8. 君は友達?

 ダイニングを出てスミレ様の後ろを歩く。


「どうして後ろを歩くの?隣に来て?」

「はい」

「あと私のことはスミレでいいわ」

「スミレ様」


 こちらを向いたのを感じ顔を向けると、不満げに細められた目が合う。

 

「隣を歩いてほしいの。対等になりましょう。だから、ね?」

「スミレさん?」

「……私もシオンさんとお呼びしているものね。そういえば何歳なの?7歳くらい?」

「そんなわけないじゃないですか。数えで12歳になります」

「なぁんだ。一桁しか違わないじゃない。敬語もいらないわ」

「外さないとダメですか?」


 つーん。

 私返事しません。と顔に書いてあった。


「スミレさん」

「……」


 歩くペースは一定で、ちらちらとこちらの様子を伺ってくる仕草があどけなく、このスミレさんになら敬語を外せそうだった。

 頬が緩むのを感じる。


「ごめんね」

「っ、それでいいのよ」


 こほんとわざとらしい咳払いを一つして嬉しそうに笑っている。


「ここよ、入って」

「失礼します」

「一々そんなの言わなくていいから。ノックも声掛けもいらないわよ。あらシオン、ここにいたのね」

「え?」

「今日も可愛くていい子ね」


 僕の聞き間違いでなければ。

 僕の見間違いでなければ。

 僕と同じ白い毛に青い目の猫がいた。


「この子ね、少し離れた森の近くでボロボロになって倒れていたの。明け方でね、その森も魔物が出る森だったから連れ帰ってきたのよ」


 聞き覚えというか、身に覚えというか。


「なんて顔してるのよっ、冗談に決まってるじゃない。ねぇー?リンドっ。おいで?」

「どこからどこまでが嘘なんですか」

「こたえまっせーん」

「どこからどこまでが嘘なの?スミレさん」

「なーいしょ」


 口から出たがっているため息を飲み込み、リンドの前で膝を折る。

 汚れ一つない綺麗な毛並みからとても大事に育てられているのがわかった。


「君はどこから来たの?」


 独自の言語で答えてくれた。

 何と言ったかはわからない。


「そうなんだ、教えてくれてありがとね」

「シオンさんってリンドの言葉わかるの?」


 リンドの前に手首を差し出す。

 何回か鼻を引くつかせた後、ざらついた舌が肌を撫でた。


「しばらく一緒にいることになったんだ。受け入れてくれる?」

「ねぇってば」


 いいこと考えた。

 腕を組んでいるスミレさんに笑いかける。

 

「なーいしょ」

「っ、何よ。嘘なのね」

「だとしたらさっきの話も嘘だったんだね」

「生意気なやつ」

「にゃー」

「にゃ、はぁ?ほんっと、初めは異常に警戒心高いとことか、お風呂入れてご飯食べさせたらすーぐ懐いて甘々になるとことかそっっっくり」


 ぼそぼそ何か言いながら、スミレさんは書斎机を回って椅子へ座って足を組み、羽ペンを取り出した。


「いつまで突っ立ってんの。隣座りなさい」

「はい」

「まずウチは……」


 しばらく座学が続いた。

 

 日の色が赤く染まり始めた頃、扉がノックされる。


「あら、もうこんなに経っていたのね。入っていいわ」

「失礼いたします。紅茶とビスケットをお持ちいたしました」

「ありがとう。シオン、休憩にしましょ」


 頷いた。


 剣の訓練と座学で日々が過ぎていく。

 たまに許可される外出では門限が決まっていて、怪我をするようなことは禁止。


 門限なんてなくなって久しかった。

 家で誰かが待ってくれているということを嬉しく感じる。


「おかえり、シオン」

「ただいま」

「怪我は?」

「してないよ」


 頭から足の先まで舐めるように見られる。

 釣られて下を向き汚れを確認した。


「ふぅん」

「あの、黒い服がいいんだけど。やっぱり白似合わないって」

「似合ってるじゃない。付いた汚れもわかりやすいし。黒だと汚しそう」

「僕が?」

「そ」


 白シャツ白コートに灰色のズボン、黒い靴。

 拾われたときの姿が姿だったため、思考が過保護に寄っている気がする。


「いや、汚したくて汚すわけじゃないよ」

「でも白いと汚しちゃダメだって思わない?」

「思うよ。だから汚さないように汚さないようにってずっと気にかけてる」

「それが正しいわ」

「疲れるからできれば黒の方が」

「慣れなさい。私はズボンも靴も真っ白にしたっていいんだから」


 歯の隙間から息を吸う。

 

