15. 花
様々な楽器の音色が離れていく。
無言だった。
部屋へ戻るとドレスのボタンを外し始めたため、手伝う。
「シオンさん」
「うん」
「私慣れてるのよ、ああいうこと言われるの。日常だったもの」
「慣れていいことじゃないし、そもそも言われていいことじゃない」
「何も感じなかったのよ。何も感じなかったのに」
「……」
「ウチにリンドが来てシオンさんも来て、1年一緒に過ごしてたら私弱くなっちゃったみたい」
「違う。そうじゃないよスミレさん」
空の輝きを反射する赤い瞳は、初めて会ったときの暗いままだった瞳とは似ても似つかない。
涙で潤んだ双眸に映る僕も同じ目をしている気がする。
死にながら生きていたのはもう過去の話で。
ドレスが床に落ちる。
「きっと今は自分のために生きてるから、人から言われる言葉に嬉しくなって、悲しくなるんだと思う。前の僕はそうじゃなかったから」
露店で何となく気になって買った本の受け売りだった。
誰かを演じている内は攻撃されても演じている何かが代わりになる。
でも何も演じていない自分が攻撃されると、攻撃を受けるのは自分しかいない。
強い精神的な負荷のかかった状態が長引くと別の人格ができると書いてあった。
トンっと胸を押される。
僕も泣いているところは人に見られたくない。
「少し出てるね」
そう言って部屋を後にする。
「久しぶり、シオンくん」
目が死んでいる。
誰かのために生きている目。
潜めた声で僕の名前を呼んだのはクトだった。
世界が少し褪せる。
「ここじゃなんだし付いてきてよ」
クトが男を消したのは自身の伯父の手を借りてだった。
こんなことになるならきちんと昼間、全員の顔を見ておけばよかった。
見た目は変わっていないから、見れば気づくはずなのに。
どうして気づけなかったんだ。
「私の部屋ここなんだ。入って。や、やっぱりシオンくんだ。探したよぉ。傷消えてるしでもさっき白ローブが誰か呼んだときの声がシオンくんに似ててさぁ。後付けたら女と一緒の部屋に入るじゃん。それで扉に耳押し当てて聞いてたらシオンって名前呼ばれてるじゃん。だから待ってたの。シオンくんいなくなってから最悪だったんだ。急に家に連れ戻されるし、色々禁止されるし強制されるし学ばされるし会わされるし。今日も別に来る気なかったんだけど夜会だけでも顔出せってうるっさいからさぁ。昼の顔合わせも誰さんの誕生日会だかも欠席したんだ。でも夜会出てよかったぁ。まさか再開できると思わなかった」
「そうですか」
「ねぇー、いつまでフード被ってるの?顔見せてよ」
ベッドから立ち上がり、扉の前に立っている僕の方へ両手を突き出して歩いてくる。
剣を引き抜いた。
「それ以上寄らないでください」
「あぁー……。それは考えつかなかったな。シオンくんって人殺したことある?……ないんだぁ。なら殺してよ。初めての相手になってあげるから一生忘れないって約束して」
「はい?」
「もう生きてる意味ないんだよね。私が私である必要がない。役割をこなせる人なら誰でもいいの。この肉塊を動かせる人なら誰だって。ならせめて私が私だった頃を知るシオンくんに覚えててほしいんだよね。無理やり体買うなんて酷いことしてたでしょ?私が憎いでしょ?償いが今のこの体のこの命で済むなら持って行ってよ。それで一生忘れないでいてくれるなら、シオンくんの初めてをもう一つもらえるならそれに越したことないから。欲張りかな」
「それはあなたが言うように、僕である必要がありません。さようなら」
ぶり返すような感情が蝕む様に伝わり広がっていく。
広がりを断つように剣を鞘へ戻した。
過去同じようなことを考えたことがあるのを思い出す。
染まる前に部屋を出た。
扉は閉まったまま開かない。
外を見ると青白く木々が照らされている。
踵を返してスミレさんの部屋へ戻った。
ノックをすると入っていいらしかった。
