第11話 魔王の転身
何があろうと魔王さまについて行く。そう話した翌日、私たちの住む一帯が大きな地震に襲われた。
冥王庁舎も猛烈に揺れて、棚から器物が次々と落下した。
老朽化した庁舎が崩れる恐れがあることから、鳴動の合間に私たちは階段を駆け降りたが、堅牢な石造りの階段がうねって見えた。
ようやく外へ出た瞬間、庁舎の真向かいの商店の前に停車していた荷車が余震ではね上げられ、横倒しになった。
こんな規模の地震は今まで経験したことがない。
自宅の妻子が心配だからと帰宅する魔王さまに途中まで同行した。
看板などが崩落した街並みを眺めながら、混雑した道を歩く。
言葉少なに歩いていた魔王さまがボツリと言った。
「この震災は大変な試練だが、ある意味、我々にとっては天の配剤かもしれんな」
魔王さまの言葉の意味はわからなかったが、聞き返すのがはばかられた。
口調から重い決意が感じられたからだ。
この日、震災による直接の被害者は多くなかったが、続いて襲来した津波による被害は悲惨だった。
沿岸部では数千名が死亡し、多くの船が転覆・座礁した。
翌日から私たち冥王庁の職員も、巡視や復興協力に駆り出された。
そのため私は同行できなかったが、魔王さまは冥王さまの邸に単独でおもむいたという。
表向きの用件は震災後の冥王庁の方針についての打ち合わせだったが、実は魔王さまには別の目的があった。
久しぶりに向き合った冥王さまに魔王さまはこう切り出した。
「実は一身上の都合から、今月いっぱいで退庁させていただこうと思っています」
腹心の部下の辞意を聞いて、冥王さまは焦った様子だったらしい。
「うちの長男が無茶をやっているということは私の耳にも入っている。君にも迷惑をかけたことだろう。それが理由かね?」
魔王さまはかぶりを振った。
「いえ、確かに方針は合わないのですが、それが直接の理由ではありません。実はやりたいことがあるのです」
冥王さまは首を傾げた。
「やりたいこととは何だね?」
出された茶を一口飲んで、魔王さまは言った。
「間もなく売りに出る辺境領の買収です。おそらく今回の震災であの地の価格は下落し、私個人でも買収が可能となると思います。辺境領を自領とし、領主として治めたいと考えています」
冥王さまは呆れたように首を振った。
「君も物好きな男だね。あんな片田舎の領主になりたいとはな。冥王庁での地位を返上するほどの価値があるとは思えんが」
魔王さまは笑った。
「ご存じのように私はあの領の人々に恩義があるのです。放埒な振る舞いで放校になった私を受け入れてくれたのは辺境領の人々でしたし、前妻が今では村長の一人となっています」
冥王さまは白髪をかき上げながらうなった。
「そうか、エセルが辺境領にいるのか。それならば君の決断もわからないではない。しかし、改めて聞くが、うちの長男をどう思う」
魔王さまは表情を崩さず答えた。
「彼の方針をとやかく言うつもりはありませんが、あなたが理想とした冥界や冥王庁のありようから遠ざかるでしょう。ここでの私の役目は終わったと思います」
冥王さまはため息をついた。
元々果断な性格ではなかったが、年老いてさらに気力が湧かなくなった。
伸び盛りの息子に意見し、強硬な姿勢で趨勢を変える力はもう自分にはない。
しばしの沈黙の後、冥王さまは顔を上げた。
「なるほど、わかった。君を失うのは心から残念だが、意志を尊重しよう。辺境領の取得には私も力添えするつもりだ。長い間、ご苦労だった」
魔王さまは最後の願いを聞き入れてくれた上司に丁寧に礼を言い、振り返ることなく邸を辞去した。
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