7. 高価な付加による負荷
「あの……」
沈黙に耐えられず声をかけた。
女性は何も答えずに目を伏せる。陰りのある表情に息を飲んだ。
緩慢で、それでいて優雅な動作で帽子を脱いだ。
誰かに見せるために洗練された振る舞いは、女性が相応の身分であることを語っている。
顔が光に照らされるが、瞳の色は暗いままだった。
「私も独りなの。よかったらウチに来ない?」
何を読み取って何を思ったのか知らないが、行くわけがなかった。
「お心遣い痛み入ります。ですが私は大丈夫です。一人ではないですし、少し休めば動けます」
「馬車が汚れることなんて気にしなくていいわ。ここも絶対に安全な場所じゃないのよ?今動けないなら甘えなさい」
「本当に大丈夫です」
「彼のこと馬車へ入れてあげて」
「やめてください」
「なら振りほどいてみなさいな」
……強引な人だ。
きっとこの程度どうとでもできるくらいには力を持った人なのだろう。
僕を運んでいる人へ向けお礼を言い、おとなしく座席へ詰め込まれた。
「お名前は?」
「……」
「お名前は?」
「……シオンといいます」
「シオンさんね」
「あなたのお名前は伺ってもよろしいのでしょうか」
「そんなに畏まらないで?ご両親は商人の方かしら」
「っ、」
馬車、父上、血濡れの姉、冷たくなっていく母上。
「ごめんなさい。もうご家族の話はしない。そうよね。浅慮だったわ」
こんなボロボロで道に倒れていた挙句、家族の話に動揺したら誰でもある程度は察するか。
魔力が回復しない。
余計なことを考えたくないがためにのめり込み過ぎた代償。
不規則な揺れが眠気を誘う。
結局、この人の名前は何というのだろう。
会話を必要としない気まずい空気が今の僕には心地よく感じた。
わざわざ壊したくない。
けれど目を閉じて無防備にはなりたくなかったため、睡魔を頭の片隅に追いやって何でもない風を装いながら馬車に揺られて時間を潰した。
カタンッ、カタンッと二回控えめな振動がお尻に響く。
一切の揺れがなくなり、道が舗装されていることがわかる。
外の景色が見えないため止まっているのか進んでいるのかわからない。
そうしてまた暫く時が経つと、漸く馬車の扉が開いた。
「シオンさんを降ろしてあげて」
流石にもう自分で歩ける。体力が回復しつつあった。
「ありがとうございます」
降ろしてもらい一歩踏み出すと、膝から下がなくなったかのように体が崩れ落ち、すぐに抱き留められる。
あ、れ。
「わかった?自分の体の状況」
「……はい」
「あなたはシオンさんを浴室へ連れて行って。着替えはあの人のを仕立て直してから渡して」
「かしこまりました」
「またあとでね、シオンさん」
「ご迷惑をおかけします。申し訳ございません」
「そんな顔しないで?あと、ありがとうって言うべきね」
確かに。仰る通りだった。
自嘲的な笑みが零れる。
一瞬目を伏せ、再度見上げてお礼を伝えた。
「ありがとうございます」
「っ、えぇ。どういたしまして」
入れ替わりやってくる人へ次々に指示を飛ばしている声を背に、扉が開け放たれた邸宅へ横抱きにされながらお邪魔した。
自分で服も脱げないことに絶望しながら、次々に剝がれていく服たちを見送る。
一時期メイドに体を洗われていた期間があったため、気恥ずかしさは抑えられる程度だった。
首元の緩い寝間着へ着替えされられる。
ここへ着いたとき、あの人のを仕立て直してと言っていたことを思い出す。
光を反射しない赤色の瞳孔が、父上を亡くしたときの母上と重なった。
私も独りなの。
明けの空に寂しく溶けていった言葉が脳によぎる。
胸を握られたような感覚。
高貴な人なのはわかっていたのに少し邪険にし過ぎた。
今更後悔しても遅いか。
いつの間にか閉じていた瞼を持ち上げた。
湯で引き上げられた体温と一定の歩の間隔が瞼を重くする。
寝かしつけられてるわけじゃないのに、心地よいリズムに誘い出された睡魔が視界を覆い真っ暗にする。
誰かに寝かしつけられたのなんて何年前だろう。
「ごゆっくりお休みください。失礼します」
え?あぁ、ベッド……。
背を包むふわふわへ沈み込むように意識も落とした。
――――――――
――――
――
微睡みから起き上がれない。
腕が痒いように感じ、寝間着越しに摩る。
違和感に眠気が引いた。
上体を起こして腕捲りすると傷がなくなっていた。
