第十八話 踊るもの

 知り合いの編集者から聞いた話だ。

 ある時Mさんという男性作家が、海沿いに建つ中古の別荘を購入した。

 その別荘は高台にあって、二階の窓からやや遠目に、雄大な崖と海が臨める。崖はメインの道路から外れているため、人が訪れることもほとんどなく、晴れた日などはまさに絶景である。

 それでいて、値段も格安だったという。

 もちろん、格安なのには理由がある。

 一つは、潮風で建物全体にガタが来ている、ということ。

 もう一つは――崖の上に、時々そうだ。

 幽霊ではない。生きた人間である。

 それが、崖の上に立つ。素直に海だけを眺めて引き返してくれればいいが、時おり、そのまま海に向かって飛び下りていく者がいる。

 仮に窓からその瞬間を見てしまえば、通報はMさんの義務になる。

 この別荘はなのだ――という事実に、Mさんは引っ越してから一月ほど経って、ようやく気づいたそうだ。

 問題の窓がある部屋を、Mさんは仕事部屋として使っていた。しかし格安の理由に気づいてしまってからは、昼でもカーテンを閉じるようになった。安物買いの何とやら、である。


 ある春のことだ。

 よく晴れた朝。仕事部屋の空気を入れ替えようと、Mさんが久しぶりに窓のカーテンを開けて外を見ると、崖の上で何やら動いているものが見えた。

 遠目には、人の形に見える。

 しかし、やけに細い。

 色は白く、朝の陽光を浴びて、キラキラと輝いて見える。

 海面の照り返しと相まって、何とも幻想的な光景に思える。

 その人型は、朝日に輝きながら、頻りに手足をカクカクと動かし、まるで踊っているかのようだった。

 Mさんは、しばらくカーテンを開け放しておくことにした。


 ところが、仕事を始めてから数時間後――。

 Mさんが休憩がてら窓の外を見ると、朝の人型が、まだ同じ場所にいる。

 キラキラと輝き、カクカクと踊っている。

 変だなぁ、と思いながら仕事に戻った。

 しかし、それからまた数時間して窓の外を見たところで、Mさんは思わずゾクリとした。

 ……が、まだ踊っている。

 夕日を背に黒く染まりながら、カクカクと、休むことなく動き続けている。

 Mさんは恐ろしくなって、警察に通報した。

 それからもう一度窓の外を見ると、つい今までいたはずの何者かは、すっかり姿を消してしまっていた。


 翌朝、付近を捜索した警察が、崖の下に一台の車を見つけた、と報告してきた。

 車はほぼ水に浸かり、車内で男性が一人、息絶えていた。死後、丸一日は経っていたそうだ。

 車が落ちる瞬間を見なかったか、と聞かれたので、Mさんは知らないと答えた。

 それから何年も経った今も、この別荘はMさんが所持している。しかし、二階の部屋の窓は、ずっとカーテンを閉ざしたままだ――ということだ。


  *


 『絵本百物語』に「みぞいだし」と題された章がある。昔、戸根の八郎という者が死んだ家来を弔わず、負櫃おいびつ(物を入れて背負うための箱)に亡骸を詰めて海に捨てたところ、負櫃は波で元の場所に打ち上げられ、中の白骨が歌声を上げた。その後八郎は戦で命を落としたが、その場所は彼が家来を捨てた地だったという。

 また同書に描かれた絵では、つづらに入れられて打ち捨てられた亡骸なきがらから白骨だけが分かれ、つづらを破って顔を覗かせている。

 Mさんが窓の外に見たものも、もしかしたら、亡くなった男性の白骨だけが迷い出たものだった……のかもしれない。

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