「わがっだ。慣れるよ」

「ひっくい不細工な声だこと」

「ひどい……」


 鼻を鳴らして踵を返すスミレさんを見送り、割り当てられた自室へ向かう。

 僕が外出した日は毎回玄関で出迎えてくれていた。

 待ってくれているのは、嬉しい。

 光を反射しない赤の瞳が姉と重なり、偶に震えそうな時はあるけれど。

 姉の目は青色だと言い聞かせて耐えていた。

 

 父上を亡くすまでは僕の家もそうだった。

 父上が亡くなってからは僕が誰かを見送ることも出迎えることも、誰かに出迎えられることも見送られることもなくなった。

 できるだけ刺激しないように家を出て、悟られないように家へ帰って自室で眠っていた。


 魔物を狩ってたまに換金してから家に帰り、玄関に稼ぎを置いて眠って翌日また魔物を狩るのが日常だった。

 玄関に置いた硬貨袋はいつの間にか消えていた。

 誰とも話さない日だってあった。

 久しぶりに話すとき掠れた声が出て笑われたこともあった。


 今はスミレさんが毎日話してくれる。

 使用人とはスミレさんの名前を聞いた時以来あまり話していない。

 僕を揶揄った執事の方もすれ違う時はお辞儀をするだけで、挨拶以外はなかった。

 スミレさんが使用人と会話しているのを見かけるのは珍しいことじゃない。

 メイドと執事、メイド同士や執事同士も同じく声を掛け合っている。

 消去法で原因は僕だった。


 浴室から出て濡れた髪を拭く。

 ……お腹空いたな。


 お世話になり始めてふた月くらい経っている。

 ある程度一日の過ごし方が決まってからはあっという間だった。

 外出しない日は剣の訓練以外ずっとスミレさんと一緒にいることが多かった。

 

 夕飯を食べてベッドに入るとリンドが膝上へ乗ってきた。

 ふみふみしながら寝床を整え、三回回って体を下ろす位置を決め満足そうに丸まった。

 こうして気まぐれに来ては朝いなくなっていることが多い。

 

「おやすみ、リンド」


 リンドの寝床を崩さないよう、ゆっくり上体を倒して目を閉じた。

 

 ――――――――

 ――――

 ――


 目が覚めると、寝る前と同じ位置に少しの重みを感じる。

 目を向けるとリンドがいた。珍しい。


 喉が若干乾燥していて、水を飲みたかった。

 リンドはどのくらいで起きるんだろ。

 二度寝ができそうなくらいの眠気は残っていないため、なんとなく天井を見上げた。


 いつまでここに居ていいのかな。

 スミレさんは暫くここで過ごしてほしいって言っていたけど……。

 重ねている月日と比べ、スミレさんのことはあまり知らない。

 僕のことばかり聞いてくるのに対し、自分のことはあまり語らなかった。

 無理に聞くのも違うと思い、つっかえる言葉は心の底に降り積もっていく。


 何をいつどこまで聞いていいかわからない。

 人との距離の詰め方、親しくなる方法を忘れてしまった。

 忘れてしまったというのは違うか。

 王女様とはいつの間にか仲良くなっていて、姉とも物心ついた頃にはもう仲良しだった。

 覚えている限りで王女様と姉とは喧嘩したこともなかった。


 父上が亡くなってからの役割はお金稼ぎだった。

 ここでは与えられるのみで何もしていない。

 家事や農場、牧場の手伝いはさせてもらえない。

 スミレさんが引き継いで管理している鉱山なんて以ての外だった。

 どうにもできない焦燥感が蓄積されていく。

 

 期待されていないのかな。

 スミレさんが僕に何を期待しているのか、そもそも期待されているのかわからない。


 視界の端で白い毛玉が伸びた。


「おはよ、リンド」


 起きて顎を撫でると、喉を鳴らしながら内腿付近まで登ってくる。

 左腕を回して包みながらしばらく撫で続けた。


 甘えたい日なのか全然動かない。

 そろそろ何か飲みたいけど、この癒しは何物にも代え難い。


 リンドが満足したのはそれから更に四半刻が経った後だった。

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