第三話 襲来

 千草と夕の出会いから三年後の春。二人は子宝に恵まれた。黄昏時たそがれどきの夕陽に包まれながら、生まれたばかりの我が子を抱いて、二人は幸せをかみしめた。夕は初めて喜びという感情で涙が流れることを知った。


赤子の額に角は生えていなかった。


二人は赤子を太郎と名付けた。どうか人の子として真っ当に育って欲しい。人間界にありふれた名前を選んだのはそんな願いからだった。太郎は半年のうちに健やかに成長していった。鬼らしい特徴も発現することはなく、二人は安堵していた。



 しかしその一方で、鬼城山きのじょうざんに住む二本角族の頭領にとある情報が伝わるのだった。それは山の麓に片角の鬼と人間の女が暮らしているというもの、そしてその女が神通力持ちだという情報だった。情報の出どころは一族の食料調達係からだった。


 ある日いつもより下流の方まで魚を取りに行った際、知らぬ間に見たことの無い場所にたどり着いたという。よく調べてみると、その一帯には結界のようなものが張ってあり、何故か川からは侵入できることが分かった。そしてそこで見た一部始終を頭領に伝えたのだ。


 三年前に夕が川を流れてきた時に、桃の木の結界に穴が開き、綻びが生じていたのだった。


二本角族の伝承では、神通力持ちの人間を食らうと凄まじい力を得られるとされている。鬼ヶ島を占拠しているという鬼の総大将も同じく二本角であり、神通力持ちの人間を多く食らったという。そんな神通力持ちを、よりにもよって集落から逃げ出した片角が独り占めするなど許されるはずがなかった。

頭領はすぐさま群れを率いて、泳いで川下へと向かった。


 数刻後、桃の木の結界の内側に異様な気配を漂わせた鬼達が現れた。夕は異変に気づき、最愛の人と我が子を家の中に残して一人で外に出た。川の方から、ずぶ濡れの鬼たちが続々と結界の中に入って来ている。


夕は、三年前の千草の言葉を思い出した。

『桃の木の結界の中に鬼は入って来られないはずだから、あなた本当は鬼じゃないのかもしれないわね。』


”……もし、あのとき、俺のせいで結界が破れていたとしたら。”

そんな考えが夕の脳裏をよぎり、どうしようもない罪悪感に押しつぶされそうになっていた。


「何をしに来た!何が目的だ!!」

夕はその罪悪感を振り払うように叫んだ。

「神通力持ちの女を出しなァ!そしたらお前の命だけは助けてやる!」

頭領が鬼達の群れの前に出ながらそう返す。

”俺からまだ奪おうというのか。そんなことは絶対に許さない。”

「ふざけるな!彼女は絶対に渡さない!」

「そうかい、だったら実力行使だ。」


それから一呼吸置いて、頭領から大きな声があがった。

「片角野郎を殺せぇ!女は生け捕りだ!」


 一斉に二本角の鬼達が突撃してくる。一転して砂塵と血煙が舞う。抵抗も虚しく夕の体は瞬く間に傷だらけになっていた。刀、槍、金棒。人間達の武器を真似て独自に発達してきたそれらは彼一人を痛めつけるには十分すぎる代物だった。あまりの痛みに夕はくぐもった声を漏らす。


千草はというと、戸の隙間から何が起こっているのかを一部始終みていた。


「神様!どうか彼を助けて!」

そう咄嗟に願った。強く、強く、願った。


刹那、夕の角が青白く光輝き出した。いや、正確には角ではない。その光は夕の額の左側から放たれていた。本来角が無いはずの左側から光る角が生えているのだ。そして光とともに全身の傷は再生し、夕の身体には今まで感じた事がない程の強い力が漲っていた。


 人間の思いの力。それは全くもって底が知れない。人が思い願う力は、時に奇跡をも起こす。特に愛という感情はとてつもない力を秘めている。彼女の思いが、彼女自身のもつ神通力を何倍、何十倍にも膨れ上がらせ、夕を助けたのだ。


「あぁ、この力は…千草なんだね…。君にはいつも助けられてばかりだな。」


そこからの夕の反撃は凄まじいものだった。愛する人達を守り抜くために、死力を尽くして戦った。向かってくる屈強な戦士達を体ひとつで薙ぎ払い蹴散らす。しかし多勢に無勢。二本角族も手強かった。長く続いた闘いは夕が頭領と刺し違える形で幕引きとなった。


一方その頃、千草も危機に瀕していた。鬼たちが家に押し入って来たのだ。


「女ァ!美味そうだなァ!」

「お?ガキもいるぜ!こいつァ儲けもんだなァ!」

鬼達が太郎に手を伸ばす。

「この子だけは渡さない!!!」

千草は身体を張って我が子を守ろうとした。鬼の手が千草に届きそうになった瞬間、胸元にあった桃の形をした首飾りが強烈な光を放った。

「何をしやがるっ!!」

鬼達は反射的に目を閉じた。


光は瞬く間に収束し、一筋の光線となって鬼達を次々に捉えた。狙われた鬼達は断末魔を上げながら燃え盛る業火に焼かれ、最後には跡形もなくなって消え失せた。


はじめは何が起きているのか戸惑う千草だったが、母親の形見だという桃の首飾りが、自分たちを護ってくれたのだとすぐに理解した。

「お母さん…ありがとう。」


ふと、家の外から聞こえていた声や、武器の音が止んでいることに千草は気付いた。


“そうだ。夕は?“


千草は太郎を抱え、静まり返った庭へ飛び出す。無数の鬼たちが血を流して倒れている中に、夕が横たわっている姿を発見した。急いで駆けつけた千草の目からは涙が溢れて止まらない。


「死なないで!…死なないで!…夕!」

必死にそう叫んでいた。

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