10. 杞憂

 家事や農場、牧場、鉱山の手伝いはさせてもらえない。

 他は兵士、召使、倉庫や備品管理、会計とかになるのかな。

 防護魔法で刺されることはないから養蜂とかなら力になれそうなんだけど。


 普段ならこの時間は勉強している。

 本でも読みたいけれど、膝上のリンドを下ろせない。

 リンドを触れないため撫でられず、完全に手持ち無沙汰だった。


 倉庫や備品管理、会計あたりは専門職というか外部の人には知られたくない情報がぎっしり詰まっている役職のはず。

 

 召使は……。

 少し前までお世話される側として過ごしていた。

 されてきたことをすればいいんだろうけど、見ただけでできるほど簡単じゃない、と思う。


 消去法で兵士しかない。

 魔物は近辺でここ数年出ておらず、対人専門と言っていたため力になれないと勝手に判断してしまっていた。

 対人なんて家庭教師の人と模擬戦をしていたくらいで、ずっと魔物を狩り続けた結果対魔物に特化している。


 対人で活きるかわからないし、複雑な読み合いとかも魔物なら必要ないし、正直なところ対人に関しては模擬戦すら性に合わなかった。

 やらない理由なんていくらでも出てくるけど、もうそんなこと言ってられない。

 スミレさんの体調が回復したら話そう。


 そういえばスミレさんが倒れている間の仕事って大丈夫なのかな。

 という懸念は杞憂だったらしく、使用人の方々で十分回せているようだった。


 他にできることもなく、スミレさんが回復するまでお世話に徹した。

 それから私兵として役に立てないか相談したところ、質も量も確保していることから不要とのことだった。


 近辺へ魔物が出たときに備えて剣の訓練を続けることにした。

 あと半年弱で12歳のため、ギルドへ正式に加入できるようになる。

 今はプレゼントによさそうな物を売っているお店を近くの町や村で探している。

 外出するときは後ろに使用人の人がいたため、きっともう気づかれてしまっているんだろうな。

 

 実家のある聖都には近づきたくなかった。近づけなかった。

 傷のなくなった腕を摩る。

 過去も傷痕と同じように消せたらいいのに。


「何考えてるの?」

「……何でもないよ」


 読んでいた本を閉じる。

 寝ていたはずだったけど、思考の海へ沈んでいる内に目を覚ましたようだった。


「だってずっと同じページ開いてたじゃない。寒いわけでもないのに腕摩ってるし」

「傷があった頃のことを少し思い出しちゃっただけだよ」

「シオンには傷なんて似合わないわ。そんな過去忘れなさい」

「できたら、いいんだけど。流石にね」


 今でも夜中起こされるくらいには刻み込まれている。

 その度に傷のない腕を見て夢だと自分に言い聞かせた。

 途中で起きられず最後まで見てしまったときは左足首に掴まれたような跡が痣みたいに残る。


「そう……。喉乾いちゃった」

「わかった」


 水を口に含んで顔を寄せた。


 スミレさんの体調が回復してからも求められれば答えるようにしていた。

 今のところこれでしか返せていない。

 傷痕すら治す薬は近くの町や村には売っておらず、どのくらい返せているかはわからない。

 ただ、何もできないでいるよりかは幾分か罪悪感に押しつぶされないで済む。


「今日の仕事はこれで終わりだから、終わったら少し出かけましょ」

「りょうかい。今日はどこに?」

「そうねぇ。養蜂場の様子とブドウ畑かしら。今ホットケーキを焼いてもらっているから、持ってきてもらえる?」

「うわー。蜂蜜とワインってこと?」

「そっ。最高でしょ」

「いいね。じゃあ取ってくるよ」


 僕はまだワインを飲めないためただのぶどうジュースをいつも飲んでいた。

 17歳になるまでは酒たばこ賭け事は禁止されている。

 結婚が許されるのも17歳から。

 スミレさんっていくつなんだろう。

 奥様と呼ばれていたし、ワインも飲んでいるから17歳以上であるのは知っている。


 今の僕とスミレさんの関係値だとお互いどの程度のことまで知っているのが普通なんだろう。

 

