第6話
暗闇のなか、僕はまろが入ったトートバッグを自転車のカゴに入れて、目的地へペダルをこいだ。
「ちっち、コンビニ通り過ぎたでぇ」
トートバッグから顔をちょこんと出したまろが、コンビニの灯りに照らされ少しきょとんとしているのが見えた。
僕は何も言わずペダルをこぎ続けた。まろもそれからはなにも言わず黙っていた。
家を出てから30分くらい経っただろうか。僕は自転車を止めた。そして、まろをトートバッグから出して大切に抱きかかえて少しだけ歩いた。もう五月とはいえ、夜の海風が当たると半袖ではひんやりと感じた。
「ちっち、海に来たんかぁ。気分転換でぶか?」
まろが久しぶりに口を開く。いつもと違って、少しだけ不安そうなのが僕にはわかった。
「海やでぇ」
僕は小声で呟いた。
真っ暗な海は、まろや僕なんていとも簡単に深い深い場所へ連れて行ってくれそうな、そんな風に僕には思えた。そして、それを怖いとは感じなかった。正直に言うと、波にでも襲われて今ある悲しみや虚しさ、自己嫌悪そんなものたちと一緒に僕も深い深い底へ連れて行ってくれたら、そう願ってしまっていた。
「ちっちー。穏やかやなぁ。波一つ立っとらんでぇ」
僕のそんな願いとは逆に、まろの言うとおり不思議と波一つない穏やかな海が僕たちの前には広がっていた。
「ちっち、まろになんか話したくてここに来たんちゃうんか?」
始めは消えてしまいたくてこの場所に来たんだと思う。でも、あえてこの場所にまろを連れて来たということはまろの言うとおり、僕はまろにあのことを話したかったのかもしれない。誰にも話さないと決めていた、母親のことを。
「ちっちなぁ……警察に捕まったことあんねん。逮捕されたねん」
「なんで?ちっちなんか悪いことしたんかぁ?」
まろは驚くというより寧ろ心配そうに僕に尋ねてきた。
「お母さんをなぁ怪我さしたねん。スロットに行くお金がどうしても欲しくて。頼んでも断られて喧嘩んなって……。お母さん、突き飛ばして脚を骨折させてなぁ」
まろは黙っていた。僕はまろをギュっと強く抱きしめて、話し続けた。
「しばらくしたら前の会社に警察来てなぁ、そのまま傷害罪で逮捕されたねん。罰金ですんだけどなぁ、仕事もやめたし、そんとき付き合ってた彼女とも別れた。てか、ちっちから逃げたねん。戻ったりする勇気ちっちにはなかった」
暗闇のなか、僕の声だけが響いていた。
「そのあとお母さんとも会っとらんかった。そしたらなその数年後にな……」
僕は言葉に詰まった。でも、まるで暗い海のなかへ投げ捨てるように、その先をまろに話した。
「お母さんこの海でな、死体になってみつかったって。自殺やったって。そんときさえちっちは逃げてなぁ、最低限のことしかしとらん。今骨がどこにあるんかも知らん。ちっち最低な人間やねん。ちっちがお母さん殺したみたいなもんやねん」
涙が下に落ちてまろにかからないように、僕は横を向いた。なぜだろう、夜の海はこんな話をしても波一つ立たない。
静寂を破るようにまろの声が久しぶりに聞こえた。いや声ではなく、それは寝息だった。
「まろ。かわいいうさぎのまろちゃん」
「はにゃ……。まろ寝とった?」
僕はバレないように涙を拭って、今までで一番強くまろを抱きしめた。
「ちっちー、お家帰ろやぁ。まろケーキいらんけぇ。お家帰ろうでぶ」
僕は首を横に振った。
「ケーキは買って帰るねん。約束やろ」
まろは嬉しそうにぴょんぴょんと跳ねた。かわいいうさぎさんそのものだった。
「まろなぁ、ちっちの正直なとこ大好きやねん。まろにはいつも本当のこと言ってくれるもん。だからなぁ、まろもちっちに本当のこと言って良いか?」
「なんやねん。怖いけどええで」
「まろなぁ、ちっちとずっとこれからも一緒におりたい。でぶ。」
「ちっちもやでぇ。ありがとうなぁ」
そのとき、僕たちはもう暗い海は見ていなかった。空一面に広がる星空を眺めていた。この辺で星がこんなにも広がるなんて、今日はとても不思議な日だ。
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