13. 傾き

 繁忙期も漸く終わりが見えてきたと同時に、スミレさんの誕生日が近づいてくる。

 今年は実家でパーティが開かれるらしい。

 そして今日は姉の誕生日だった。

 一日中緊張しているような感じがして、温かいものを飲んでもお腹のふわつきが治らない。

 

「シオンさんって私の事どう思ってるの?」


 手のひらでお腹を温めながら天井を見ていた。

 聞きながら深く座りなおして背筋を正し、スミレさんへ顔を向ける。

 

「恩人だよ」

「……恩人ね」


 羽ペンを置き、机上で肘を立てて組んだ両手におでこを当てた。

 スミレさんのこんな姿を見たのは初めてだった。

 何かを考えこんでいるようにも抑え込んでいるようにも見える。

 ふわついていたお腹が締め付けられた。

 普段は気にならない時計の針が小さくない音を立てて進んでいく。

 

「恩人って、それは恩を返し終わったらどうするの?恩人って何?聞きたかったのは好きかどうかで、好きならどういう好きかってことなんだけど。知りたいのはずっと私と一緒にいたいかってことなんだけど、ちゃんと考えてくれたのよね?考えた上で発した言葉がさっきのたった六字だとしたら悲しく思うのだけれど」

「ごめんなさい。恩を返しきるまではスミレさんの望むことをしたいっていうのは変わらない。スミレさんのことは好きだよ。一緒にいることを望むなら一緒にいる」

「じゃあずっと返せなかったら?ずっと一緒にいてくれるってことなの?」

「うん、そのつもりだよ」

「つもりじゃなくて、約束しなさい」

「約束は、できないよ」

「……それはどうしてかしら」


 例えばもし僕が先に死んでしまったら、約束は守れない。

 今みたいに失望させて一緒にいたくないと思われても同じ。

 

「守れない約束はしちゃいけないから」

「何、それ。好きって言ってくれたじゃない。……ねぇ、私が未亡人だから?」

「スミレさん?」

「未亡人とは結婚できない?」

「結婚って、そんな話」

「未亡人とは子供作れない?でも私初夜迎えてないわよ。検査は結婚してからしてないけれど、誰ともまだしてないわ。それでもダメなの?」

「スミレさん。その、未亡人だからとかは関係ないよ。ごめん、きちんと言うね。スミレさんの家へ来る前に何があったのか」


 それからあの日とそれまでの日のことを話した。

 夢に起こされるのは少なくない。

 思い出そうとしなくても忘れることが許されないため、思い出して話そうと思えばいつでも話せる。


「だから、結婚とか、ふ、夫婦とかは少し怖い」

「……そう。話してくれてありがとう」

「何か飲み物入れてこようか?」

「お願い。前にもこんなことあったのに辛いこと話させてしまってごめんなさい。あまり眠れていない所為か最近急に気が動転してしまうことがあるの」

「ううん。僕がそのときのこの話をできてたらよかったんだ。スミレさんが謝るようなことじゃないよ。飲み物取ってくるね」


 後ろ手に扉を閉め、肺の中の空気を空にする。

 夕方の冷えた空気が入り込み、喉の奥が乾いた。


 姉が来るまで時間はあとどれくらいある?

 一人で育てると言っていたけど、育ったらどうなる?

 見逃されていられるのはいつまで?

 どこへ逃げても何しても無駄のように思えてならない。

 そのとき僕がここにいたらスミレさんはどうなる?

 母上を殺した姉はどうする?