 テーブルにポツンと置かれているバスケットを手に取る。

 ハンカチを捲るとホットケーキが入っていた。

 誰もいないのはいつものことだった。

 深く息を吐く。


 言葉を交わせないのは少しだけ辛い。

 ただ、これも結局僕の我儘でしかないのは自分でもわかっていた。

 だからといってこんな顔をスミレさんに見せる必要はない。

 口角を意識的に上げてバスケットを持った。


「いい天気ね」

「そうだね」


 スミレさんと馬へ乗り、養蜂場へ向かう。

 僕は乗馬を習っていないため前に座って日傘を持ち、スミレさんに任せていた。

 13歳から通えるようになる学校で乗馬は習える。

 それまでは情けないけれど誰かに乗せてもらうか、歩くか走るかしないといけない。


 作業を止めて手を振ってくるおじさんにお辞儀する。

 スミレさんの腕が僕のお腹に回された。


「体調崩したのは、両親から落ち着いたらもう一度婿を取ってくれないかって打診があったからなの。政略結婚だったけど、お見合いやお付き合いをして特に不満もなかったわ。私は姉のスペアで、その為だけに生きてたから。実家は兄が継いだわ」

「そう、だったんだ」

「祖父母はまだ存命で、少し前まで他人だったとはいえ身内を失くしたのはそれが初めて。外では仲睦まじい夫婦を演じていたからしばらく干渉はなかったのだけれど、亡くなってからそろそろ一年になるわ。どこかからお声掛けがあったのか詳細は不快だったから聞かずに、まだ仕事に専念したいって言って帰ってきたの。両親と話していたときから気分は悪かったから、こっちに着いて気が抜けたら一気に悪化しちゃった」

「大変だったね」


 スミレさんの手の甲を撫でながら言った。

 僕に許嫁はいないはず。

 そんな話父上から聞いた事がなかった。


「亡夫とは初夜を迎える前に死別したの。お互いそれどころではなかったし。対外的には仲良しという体だったから、勿論両親には迎えたと伝えたけれど。早い内から結婚してよかったことの一つはシオンさんには少し伝えにくい内容の検査がなくなったことね。家によってはシオンさんくらいの年齢から、酷いと外出する度にするのよ。そんなことしたら道具として見ているかなんて子供にもわかるのに。姉は私より全てにおいて優れていたわ。何も勝てなかった。容姿も、魔法も剣もピアノもダンスも字と所作の綺麗さからテーブルマナーまで何もかも。長女で様々な才能に恵まれている分、私よりも過保護かつ過剰に管理されていたわ。私は才能で姉と比べられて、姉は自身より放任されている私へお互い嫉妬していたと思う。ただ、私も姉もそれ以上に両親と兄を憎んでいたわ。だって信じられる?私たちにはあれもこれもどれもダメと言っておいて自分たちは」

「っ、スミレさん……少し苦しい」

「ごめんなさい。無意識だったわ。……シオンさんもきっと、姉に合えば私なんて」

「やめて。僕はスミレさんのこと好きだよ」

「私、も、好き、だけど。それは私の姉に会ったことがないから」


 どうやって伝えよう。

 あんまり考えこんじゃだめだ。

 リンドに初めて会った時のことを思い出す。

 言われたことを言い返すしか思いつかない。

 

「僕にも兄がいるよ。兄には容姿から剣や魔法の扱い方からマナーも性格も全部負けてる。スミレさんは僕の兄に会ったら僕なんてどうでもよくなっちゃうの?」

「私はそんなことしないわよ」

「僕だって同じだよ」

「シオンさんが言おうとしてることはわかるけど」

「ごめんね。うまく伝えられなくて」

「ううん、いいの。シオンさんが私のために考えてくれたことが嬉しかったから。……ところでシオンさんってお兄さんいたの?」

「なーいしょ」

「ちょっと!」


 前に体を倒して振り向いてから、スミレさんを見上げて言った。

 

「いないよ」

「よいしょ」

「うわっ」

「はぁ。最初からこうしとけばよかった」

「えぇ……」


 持ち上げられたままぐるっと回転させられ、向き合う形になった。


「前見えないし」

「私を見ておきなさいな」


 ずいぶん前に手を振ってくれたおじさんが頭を過ぎる。

 ここしばらくは馬の頭だけ見ていて話を聞くのに集中して意識の大部分を割いていた。

 まだ養蜂場にすら着いていないし、農場や牧場で働いている人は少なくない。

 うん、まずい。

 恥ずかしい。


「ちょっと暴れな、んっ、落ちるわよ!」

「僕にもっ守らないといけないものがっあるんだっ」

「数年したらっこんなことっもうできないのよっ、おとなしくっしなさいっ」


 抜け出せそうにない。

 諦めて養蜂場へ着くまで寝たふりをした。

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