第1話 自分探しの旅

 仕事終わりの午後9時。ボクはいつものように電車で帰宅している。人混みの鬱蒼とした雰囲気に嫌気が差す。ただでさえ過酷な現場をくぐり抜けてきたのに、仕事が終わってもこれだと気が滅入る。


「やっぱり音楽でも聴きながらじゃないとだめだ」


 なんて心の中でつぶやきながらカバンからコードレスイヤホンを探す。コンパクトで持ち運びやすいというキャッチコピーなだけあってなかなか見つからない。日常的な物探しに夢中になっていると、ポケットから振動が伝わってきた。


「はぁ……」


 また世話焼きな両親から仕送りの野菜でも送ろうか?というどうでもいいメッセージが届いた。どうせすでに送っている。ボクのことを考えてるふりをして不良在庫を処分してるのは、母さんの所業だ。帰ったら冷蔵庫を整理しないとな。


「……え?」


 もう1件の通知が届いた。今更謝ったってそうはいかない、なんて思考を巡らせながら見ると、タイトルに『当選おめでとう』の文字。いやいやまさかな?どうせくだらない抽選の宣伝だ。


 1文目に鹿島霧月かしまむつき様という名指し。は?名前までわかって……と、スクロールすると、あまりの出来事に思考が止まる。


「……はぁ?」


 それは1ヶ月ほど前から抽選がある度に応募していた『終末のエリュシオン』の当選報告だった。


「……え?」


 何度開き直しても当選!と書かれたメッセージに驚きを隠せない。しばらくスマホの画面を見つめたあとは、記念にスクショを撮った。仕事終わりの疲れなど吹き飛んだ。


「ふふっ……あはははっ!!」


 自然と笑みが溢れた。すると笑いが止まらなくなった。目線など気にすることもなく普段降りる駅から2駅はやく電車を降りた。ゾンビのように重い足を持ち上げていた日々が嘘のように軽やかに足を運んだ。


 改札を抜ける。まるで痴漢の冤罪を疑われた犯罪者のように一目散に駆ける。線路沿いを高笑いで走り抜けた。きっとすれ違う人全員に奇行に走る不審者だと思われた。気づけば自宅まで猛ダッシュしていた。


 家に着いても高鳴る鼓動が収まらない。スーツを脱ぎ捨ててシャワーを浴びる。つい陽気に歌なんて歌っちゃう。数分でご飯を食べながら、会社の上司に休暇申請をする。


 ゲームの発売日には不自然な体調不良で休む人が続出する。この終末のエリュシオンの発売日にも大いに湧いた。当選しなかった敗残兵がたくさんいた。そのうちの1人がボクだ。


「すまない、ボクは旅に出るよ。自分探しの旅だ。それも、エリュシオンに!」


 ふざけた文章で送れるわけもなく、会社で習った定型文で送り届ける。すぐにノーグッドスタンプが押される。うちの上司もエリュシオンを待望する1人だ。


 休みはわずか1週間。有給休暇を蓄えたものの、さすがに1ヶ月は難しい。今日は夜更かしすることもなく、早めに寝て、明日早起きするつもりだ。


 夜更かしコースは体調不良でゲームができないオチがある。病気はゲームの敵である。ワクワクしながら寝床にスライディングすると、真っ暗な部屋でその日を終えた。


 カーテンの隙間から朝日差し込む気持ちのいい朝。突如として鳴り響くアラームに起こされる。出勤の時間だ。身体が自然と洗面台に駆け込む。鏡には久しぶりにたくさん寝て元気な自分がいる。


「や、やばい、はやく仕度しないと!」


 時間に追われる生活が身についている。部屋中を駆け巡り、仕度の鬼になる。シャツにアイロン掛けして出社するための準備を終えると、スマホの時計を見る。


「時間はあと!……ん?」


 時計を見てすぐにスケジュールに目を通すと、前日のことが頭によぎる。


「あっ!?休みじゃん!」


 ようやく状況を把握した。どうも平日=仕事に行く日という認識があった。準備したものを片していよいよ旅に出る準備を始める。


 部屋を占領するVRカプセルを接続していく。数年前からお世話になっている旧型のカプセルだ。年季が入っているもののまだまだ現役だ。


「エリュシオン……いけるか?」


 今までのゲームもハイスペックが要求されたが、エリュシオンは格が違うと噂されている。もしかしたら序盤でスペック不足になる可能性もある。


「そのときはそのときか」


 貯金的な蓄えはないとは言えない。今の財布事情でも切り抜けられないこともない。


「配信してちまちま稼ぐのが道理か」


 今の御時世にゲームしてて配信してない人のほうが少ない。なぜなら手続きが簡略化された通貨が存在するから。この通貨で課金はもちろん、ネットショッピングもできるし、現実のお金とのトレードもできる。


