第二話 希望

 翌朝。差し込んでくる陽の光が眩しくて、俺は目を覚ました。見知らぬ天井、見知らぬ部屋。傍らには人間の女が寝こけている。状況が理解できずに固まっていると、女が目を覚ます。


「あ、気がついたのね。ごめんなさい私ったら寝ちゃってたみたい。」


女は愛嬌たっぷりで苦笑いする。身体を起こした女の胸元には可愛らしい桃の首飾りがきらりと揺れているのが見えた。


「お前が俺を助けたのか?」

「ええ、そうよ?」

「…俺が怖くないのか?」


そう問うと、女の視線が俺の額に移る。少しして、女が微笑みながら口を開いた。


「ちょっとびっくりしちゃったけど、鬼ってもっとおっきくて熊みたいな感じを想像してたから、大丈夫みたい。…それに、桃の木の結界の中に鬼は入って来られないはずだから、あなた本当は鬼じゃないのかもしれないわね。」

「…そうか。そうだよな。こんなに弱そうな奴、もう鬼ですらないのかもな。」

ろくに食べていないせいかやつれていて、身体中傷だらけだ。

“あぁ…腹が減った。魚の干物も食いそびれた。何もかもこの片角のせいだ。人間の女に助けられるなんて、自分がつくづく嫌になる。“


俯いていると再び女が口を開く。

「あたしは水戸瀬 千草!あなたは?」

「名前は…無い。」

女は黙ってしまった。気まずい沈黙が続く。

「………物心つく前に親に捨てられたからな。」


 俺は沈黙に耐えかねて、そのまま片角のせいで親に捨てられたことや、同じ集落に住む鬼達からも酷い扱いを受けていることをうち明けた。別に言いたかった訳ではないけれど、人間とはいえ命を救ってくれた者への態度として、だんまりを決め込むのは少し憚られたのだ。それに、二本角の鬼達よりも、この人間の方が遥かに信用できた。


 俺が話を終えると、目の前にいる独りぼっちの鬼と彼女自身を重ねてか、今度は彼女が身の上について語り始めた。


 彼女は幼いころ、原因不明の大規模な災害に巻き込まれて両親を亡くしたらしい。当時住んでいた島で数少ない生き残りなのだという。

彼女を育ててくれたのは一緒に島から逃げてきた千代ちよというお婆さんだそうだ。数年前、お婆さんが人探しの旅に出てからは、一人でこの川辺に住んでいるとのことだった。


 確かに家は見る限り質素な作りのあばら家で、春先とはいえ隙間風が少し肌寒い。しかし、お婆さんに一通り生活出来るくらいには育てて貰ったので心配ないと彼女は笑った。


 到底普通とは言えない生い立ちだが、それを微塵も感じさせないほど人一倍明るく元気な娘だ。加えて、彼女の体からは微弱ながら不思議な力を感じ取れた。注意深く意識を向けると彼女の身体の周りが薄ぼんやりと淡く光って見えた。生まれながらの体質なのか、何か特別な血筋なのかはさておき、本人はそれに気づいていないようだ。


 人間は弱い生き物だと聞いていたが、そんなことはない。この娘は強い。こんなにも生命力で満ち溢れているのだ。彼女が島で生き残ったのもなんとなく腑に落ちた。

 彼女の生い立ちを聞いて、自分と同じように孤独の身でありながらも、力強く生きるその姿に希望の光を見たような気がした。


「せっかくだからつけましょうよ!名前!」

彼女は身の上話を終えると唐突にそう言いだした。


「いや、俺はべつに…。」

「いいからいいから!そうね〜、ユウなんてどうかしら?私があなたを見つけた時すごく綺麗な夕焼け空だったのよね!」

自分の名前なんて考えたこともなかったので、すぐに言葉を返せなかった。

「気に入らない?」

「…いや……なんでもいい。」

「じゃあ決まりね!」

ニコニコと彼女が笑う。

「そういえば夕は、帰る場所あるの?話を聞いた感じ困ってるんじゃない?」

今度は何か含んだ言い方だ。

「……ないな。」

「じゃあここに住むといいわよ!男手が欲しかったのよね!」

「なっ!おまえ俺は鬼だぞ?!」

「あら!命の恩人を取って食べたりするの?」

「…しないけど…。行く当てもないし…まぁいいか。…助けてくれてありがとう。」

「よし!そうと決まればご飯にしましょう!準備してくるからまだ寝てていいわよ!」


そう言って楽しそうに朝飯を作る彼女を見て、俺は気が緩んでまた眠ってしまった。




 それからというもの、二人は川辺の家で協力してくらすようになった。質素なあばら家を改良し、立派な造りの家が出来た。見よう見まねで風呂や厠も取り付けた。庭に畑を作ったり、薪を割ったり、力仕事は夕が受け持った。千草は今まで通り山菜を採りにいったり、食事を作ったりした。家を任せられるので、時には旅人に変装して人里で必要なものを揃えたりすることもできた。


 互いに助け合って生活している若い男女が恋に落ちるのに、そんなに時間はかからなかった。

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