12. この身に流れる血は
門の前に降り立ち、玄関まで歩いていく。
扉を開けるといつも通りスミレさんが出迎えてくれた。
「ただいま」
「おかえり。遅かったわね」
「ごめんね。少し浮かれた」
「……そう。あとで聞かせて」
頷いて洗面所へ向かう。
――――――――
――――
――
リンドと一緒に自室へ戻った。
鋼鉄の剣の横に並べているスミレさんからもらった剣を見、目を閉じる。
胸が温かい。
僕の大好きなものでお腹もいっぱいで本当に幸せな日になった。
幸せな日にしてくれた。
僕も、返さないと。
明日からスミレさんの剣で訓練しよ。
ところどころ補修しているけれど、鋼鉄の剣はもう随分と細く短くなってしまった。
僕が大きくなって、相対的にも。
ずっと持ってたな、あの剣。
渡された時のずっしりとした重さは今でも覚えてる。
折角贈られたのにしばらくは持つことさえ許してくれなくて、体を鍛えて木剣の先に重りをつけて何百回も素振りしたり。
初めて獣を刺した時の反動、ずぶずぶと剣が入り込んでいく命を奪う感触。
魔物と初めて相対したとき明確な殺意を向けられて体が凍り付いたこと。
驚きも、怒りも、辛さも、恐怖も、乗り越える勇気をくれた。
できればこれからも近くに置いておきたい。
剣を熔かしてアクセサリーにできたりするのかな。
自分で身に着けるのはいいとして、スミレさんに渡すのは迷惑になるだろうか。
僕の持っているものはもうこれくらいしかない。
リンドが鳴く。
「うん、寝ようか」
朝、目を覚ます。
スミレさんからもらった剣を持ち、扉まで歩いていく。
扉前で何となく振り返ると昨日まで使っていた剣がぽつんと置かれている。
思い出になってしまったような気がして寂寥を感じた。
少しの間見つめて、踵を返した。
基本型を反復する。
攻め、守り、速度、範囲、舞の型とそれぞれに特化した型、それぞれを組み合わせた型。
舞以外の全てを組み合わせた万能型。
僕が好きなのは守りと舞を組み合わせた命舞型だけど、対魔物では攻めと速度の速攻型、攻めと速度と範囲の殲滅型を使うことが殆どだった。
魔物の攻撃を受ける意味も、魅せる意味もない。
始めた頃は息が続かず、攻めの型すら途中までしかできなかった。
今はもう万能型までしても多少息が乱れる程度へ抑えられるようになっていた。
ただ、スミレさんの剣を使っての訓練は万能型が終わっても体への負担を感じない。
剣の形が僕に合っているというのがどういう意味だったのかを体感した。
元々片方の刃しか使っておらず、過度に連続した戦闘で片刃が潰れてしまったときに潰れていない方を使うくらいだった。
手入れが必要になって研いだら研いでいない方の刃を使っていたし。
この剣はそもそもが片刃のため両刃のものより軽い。
中が詰まっているのか見た目より以上に重いため、振るった時の威力はそこまで下がっていなかった。
好きだな、この形の剣。
鞘を手のひらでなぞった。
それから僕はこの剣で魔物を狩っていった。
その度スミレさんには報告した。
いつどこでだれと何をしたか。なぜしたか。
報告し始めた頃の指摘された数は多過ぎて数えられなかった。
何せ、ぜんっぜん話が進まない。
最近聞き返されるのは、理由とは別にそのときどう思ったかという内情部分くらいで前よりかは随分と報告内容は良くなった、と思う。
「報告ありがとう。……あの、シオンさん。ここ最近門限は確かに守っているけれど、少し時間に余裕がないんじゃない?」
「ごめん」
「私、シオンさんのこと信頼してるのよ」
「うん、わかってる」
「そんなに深刻そうな顔しないで。分かっていて言ったの。意地悪してごめんなさい」
「僕が間違えなければいいだけだよ」
「早く帰ってきてくれるの?」
「そのつもり」
「そうよね。嬉しい」
「もう少しスミレさんのこと考えればよかったね」
「うん、うん。できるだけお家に居てくれると安心するわ。繁忙期の間だけでも」
換金をサボってた魔物の素材を売れば、今までの貯金分と合わせて入学金は間に合いそうだった。
プレゼントはもう用意してある。
