桑の中の接吻

貮百免倖樺(にひゃくめんゆきか)

遊馬厳秀(あすまたかほ)


 僕は生まれの家の近所である貮百免神社に出勤する。遊馬家やその多分家の人間は代々貮百免家の「お器様」や貮百免家に仕える。馬家、燕昇司家、その他四家は表向き、世間様向き、世間体ではお器様や貮百免家へのお志で将来を決める、そんな体をしている。仮面故に涼し気なそんな顔をする。だが実際はお器様や貮百免家に仕えなければ「仕でなし(しでなし)」そう呼ばれる。仕でなしと呼ばれた者たちは男なら人であることを無視された扱いの上重労働や酷い呪いの汚染を受ける仕事に就かされ女性ならただの胸の付属品としてしか扱われない。性自認なんて贅沢品であることをこの一族で生きていると実感する。それに反したのならこれから先は噂噺でしかないが見世物小屋へ売られたり、「しょうしょう様」への「伽者」にされるらしい。伽者とは何か。僕の口から詳しくは言えないがただあの一面から分かるように、この一族は汚いものを麗句でフタをする。

 そんな分家は神社と本家である貮百免家を環状に囲む形で存在している。まるでどの分家も抜け駆けは許されない様に。お手手繋いでゴールテープを切るかの様に。眼を瞑り笑い合ってるがその眼は薄らと開けられ、監視し合うように。それが暗黙の了解であるかの様に。親睦会で多言と共に銀の食器を各々用意し、甘言を言い合う様なそんな分家の関係。

 そんな一族の頂点に君臨する貮百免倖樺の仕執に僕、遊馬厳秀は選ばれた。望もうと、望まなかろうと。先程仕執と言ったがお器様に仕える者は最仕執と称される。ちなみにお器様候補の者たちは器人と呼ばれる。

 だがお器様なんて綺麗事。「十二珠」の器だ。どうなれば十二珠の器になれるのか。それは十三環の儀式の後、一つの最高儀式を迎え、先に完成された十二珠の前でえきえき様の辞(ことば)に沿って器の中の生命を摘まれる。

 ここから先の考えは一族に知られてはいけない僕の本心。

 人の心には「信仰の種」がある。この種が育てば信仰対象を創り出す。ほとんどの地には信仰がある。これは人類の心に信仰が織り込まれている証左なのではないのか。その種が芽吹いた末の悲劇。

 本当はみんな眼が覚めている。でも命綱があっても足場から落ちるのが怖い様にみんなこの信仰ごっこを辞めるのが怖い。その恐怖を信仰の深さで催眠をかけてみんなで眼を瞑り合って慰めの言葉で催眠をかけ合ってその末が石の下に埋まった幾つもの鮮やかな芽の残骸だ。

 この一族の考え方ではその芽の残骸は哀しいものではない、人智を超えたものへの畏敬の象徴とされる。なので悼んではいけない。悼むとは悲しみを捧げることだ。喜ばしいものを悲しむことは喜ばしいそんな事実を否定すること。なので悼むことは喜ばしいものへの屈辱へとされる。なので僕は、この一族は圧力故の犠牲者である彼等彼女等を悼むことは赦されない。

 そんな規則の様な気遣いと言う首輪を何重にも付けられ僕たちは生きる。やがてその首輪は口をも塞ぐ。

 それはやがて僕の息を詰まらす。

 そんな想起を走馬灯の様に走らせて、視界の端にシアターの様に映し、僕は歩を進める。周りの風景はスクリーンの様に。

 朝特有の麻酔の様な感覚で満たされた、夜の端特有の無機質さが僅かに熔けた早朝が外を満たす。容器の中をホルマリンで満たすように。何にも触れさせたくない様に。それは一種の執着を思わせる。

 そして僕はお器様の部屋である央座の宮に入室するための作法をこなし、お器様に入宮の許しを求める。そして入れよ、そう側近の声が聞こえたので僕は覚悟を決め入宮する。

 お器様は央座に鎮座していた。その表情は麻痺と言う麻酔で何もかも忘れている、意識を解離と言う麻酔の中に溺れさせている、そう少なくとも僕に思わせる表情だ。僕と一部の現実から離れていない人間以外がその表情を見たのなら聡慧だと評するのだろう。きっとほとんどのこの一族の人間はもう現実を生きていないのだろう。よっぽど愚鈍な人間以外は。

 お器様こと貮百免倖樺様の尊顔を恐る恐る見る。僕と倖樺は瓜二つだと幼き頃から何度も言われてきた。酷いときなんて倖樺様が遊馬家に迷い込んできたと勘違いされたこともある。貮百免家の使用人が僕を貮百免家に本人の感覚では連れ戻したのだろう、連れてかれて倖樺様と僕が鉢合わせたときの使用人の顔は本当に驚いていた。

 一族と血は繋がっていないが僕の家にいた梟のお婆は僕と倖樺様を生まれ方を間違えた片割れ同士だと言っていた。ちなみにその梟のお婆は十二年前に異端として極秘のうちに私刑に処され殺されてしまったが。梟のお婆が無理やり僕との時間を作ろうとしたあの夜を思い出す。その次の日に梟のお婆は花と散った。人々が狂うとされる満月の夜だったのをよく覚えている。