 姉が母上を殺したのは僕が母上の夫へさせられそうだったから。

 母上がいなくなったことにより僕と姉がその役割へ成り替わろうとした。


 姉から逃げたあの日、好きな人と結婚して姉とは関係ない場所で普通に暮らそうと考えていた。

 けれどきっと姉はそれを許さない。

 悪夢に何度も出てくるあの光景を繰り返す。

 だから僕は今後誰ともそうならない。

 姉とも。

 この血は僕で終わらせる。


 ふと下を向くとスミレさんの好きな蜂蜜入りミルクティーをトレーに乗せて持っていた。

 考え事に没頭していても紅茶くらい入れられるようになってたんだ。

 回数を重ねる中で知らず知らず体に染みついていたらしい。


 左の手のひらへトレーを乗せ、扉を開く。


「お待たせ。ミルクティー入れてきたよ」

「ありがと」

「どうぞ」


 机にカップをソーサーごと置いた。

 椅子へ座っているスミレさんは立った状態の僕よりも少し小さい。

 自然、目が合うときは上目遣いになった。


 ミルクティーを口に含んで唇を合わせる。


「明日から仕事も落ち着くし、今日は久しぶりに一緒に寝てくれないかしら」

「わかった」


 夜、スミレさんの寝室へ入る。

 最後に来たのは繁忙期前、ふた月くらい振りだった。

 ベッドで上体を起こして右肩に手を当てていた。


「肩痛いの?」

「メイドに解してもらったのだけど、シオンさんにやってもらうのと全然違うの」

「僕がしようか?」

「今日はいいわ。眠たいし、シオンさんが来るまでの間に合わせだったから」


 リンドは見当たらない。

 スミレさんが横になり、僕を呼んだ。

 近くに行くと右手を取られ、ベッドへ引きずり込まれる。

 そのまま人差し指をスミレさんの口元へ誘導され、甘噛みされた。

 空いている手で頭を撫でる。


 目を閉じた姿はあどけなく、お化粧をしていない分いつもより幼く見えた。

 隈ができつつある。

 土地を治めるのがどれだけ大変なのか僕にはわからない。

 けれど繁忙期は毎日朝早くから夜遅くまで膨大な量の書類と向き合ったり現地へ赴いたりして、身体的にも精神的にもスミレさんへかかっている負荷が少なくないことくらい傍から見てるだけでもわかる。


 僕にできるのは眠るのを手伝ったり、痛くなった肩を解せるだけ。

 そもそも睡眠不足とか体が痛くならないようにできるのが一番いいけれど、僕にはその役割が務まらない。

 ごめんね。


「んん……」


 撫でる手を止めると瞼をぎゅっとして不満げな声を上げたため、寝るまではもう少しかかりそうだった。

 体感で四半刻程度過ぎた頃、規則的な呼吸が聞こえてくる。


 しわしわにふやけた指を抜き取り、仰向けになった。

 物音も風の音もしない。

 静かだった。


 目を覚ます。

 夢は見なかった。


 スミレさんに姉から逃げた日の事を話してから3日経ち、スミレさんの誕生パーティの6日前になった。

 

 まだ日が昇るまで数刻ある。

 スミレさんから貰った剣で訓練をし、少し熱を持った頭皮を水浴びをして冷やす。

 魔物を倒していない分訓練の時間を増やしているため、普段より体が温かくなっていた。


 食事を取り、食休みを挟んでからスミレさんの実家へ移動する。

 

「シオンさんは今回護衛ということで同行してもらうことにしたわ。対魔物ならその役割を十二分に発揮できると判断したの。消去法ではあるのだけれど」

「ありがと。留守番でも僕は大丈夫だからね」

「もうその話は終わったじゃない。付いてきてほしいのよ」

「そうなんだけど、僕が何かしちゃってスミレさんに迷惑をかけるのが怖いんだ」

「シオンは魔物を倒してもいつも汚れず無傷で帰ってきてるでしょ?それに前ローブの話したときに汚れたとしても汚したくて汚すわけじゃないって言ってたじゃない。それと同じよ。迷惑かけたくて迷惑をかけるのではなければ大丈夫。シオンさんがそんな人じゃないのは私がわかっているし、1年ほとんどずっと一緒にいたんだもの。これで見誤ったのだったら私の目が節穴だったってだけ。シオンさんは悪くないわ」

「スミレさんの慧眼なら信じられるね」


 馬車の扉がノックされる。

 

「シオン様、魔物です」

「わかりました。出ます」

「気を付けるのよ」

「うん」


 オオカミ型が7体だった。

 ここら辺から魔物が多くなるため、外で待機する。


 夜になる頃、今日の目的地である町へ着き宿に泊まった。

 スミレさんの実家へは前日に着く予定で、それまでは町をいくつか経由する。

 誕生日に贈る物は持ってきているけど、時間があるようならお店を見たい。

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