カーテンが閉められている。
「ただいま」
「おかえり、シオンさん。お化粧落としたからこれで何も気にしないで泣けるわっ」
「泣かないで済むのが一番なんだけど」
「泣くのって疲れるのね。長いこと忘れていたわ。赤ちゃんが寝てばかりいるのも納得ね」
「本人が言うと説得力あるね」
「はいはい。もう寝るわよ。あーすっきりした」
「体拭かなくていいの?」
「夕方シャワー浴びたじゃない。ほら、早く」
「ちょっと待って」
鞄から黒革の小物入れを出す。
赤い宝石の塡められた腕輪にした。
空の輝きに透かすと青く光るけれど、カーテンが閉められているためこれはまた今度言う機会があれば伝えることにする。
「改めて誕生日おめでとう。これプレゼント」
「開けていい?」
「うん」
「綺麗ね。こういうの好き」
「よかった。スミレさんに似合うと思ったから気に入ってくれて嬉しい」
「一生大切にするわ。ねぇ」
揶揄うように口角が上がったのを見、僕は寝たふりをした。
「これが幸せってことなのかしら」
「……」
「騙されてあげる。おやすみシオン。それと、ありがと」
寝返りを打つと左脇に腕を入れられ、勢いよく引き寄せられる。
こんなに動かされたら絶対目が覚めるのに、それを隠す気もないスミレさんに笑みが零れた。
スミレさんが熟睡するのを待ってベッドを抜け出す。
姿勢を仰向けにしてからキルトをかけた。
誰かに物を贈ったのは母上への花以来だった。
そのとき余計なことしないでよと平手で打たれた左頬を抑える。
怖かったけれど、喜んでくれるならこういう機会じゃなくても渡したいな。
何事もなく夜が明ける。
挨拶せずにガーデン家を後にした。
「よかったの?」
「いいのよ、手紙置いてきたし」
「いいならいいけど」
スミレさんが昨日贈った小物入れから腕輪を出したのを見て、伝え忘れていたことを思い出す。
「その腕輪、翳すと青くなるんだよ」
「へぇー、青ねぇ。この赤い宝石が?」
「そう」
「どう?似合ってるでしょ?」
目の横に宝石が来るように顔まで腕輪を持ち上げている。
自信に満ちた顔はなぜその宝石が塡められているのか察していた。
あからさま過ぎた。恥ずかしい。
何が言いたいかわかってしまった。
「っ、似合ってる」
「それで?空の光に透かすと青になるんだったかしら」
「そうだよ!」
「ふぅん。怒らなくてもいいのに」
「別に怒ってないし」
壁に寄りかかり目を閉じる。
何も言ってこないのが気になり目を開けるとこちらを見て微笑んでいた。
「な、なに」
「愛しい人を見てるの」
引きかけていた顔の熱がまた集まってくる。
火照りを冷ましたい。
「そろそろ魔物が出る頃だったかな」
「そんなわけないじゃない」
スミレさんの顔が崩れ悲しそうな顔になる。
「ごめん、悪ふざけが過ぎた。照れ隠しのつもりだったけど傷ついたよね」
「傷ついたわ。だって私、今自分のために生きてるもの。だから人の言葉で一喜一憂し」
「しーっずかに。心配して損した」
「うるさくしてないのに。傷ついたのは本当なのに」
「そ……れはそうだよね。僕が言うのは違った」
「離れていかれるのは寂しいわ」
「うん、ここにいる」
「そうして」
すぐに逃げようとするのは僕の悪い癖だ。
反省しながら馬車に揺られる。
五日間かけて復路を戻った。
一度家に帰りギルドへ向かった。
掲示板まで直行し、ここを出る前に覚えていた付近の魔物情報を更新する。
門限まで少し余裕はあるけど、少し遠めのものが多い。
ただ、危険度の高い魔物の目撃情報の比率が大きく、明日から魔物討伐を再開した方がよさそうだった。
今日無理に行ってあまり門限ギリギリになっても悪いし、スミレさんの歩き方が腰を庇うような動きだったのが気になったため、今日はケアするのに時間を使いたかった。
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