「しばらく外出しないよ。迷惑じゃなければスミレさんの傍にいる」
「シオンさん……」
手を引かれてダイニングルームへ行く。
食事は隣に並べられて用意されていて、入れ違いで使用人たちが部屋を出た。
この距離感は僕がここへ来てから、スミレさんが僕に名前を教えてから変わらなかった。
スミレさんからも僕が必要以上に自身の使用人たちと関わることを望んでいない。
直接的に聞いたわけではないけれど、これまでの言動からそう考えた。
隣へ座り、スミレさんの食事をお世話する。
体調を崩した際に食事の面倒を見て以来、自分で食べることを嫌がるように、嫌がるというか食べさせてほしいらしかった。
さすがに毎食代わりに嚙むことはないけど、時間に余裕があるときはしたりする。
繁忙期みたいだし落ち着くまではなさそうだった。
「おいし」
「作ってくれた人に感謝だね」
「えぇ。シオンもありがと」
「どういたしまして」
「今日はまだ片付けないといけない仕事があるから、夜時間あるなら私の部屋来てくれる?」
「行く。どれくらい続きそうなの?」
「そうね、……私の誕生日も近いし忙しいのはふた月くらいかしら」
「僕にもできることあるかな」
「その気持ちだけで十分よ。そろそろ戻らないと」
「わかった」
それぞれの自室へ戻り、シャワーを浴びて柔軟してからスミレさんの部屋へ向かう。
昔から体の関節は柔らかかった。
そうしてスミレさんの部屋へ着くと定位置へ座って本を開く。
羽ペンの音と規則的に時計の音が響く。
気持ちが安らぎ、充足感が広がった。
心地いい。
視界の端で何かが動いた。
目を向けるとリンドが伸びている。
羽ペンの音も止まっていた。
丁度いいところまで本を読み終わったためスミレさんの様子を伺う。
スミレさんもこちらを見ていたようで目が合った。
「リンドは?」
「リンド……?」
部屋内へ視線を走らせるとスミレさんからは死角になる位置で眠っていた。
リンドのいる方向を見ながら答える。
「そこで寝てるよ」
「そう」
「なんだか今のやり取りリンドが私たちの子供みたいね。まるで私とシオンさんが家族になったような気分」
「……家族、夫婦」
無意識に口から零れ落ちた言葉が耳に入り、視覚が戻る。
そうだった、リンドを見てたんだった。
ソファが命を与えられ鼓動しているかのように感じる。
実際に揺れているのは僕の心臓で、破裂しそうなくらい脈打っていた。
スミレさんが大きくため息を吐いてから言った。
「疲れてるみたい。駄目ね、私。忘れて」
悪いのはスミレさんじゃない。
「大丈夫、気にしないで」
よかった。声震えなかった。
動悸が苦しい。
胸が痛い。
バレない様に呼吸の頻度を下げて落ち着こうとしてもどうしようもなく暴れまわる心悸に、僕の体がまた姉に支配されているような感覚に陥る。
ここに姉はいないのに。
ここに姉はいないから。
だから大丈夫。
表面上は綺麗になっている腕。
ただ、実際は無くなったように見えるだけで深いところにはまだ傷痕があるんじゃないかと思えてくる。
そしてその古傷が音を立てて皮膚を食い破ってくるような、落ち着け。
腕をなぞる。
ほら、引っ掛からない。
立っていた鳥肌が治る。
「シオンさん!」
急な大声に体が跳ねる。
「スミレさん」
「大丈夫?」
「うん。ここに来る前のこと思い出しちゃってた。ごめん」
「……そう」
スミレさんに名前を呼ばれてからうるさかった心音が静かになった。
あの日のことを全部スミレさんに話せたわけじゃない。
あれから幾日も経っているのに、僕はまだあの日のことを過去にできないでいた。
やっと自由に動かせるようになった体を、腕を見る。
指の先一本一本まで、体中へ僕の鼓動に合わせて血が通っている。
僕の体を流れるこの血が無くなれば、僕は僕の体を取り戻せるのかな。
姉の理性を狂わせたこの血が憎かった。
全身を掻き切って体中の血管を引っ張り出したかった。
今すぐに。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます