第5話

 仕事もせず傷病手当金でスロットだけをする生活も2ヶ月ほど経った。いよいよ会社の方もプレッシャーをかけてくる。本来傷病手当金はまだ権利としてもらえるはずだけど、そんなに甘くはない。正社員でもない僕を会社も悠長に復帰を待つより、新しい人間を入れた方が良いに決まっている。要は、「復帰できないなら辞めろ」それが会社側のメッセージだ。当然といえば当然だった。

 この頃になると、スロットへ行く気力もなくなっていた。というより、まずお金がなかった。そして、退職すればその傷病手当金すら入らなくなると考えると、不安で何もする気が起きなかった。本来は動かないといけないはずなのに。生きているだけで精一杯というか、正直生きることに疲れてさえいた。

 まろも僕も、一日中ベッドの上で横になってなんにもせずに過ごしていた。

 「はにゃ……」

 たまにまろの溜め息が、狭く重苦しい部屋の中に響く。

 「ちっちはこれからどうするん?」

 「知らん」

 「はにゃ……」

 僕の腕を枕にしているまろから再び溜め息が溢れ沈黙になる、そんな繰り返し。現実逃避するためにもう一眠りしようとしたとき、まろが不意に口を開く。

 「ちっちなぁ、親さんのとこへ帰ったらええねん。ちっちくらいの人もたくさん親さんとおるって、前テレビで言うとったでぶ」

 確かにそんなテレビを一緒に見たがよく覚えているもんだ。

 「そしたらまろどうするねん?てかなぁ、ちっち親おらんねん。実家はないの。頼れる人もおらん」

 まろは少しバツが悪そうにしつつも、聞かずにはいられないといった感じで更に続けた。

 「ちっち、お父さんとお母さんおらんのん?」

 「父親はちっちが子どもの頃病気で死んだ。母親は……」その先の言葉をかき消すように、僕は逆にまろに同じ質問をした。

 「まろにはお父さんとお母さんおるんか?」

 まろは迷うことなく答えた。

 「まろもおらんでぇ。まろなぁ、浪速生まれやねん。せやけんなぁ、そこの人たちが親といえば親かなぁでぶ」

 まろに貼り付いているタグには、製造元として大阪の工場の住所が書いてあった。だから浪速生まれらしい。そして、時々使う変な関西弁も、僕の真似をしていた訳ではなかったようだ。浪速生まれなら当然である。寧ろ僕の方が少し恥ずかしくなった。

 両親のことなんて、もう誰にも話すことなんてないだろうなって、そう思っていた。もちろん、質問されることはあっても嘘をついて適当なことを言っていた。特に母親のことは……。誰にも言えるはずなんてないから。墓場まで持っていこうと決めていた。

 「まろ、ケーキでも食べるか?」

 「はにゃ!ええんか?ならなぁ、まろ、チョコレートケーキ食べたいねん」

 嬉しそうにまろが答える。

 「一緒に買いに行こうや。好きなん買ったるけん」

 「はにゃ。まろお出かけ緊張すんねん。まぁ、好きなスイーツ買ってくれるならええでぇ」

 僕はまろを少し大きめのトートバッグに入れて、自転車で出かけることにした。まろと一緒に外へいくのはこれが初めてだった。でも、その時の僕は、これが最初で最後になるかもな、そんな気持ちを正直抱いていた。

 僕が向かったのはスイーツがあるコンビニではなく、ずっとこれまで避けてきた場所、ずっとこれまで逃げてきた場所だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る