「ボクには固定の視聴者がいる。彼らにも久々に挨拶しようかな」


 ゲーム配信はそれなりにやってきた。同接は固定の視聴者の8人。それでもそこらへんの底辺配信者よりも視聴者がいる。底辺の中のトップとも呼べる存在だ。


 卵型カプセルに座り、手元の電源のスイッチをいれる。カプセルの天蓋が閉まり、視界には数多くのデータを読み込むウィンドウが開き、仮想空間への接続が知らされる。


 意識が一瞬遠のき、意識が仮想世界につながる。仮想世界で最初に読み込まれるのは視覚、そして触感。次々と六感が適合されると、仮想空間が鮮明になっていく。


 目を開けば、日当たりの良いを庭付きの家がある。本棚にはこれまでやってきたゲームが並んでいる。日差しを浴びながら宙に浮かぶ歯車をタッチして各種設定をする。


「よし、配信設定をオンにするぞ」


 半透明のタブレットでどんな配信をするか決める。配信者を三人称視点で見せるのをライブと呼び、配信者と同じ目線を見せるのをダイブと呼んでいる。


「視聴者には自由にしてもらいたいから、ライブ配信にしようかな」


 細かな設定を終えると、ゲーム開始前から配信をつける。配信タグに《終末のエリュシオン》とつけると、それだけで数十人の視聴者が現れた。初見プレイに釣られたのもある。


 まだ早朝にも関わらず集まるということはそれだけ人気があるということ。視聴者の中でコメントをしてくれるのは一握りだ。


 昨日まで敗残兵だったボクは、どんなことを言われても耐えられる自信があった。


 雪城:『おはようヽ(=´▽`=)ノ』

 人参太郎:『はよ、こんな時間から珍しいな、休みか?』

 雲行き綾憂:『おはよう〜』


 コメント欄には「おはよう」という陽気なスタンプを送ってくる人がいる。雪城さんに、人参太郎さん、雲行き綾憂さん。いつもライブに来てくれる人たちだ。


 彼らに軽く手を振って挨拶する。


「いらっしゃい〜。今日はなんと当選したエリュシオンをやっていくよ。ゲームを楽しむからみんなからの反応に遅れちゃうかもだけど許してね」


 簡単な自己紹介をしてエリュシオンが起動するまでを繋げる。


「ボクは嘉六カロクって名前で成人済みの独身貴族だ。ゲームは色々やってるよ。最近までハマってたのはエコーボックスかな」


 エコーボックスは密室の中、音の反響によって発生する音波を武器に戦う対人ゲームだ。壁や床を叩けば、音波となり、その衝撃に触れるとライフが減る。音を鳴らすよりも音波を避けられる奴が強いゲームだ。


「だからってわけじゃないけど、それなりに戦うのは得意な方だよ。エリュシオンはみんなと同じで最近まで待ち望みにしてたから、嫌味やっかみなんてのは心に秘めてた。けど、ここに来たなら楽しむことを忘れないで欲しい」


 アンチコメを事前に防ぐような保守的な行動だ。配信に来る人にはそれぞれの理由があるが、一番は楽しみを探していること。それを忘れずにいてほしいという願望だ。


 話しているうちにエリュシオンのインストールが終わった。エリュシオンの世界への扉が現れ、コメントが湧き上がる。


「楽しむぞ!」


 純粋な気持ちで扉を潜る。


 扉の先に待っていたのは、自分の全体像が映し出された鏡だった。容姿と名前の設定ができるようだ。容姿はリアルの自分を映し出したものではなく、アカウントに設定してあるアバターを使用する。


 アバターは黒髪の天パで一般的な平均男性よりも小さいくらい。体型は細マッチョとリアルよりも力がありそうなイメージ。顔はリアルよりも良さげに設定する。


 別人格:『童顔なんや』

 雪城:『かわいいですよね、あげませんよ』

 雲行き綾憂:『やめて、わたしのよ!』

 人参太郎:『うるせぇ!俺のじゃあ!』


 コメントで「童顔なんや」と言われた。初見で来た人にはよく言われる。常連3人に取り合いされるのはいつものこと。ちなみに雲行き綾憂さんは男性である。


「そうなんだよ。ボクも髭が似合うおじさんになれると思ってたんだけど、全然だめだったよ。むしろ髭が浮いてた」


 コメント返ししつつ、最後に名前を設定する。自己紹介した名前と同じで嘉六と設定し、準備完了のボタンを押す。


「よし、設定は終わった。いよいよだね」


 見ている視聴者よりもワクワクしながら始まるのを待つ。しばらくすると、急激な眠気に襲われた。


 揺れる視界が少しずつ暗くなり意識を遠のく。エリュシオンのプロローグを履修しておいてよかったと思えた瞬間だった。

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