僕の腕はさっきまでというか眠るまで、裂傷だらけのでこぼこだった。
今までの悪夢は存在しなくて、全部夢だったんじゃないかとさえ思える。
父上がいなくなる前に戻れたような気分だった。
以前傷が残らない高級傷薬を姉に使った。
でもあれは痕になってから塗っても効果がない。
もしかしたら消えるかもとクトに塗られたとき、体感している。
……だとしたら。
「お目覚めになりましたか。お食事をご用意しております」
そう言われてお腹が鳴いた。
顔が熱い。
「ぁ、りが……ます。じゃ、じゃなくて!腕が!見てください!」
「腕でございますか?きちんと付いておりますよ。ここからでもはっきり見えますとも」
「えっと、はい。でもあのそうじゃなくて、傷がなくなってるんです」
「はっはっは、悪戯が過ぎましたかな。奥様が是非と仰りまして。奥様も今ダイニングにいらっしゃいますよ」
「ありがとうございます。案内していただけますか?」
「もちろんですとも」
というか、傷が消えているだけじゃない。
起き上がるために力を入れたのに腹筋が痛くなかった。
足も痛みなく動かせる。
スリッパを扉前に出しながら四半日寝ていたのだと教えてくれた。
「奥様が朝早くにお出かけされた際、お昼にもお食事を召し上がるのです」
「そうなのですね」
柔らかい絨毯が足音を消す。
どれだけ歩いても足裏が痛くならなそうな程、一歩一歩優しく包んでくれている。
「奥様、お連れいたしました」
特に誰かに伝えた様子はなさそうだったけど、奥様と呼ばれた女性は並べられた料理に手を付けず僕を待っていたらしかった。
背中を軽く押され、向かいの席へ誘導される。
引かれた椅子に座ると、こちらを見つめている瞳と目が合う。
「おはようございます」
「よく眠れたかしら?」
「はい。こんなに寝られたのは久しぶりでした」
「そう。よかった」
「腕の傷、治してくださったんですね」
「気にしないで。私は傷一つ付かないよう育てられてきたし、これからも怪我をするようなことは自分でやらないから」
「それでも、こんなに高価なもの」
「いくらかなんて忘れたわ。使い道も使う予定もなかったの。なら必要だと思ったときに使うのが一番でしょ?……それとも、大事な傷だった?勝手に治してごめんなさい」
居たたまれなさに反射で浮こうとする腰を意識的に抑え込んだ。
傷がなくなるということは、僕にとってこれまでの最悪な日々が全部悪い夢だったのだと本気で思えるくらい本当の本当にとてつもなく大きなことだった。
父上と母上と姉と四人で暮らしていた頃の僕に戻れたような。
「いえ!そんな、嬉しかったです。ありがとうございます。僕からお返しできるものがなく、」
空気を読まないお腹が、何でもいいから食べたいとダイニングにいる人へ無差別に知らせる。
半開きの口を閉じた。
「うふふ、いただきます」
「ぃただきます」
食べ終わる頃に漸く落ち着けた。
痕が消える品質の薬なんて置いている店にすら入ったことがない。
ベッドも、ご飯も、返さないといけないものが嵩んでいく。
僕は何を返せる。
「ごちそうさまでした」
「お粗末様でした。シオンさんはこの後どうしたいの?」
どうしたい……どうしたい?
「……急に言われても困るわよね」
「いえ、考え込んでしまい申し訳ありません。どうしたいかと言われると、いただいたご恩に報いたいです」
「恩なんて……。なら、暫くウチで過ごしてくれる?」
「それをあなたが望むなら、謹んでお受けします」
「私の名前、スミレって言うの」
一切の物音がなくなったような錯覚。
異常な静けさが辺りを漂う。
執事もメイドも誰も動かない。
スミレ様はそんなこと気にも留めず、ティーカップに口を付ける。
自覚ないままに何かいけないことでもしてしまったのかと焦りが胸にじわっと広がった。
「私の部屋へ行きましょ。色々教えておきたいことがあるの」
「べ、勉強ですか?」
「そう。ウチのしている事業の話とか管理している事とか」
「わかりました。僕にできるのは読み書きと計算、この国の成り立ちや一昔前の貴族の方の情報と付近の国々の情勢を把握している程度です。剣には自信があります。魔物や獣ならある程度は倒せます。人は……わかりません」
「そう。付いてきて」
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