跳剣の十三

跳剣ちょうけん十三じゅうぞうという男は組の者からアニキと呼ばれ大層慕われた男であった。

子供を育てたことがないというのに拾ってしまった手前面倒を見ることになったのだが彼は嫌がらずそれが責任というものだとその子供に葉月はづきと名を与え自身の元で養育した。

月光町に学校はない。

しかし十三及び組の面倒見のいい者たちが月光町含めこの世のあらゆることを葉月に教え込んだ。

 

世の理

組の掟

そして己の身を守るための術

 

剣の達人である十三はあくまでそういう名目で葉月に剣術を仕込んでいった。

彼としては自身と同じく組に属させる気は必ずしも無くやりたいことがあればそれに向かっていって良いのだと葉月に何度も伝えた。

そして彼が現世において高校生程度の年齢、背丈になった頃葉月は因幡組いなばぐみに入った。


「そうかい」


同じ組員になったことを伝えたとき十三はただそれだけ言った。

もう少し反応をくれても良いのではないかと思ったが彼らしいといえば彼らしい。

そこから彼は十三直属の舎弟として彼とともに行動をするようになった。

憧れの人のもとで過ごす毎日は葉月にとって長年待ち望んでいた日々でありスリリングな場面をいくつもくぐり抜けていったのだった。


そしてその日はゲリラ豪雨のように唐突にやってきて葉月を打ち据えたのだった。

朝から重たい雲が空を覆うそんな日だった。

いつものように任務を終えたあと五郎ごろうから留守電が入っているのに気づき再生したとき思わず相手が録音された音声だというのを忘れて聞き直してしまうほどの混乱が葉月を襲った。


跳剣の十三が失踪した


葉月は降り出した刺すような雨をものともせず曇天の下へと駆け出した。

伊達のメガネが曇るのを払うように外して乱雑に尻ポケットに突っ込むと濡れた墓標がならぶがごとき灰色に沈んだ街の隅々を駆け回った。

自分が知る限りの十三の知り合いを全て回ったが誰一人として彼の行先を知らなかったのだ。


「アニキいなくなっちまったのか?俺らの誰より傍にいたお前が知らないんじゃな…」


何人目かの人物にそう言われて体が、心がずんと重みを増す。

雨はさらに勢いをまして辺りは街灯が点き始めるほど暗くなっていた。

全力疾走して熱を帯びた体が雨に冷やされ違う熱を宿し始めていることに気づけぬまま葉月は朦朧とした頭で路地の奥の奥へと迷い込んでいった。

あの日、彼に助けられたようにまた迷っている自分を助けてはくれないかと。

 

ふらつく足元がもつれて暗い路地へと水しぶきを上げて倒れ込む。

見つけて、くれ



 

……え

……ねえ、ちょっとあなた

 

「生きてる?」

降り注ぐ雨が柔らかな声に遮られた。

薄く目を開くと目に入ったのはピンと立った長い耳。

いつか見た光景だ。

反射的に体を起こしたかったが力が入らず不明瞭な呻き声を上げることしかできない。


「うーん…生きてはいるようだけど立ちあがれそうにないわね…仕方ないですわね」


よっ、と視界が反転し抱え上げられたのがわかった。

そのとき微かに肌に触れた手は柔らかく、白い細い手だった。

その光景を最後に葉月は意識を手放したのだった。


次に目が覚めたとき、葉月はベルベットの柔らかく滑らかな感触を手に感じた。

雨に浸された衣服も着替えさせられており不快感はない。

代わりにあまりにもつんつるてんの襦袢を着せられていたのは少々気になったが。


ゆるく頭を振って辺りを見回してみればそこは開店前のバーのようだ。

しかし一度も来たことはない店のようだった。


バックヤードがら長い耳がぴょこんと伸びた。


「あらお目覚め?じゃあ熱はかってちょうだいな」


そういって体温計を差し出してきたのはうさぎの耳を持つ少女だった。

いやわからない。なにせ月光町、この世界に住む人種は皆年齢が分かりづらいのだ。

妙に婀娜っぽい口調の女性から体温計を受け取り体温をはかると平熱であることがわかった。


「どう?」


「熱は無いみたいです」


「そ、気持ち悪いとかあるかしら?」


「無いです」


「じゃあこれ食べて早く帰りなさい」


そういって女性はおじやのようなものを目の前のテーブルに置いてまたバックヤードへと戻っていった。


ほかほかと湯気がたちのぼるおじやからは優しく食欲を促す香気が鼻を擽る。

添えられたスプーンでもしゃもしゃと食べすすめると知らないはずの味に懐かしさのようなものを感じて可笑しくなった。

しかし表情には出さず黙々と完食する。


皿を下げにバックヤードののれんをくぐった。


「メシありがとうございました。あと、なにからなにまで」


酒瓶と帳簿を交互に眺めていた女性が振り返った。


「気にしないでください。見つけちゃったら放っておくのも気分が悪いじゃないですか」


そういって畳んで置いてあった衣服を葉月に手渡した。


「アイロンまではかけられなかったけど」


「いやそんなんいいですよ…着替えさせてくれたんですね、すいません」


「あのままじゃお店に寝かせておけないしね。勝手に着替えさせてもらいましたよ」


そこではた、と妙に腰回りがスースーするのに気が付いた。


「あの、下着」


「下着も悪いけど脱がしましたよ」


「あー…すいません」


なんとも気まずい気分になりそそくさと店の片隅で服を着替える。


「また改めてお礼に来ます…じゃあ…」


そう言ってまたドアを開くとまだ雨はふり続けていた。


「傘お持ちになって。安い傘だから返さなくて結構ですよ」



 

安物のビニール傘をさしながら葉月は夜の街を歩いていた。

そして決めたのだった。


翌日葉月はまた店を訪れて兎耳の女性に礼を言った。


「あの、時々来てもいいですか」


妙な申し出と思ったことだろう。

女性は目を丸くすると「お客様として来られるなら歓迎しますよ」と言った。


その日から葉月は時々どころかほぼ毎日店を訪れるようになった。

カウンターの奥の席で誰とも話さないままひたすらぼーっとしながら酒を飲んでいた。


「ねえ、もし良かったらうちで働きませんこと?」


あまりにも暇そうに見えたのだろうか、やることもいくところもなくぷらぷらしているように見えたのだろうか兎耳の女性が声をかけてきた。


「接客とかはいいのでちょっとした掃除とかの雑務をお願いしたいの」


 

葉月はぼんやりした目で、逡巡するそぶりを見せた後小さく「やらせてください」と言った。


かくして葉月は兎耳の女性―雪姫ゆきのもとで働くことになった。

時々葉月はこの時の事を思い出す。

自分は兎耳の人物に救われる運命にあるのだろうかと。

今日はトイレ掃除をしながらぼんやりと考えていた。

掃除を終え、洗剤を流す。

泡が激しい渦にのまれて深淵へと消え去っていった。







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