 僕は黒い髪に白のメッシュが入った地毛で碧い眼をしている。対して倖樺様は白髪に黒のメッシュが入っており、楔石を思わせる黄金の眼を持ってらっしゃる。まるで対になる様に。

 央座の宮には数々の儀式に使う道具が置いてあった。それは枯山水に美しく石や波を配置する様子を思い浮かべさせる。美と言う法則に則って配置されている様だった。

 僕のことを愛した運命とやらは稲妻の感覚なのだろう。その瞬間運命が僕の身体を支配した。シャーマンに神が宿る様に、シャーマンが神に身を委ねるかの様に。

 あああ亜有在。

 僕のことを愛してくれた運命に身を委ねているときは精神の視界いっぱいに陶酔が映っているかの様だ。精神を溺れさせる陶酔しか僕の意識にはない。精神の視界に映る陶酔はやがて脳に直接融けこんでくる。気付いたときには倖樺様をお姫様抱っこして走っていた。運命と言う糸の傀儡であることすら光栄だと思えてしまう、そんな感覚。

 だが、一つ欠けているものがあった。それは思考力だ。衝動のみで僕たちは突き進んでいた。倖樺様に嫌われていてもそれすら皿に彩れた食花に思えてしまうような。花を彩る棘に思えてしまうような。

 そして、体感時間十分走ったところで僕たちは気付いた。誰も追ってこないことに。側近は倖樺様を護るように鍛えている人も多いだろうに。

 そしてもう一つ違和感としてあったのは――。

「何ですかこの世界」

そう倖樺様が言葉を漏らす。まるでそれしかできないが故にする行動の様に。

 そして、思考の海の水中から息継ぎをする様に倖樺様が僕の方を見つめる。

 そして、倖樺様はおもむろに貴女、厳秀さんと仰ったかしら、そう仰るので僕は自分は貴女に仕える者なので敬語は要らないです、そう伝えた。そして、倖樺様は

「分かりました。厳秀。眼を瞑って」

そう仰るので僕は分かりました、そう言い眼を瞑った。

 倖樺様が手袋越しに僕の頬を包む。まるで細かな花たちを手で集めるかの様に。指一本一本の強弱さえよく分かる。人は見えない程度に僅かに手が震える、そう改めて思う。

 そして倖樺様の窈窕たる花弁を思わせる唇が僕の言葉の出口を言葉を奪うかの様に覆う。そして、僕の言葉の産まれるところに触れる。僕は情熱で熔けた理性の熔けきらない一欠片で倖樺様の貴女の言葉を僕で染めたいな、そんな意志を盲信し、その盲信に残りの理性を熔かしていく。

 熔けた理性と盲信に時間は形を喪っていく。そしてその三つが熔けきったとき忘我となる。

 そして、忘我と倖樺様が熔けていく。そんな永遠より遥かに永い時間が僕の脳の中でだけ進んでいく。

 そして、気付いたときには倖樺様は僕の口から花弁を離していた。

 時間と共に喉が焼ける様な感情が治っていく。そして薄まっていく。 

 薄まって薄まって僕の意識は正気を迎えた。正気に還った。僕のことを抱いていた陶酔境が徒に空に還りゆく様に。

「ご褒美よ」、そう倖樺様は僕に仰る。

 そんな言葉が世界に熔け切ったあと残り香を胸にしまい世界を見渡す。

 何処までも続く明治の西洋館の舞踏の場を思わせる空間と放射状に六つの廊下が延びその廊下には感覚的には無限に碧色の鳥居が連なっていた。

 西洋館の内装は臙脂色と少し柔らかな白を基調としていた。広大な舞踏の場の壁の隅には室内と同じ様な椅子や机があった。まるでこの空間を完成させる様に椅子や机があるような。

 最仕執として僕がしなくてはいけないことは、そんな思考と畏れや分類する余裕もない感情が複雑な模様を描きながら混ざっていく。混乱ゆえに僕はそれに一種の美を悟った。こんな不純物である思考だけが冴えていく。ああ、全てを投げ出して呵うしか能のない、生きる意味を持たない愚者になれば救われるのか。

「厳秀」

そんな矢のように鋭い呼びかけが僕に投げかけられる。

「貴女に完璧なんて求めない。でもできることはあるでしょう。」

そう倖樺様が僕の迷いを医療用鋏(クーパー)で切り取っていくように僕に言葉を投げかける。

 そうだ。僕がすべきは――。

「僕がこの場を探索します。倖樺様が生き延びる確率を少しでもあげるように僕一人で探索します。倖樺様はここでお待ちください。」

 倖樺様が生き延びて欲しいのは最仕執としての意見ではなく遊馬厳秀個人の意見、否意見など理性や理屈に因ったものではない、ただ本能的な欲求だ。

 「厳秀」

そう倖樺様は何処か声だけで却下、そう解るように言葉を放つ。

「それで貴女が死んでしまったら僕だけが残る。遺される。なんで一緒に死なせてくれないの。」

 そう倖樺様は僕の手を繋ぎ、鳥居の中を僕を引っ張り進んでいく。

 それからの時間は永世より遥かに永いものだった。

 理屈が熔けて混ざりあったこの世界で僕と倖樺様の意識は熔け合ってマーブリング模様の様なものだった。混ざり合ってない部分の意識で倖樺様と混ざり合っている部分を見つめていた。

 やがて混ざり合った模様は恍惚の象(かたち)を描いていた。それは陶酔境を二人の意識で描いている様だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る