第十九話 母の思い出

 関西で占い師をしているAさんは、幼い頃に母親と死別している。

 なので母親についての記憶は、どれも朧げなものばかりだという。

 だが、その内容が、どうにも奇妙なのだ。

 例えば――部屋で母に遊んでもらった時のことだ。

 母は、四つん這いで座敷の中をぴょんぴょんと跳ね回っていた。

 そしてAさんの周りをぐるぐると回り、時々頬を嘗めた。

 幼い頃のAさんは、それが面白くてキャッキャッと笑っていたが、成長してから思い返してみると、あれはいったいどういう遊びだったのか――と不思議に思うのだそうだ。

 また、こんなこともあった。

 夜、部屋で寝ていた時のことだ。

 Aさんの布団の左隣には、父の寝る布団があった。

 反対側の右隣には、母が寝ていた。だが、そちらはなぜか、布団が敷かれていなかった。

 Aさんが夜中にトイレに行きたくなって目を覚ますと、母が起きて、Aさんの手を引いて、トイレまで連れていってくれた。

 真っ暗な廊下を歩きながら、母は時折、正面の闇に向かって、唸り声のようなものを上げた。

 母の目は、丸く光っていた。

 Aさんはそれを見て、なぜかとても安心したそうだ。

 一方で、普通なら存在するべき記憶が欠けている場合もある。

 例えば、母と一緒に食事をした記憶がない。

 思えば食卓では、いつも父と二人だったように思う。

 保育園の送り迎えも、父にしてもらっていた。母が働きに出ていたのかは分からないが、そう言えば自分が母の姿を見たのは、いつも家の中でだけだった気もする。

 何より奇妙なのは――Aさんが中学生の時のことだ。

 当時、すでに母とは死別して、かなりの年月が経っていた。

 ある日、家の中を掃除していて、古いアルバムを見つけた。

 好奇心から捲ってみた。

 生前の母を撮った写真が、何枚かあった。

 いずれも、Aさんが生まれる前のものだ。

 Aさんと母が一緒に写った写真は、ない。

 気になって、父にそのことを尋ねてみた。

 父は何とも言えない顔で、こう答えたそうだ。

「お母ちゃん、Aを生んだ直後に亡くなっとるからなぁ」

 ……だとすると、Aさんの記憶にある母親は、いったいだったのだろう。

 すでに父も他界した今、確かめるすべはもうないという。


  *


 『絵本百物語』にも載る「くず」は、よく名の知れた狐である。女に化けて安成という美男と交わり、子を成して夫婦となったが、正体を知られ、泣く泣く夫と子のもとを去り自害した。この話は後に『あし道満どうまん大内おおうちかがみ』として狂言化されている――と、同書では語られている。

 さて、Aさんの記憶にある母親は、果たして何者だったのだろうか。

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