善良者の歌

てると

善良者の歌

 大学の先輩と半年ぶりに再会した。そして、僕たちは数多くのクリエイターと偶像の集まる集会に向かうことになった。


「カントとシェリングで美学をやるっていうのもいいけど、やっぱり、群馬の田舎で、ブックオフで100円で買ったニーチェを読んでいた若者がいたってことは、美しいことだと思うよ」

「いや?…だからあ、対象に美を見出すなよ。美は主観にあるんだよ」

「面倒くさいなあ。そこらへんの対象なんかに美を見出していると偶像になっちゃうのかな?」

「いや、この集まりだって、偶像じゃん。だから作品好きなんだって」


 こんな調子で列に並びつつ会話をしながら、会場が開くのを待っていた。


 開会して、会場に入ると多くの中高生、20代の若者たちがそれぞれの好きなクリエイターのグッズを手に入れるべくそれぞれの目的地に向かった。僕たちも目当てのところに向かった。

 全身黒服で黒いマスクをした黒髪の青年が、物販にサインをすべく立っていた。その横で商品を販売していたのは、なにやら10代のメンタル不調そうな少女たちであった。

 僕はこのとき、神への信仰と若者たちの偶像の間に立ち、青年期の闇夜に煌めく明星どもに魅かれていた。僕はこの消え入りそうな夜の淡雪たちが好きなのだ。


 目当てのものを購入すると、先輩は僕がふらついている間に会場内のライブコーナーに入り込んでいた。薄暗い中、ステージ上に立つ一人に大勢の若者がペンライトを向けていた。


「生の迷路を狂おしく駆けめぐり

 私を残して早く逝ったあの善良な人々の名を呼ばわる

 ひと時の幸福にあざむかれて生の美しい季節を失ったあの人々の名を。」

 『ファウスト』のゲーテの言葉が頭の中を反響しながら、僕は思わず涙を流していた。機械音声から「キッツイねえ」と呼びかける善良な人は、笑顔を一瞬たりとも休めることなく、丁寧なサインをしながらファンたちと会話をしていた。


 僕はあの頃を思い出していた。ずっと散々な目に遭っていたはずの日々にも、僕はなぜだか苦しみを負っていなかった。それがある頃から、あれ、と思う間にあの苦しみが膨らんでいくのを止められなくなっていった。きっと、この人たちはそんな人たちの中にありながら、闇夜の雲間に伺える星座に詩を詠んでいるのだ。

 光は、感じやすく求める者のところに劇的に出現する。光を求めた詩人はついに闇を愛し抜いたと思う。狂気のないところに生存はない。全てを美しくするのは孤独と偏愛なのだ。

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善良者の歌 てると @aichi_the_east

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