ。また気軽においでね」
手を振って店をあとにする。冒険者ギルド、薬屋、服飾屋は行った。残りは鍛冶屋だ。
くしくもCLOSEの文字が書かれた看板が立てかけられていた。今日は開いてないらしい。もしかしたらストーリーを進めないと開かないコンテンツなのかもれない。
「どうしよっか。彼らが帰ってくるまでまだ時間があるよ」
宙を流れるコメントに注視する。
人参太郎:『やっぱ釣りだろ』
雪城:『素潜りですって』
雲行き綾憂:『村の外は出れないの?』
別人格:『建物の上って登れないんですか?』
釣り素潜り論争に加え、新たに突拍子の無いことを言うふたり。ひとりふたりのネジならなんとか締められるのに、全部のネジがイカれてたらどうにもならない。
「わかったわかった。ひとつずつやろう」
もっとも簡単なこと。村の入口に向かう。流刑地というだけあって門に兵士が立っている。一歩ずつ近づいていくと、兵士の顔が険しくなっていくのが見える。
「ねぇ、これだめじゃない?」
兵士に殺されるバッドエンドなんて恥ずかしくてアーカイブを残せない。雲行き綾憂の「いったれ、かっちゃん」という言葉は見なかったことにして後戻りした。
「建物に登る……か。やっぱりいちばんデカくて大きい冒険者ギルドでしょ」
冒険者ギルドから少し離れた場所にちょっとした屋根付きの小屋がある。ジャンプ力が試される距離があるものの、パッと見行けなくもない。積まれた丸太を足場に屋根に登る。
「よし、こっからジャンプすれば……」
「なにをしているのかな?」
勢いよくダッシュを決め込もうとしていると、目下に微笑むミーティアがいた。その目は笑っていない。その後ろには、さっきより冷たい目をしたリックがいる。
「えーっとですね……」
「嘉六さん」
「……はい」
「こちらへ」
「あ、はい……」
冒険者ギルドではパルクールは禁止されていた。先人がやったことがあるらしく、以前から新人は目をつけられていたとかで依頼を受けるまでの間は要注意人物とされていた。
「……めっちゃ怒られたよ」
ふたりにこってりと絞られてようやく解放された。
別人格:『いやぁ、勉強になりました。ありがとうございます』
人参太郎『お、嘉六のイジり方がわかってきたね』
雪城:『シュンってしてるのもかわいい』
雲行き綾憂『人にバレないところならいけそう』
まだ言ってる人がいる。さすがにこりごりだ。怒られることはやってはいけない。といってもその足で向かうのは港だ。素潜りは危険でも釣りならいける。
「ボクも大概だよね。だめって言われたらやりたくなる」
竿を肩に背負っていざ釣りへ。港には船の番人のおじいさんと見知らぬ人が焚き火で暖を取っていた。酒場の客と同じでどこからともなく現れたNPCかもしれない。
港を見回してみたが、彼らはまだ帰ってきていない。試しに釣りをする時間はある。
「ここでいいかな」
船が置かれた場所からは2つほど離れた桟橋に向かう。バケツとロープが置かれている。港でも釣りをしていると思われる場所だ。
「釣りするのも久しぶりだなぁ」
釣り竿の糸を解いて仕掛けを海に落とす。投げ釣りもいいが、様子見なら根釣りだ。堤防直下は小魚が多い。海の深いところはでかいのもいるが、浅瀬ならまず来ることはない。
浮きをみながら手癖で竿を動かす。餌は活きが良いほど食いつきがある。釣り経験者ならではの技に視聴者も盛り上がりを見せる。ぐっと竿の先が落ちる。最初は見過ごす。様子見も時には大事だ。より下がるタイミングを見計らって一気に持ち上げる。
これにより針が上を向いて口に引っかかる。
「かかった!」
リールのない竿を持ち上げれば、必然的に魚の姿がまみえる。見えた魚影は小さい。狙い通り。小物の魚が姿を現すと、手のひらサイズのアジ。思ったよりもでかい。
「これは食いがいがありそうだ!」
宙を舞う魚を目で追いかける。ふいに揺れていた糸が空中でまっすぐに伸びた。そんなことありえない。すぐに魚が普通でないことに気づいた。
「はぁ!?飛んでるっ!?」
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