5. 夢に覚める
「父上」
「どうした」
「王女様ってどんな人なの?」
「あー、まぁシオンと同じ5歳の女の子だよ。あんまり構えないでいいからな」
「構える?」
「緊張しないでいいって意味だ」
「ふーん。僕は大丈夫だよ」
「そうだな。シオンなら大丈夫だな」
「うん。父上は忙しいんだからもっと頼ってくれていいんだよ」
気恥ずかしくなって前を向く。
「……がっはっは。子供が気を遣うんじゃねぇ。でも嬉しいよ。ありがとな」
いつもと違うわざとらしい笑い声に父上の顔を見たくなって向き直そうとしたけど、乱暴に撫でつけられた手のひらに押されてできなかった。
「もー!これから王女様と会うのに……」
下を向いて頭を振り、指を何回か髪の間に通す。
「ったく、後で直してもらえばいいだろ。……わかったよ、今直してやるから。こういうのは無造作な感じのほうがかっこいいんだよ。ここら辺をこうして、この辺はペッてやるだけでほら、直った」
「ほんと?」
「かっこいいかっこいい」
「あとでセバスに聞くからね」
「誰に聞いても似合ってるって言われるに決まってる。俺がセットしたんだからな」
「父上のいないときにこっそり聞くからね」
「よし、今日はずっと一緒にいような」
「今日だけしかいれないくせに」
「……悪いな」
「い、いいんだよ!わがまま言ってごめんなさい」
御者によるともうすぐ着くらしかった。
「いつまで暗い顔してんだ。わがままなんていくらでも言っていい。むしろシオンは言わなさ過ぎだ」
「うん……」
「お前は普通の幸せを掴むんだぞ」
「……?」
これは、夢だ。
父上の久しぶりの休暇で王城へ行き、初めて王女様と会った時の。
今思えば休暇じゃなかったのかもしれない。
きっと問い詰めても、王様とはもう友達だから遊びに行くだけなんだなんて言って誤魔化したんだろうな。
このまま夢を見続けたい。
本当は今見ているこっちが現実で、目が覚めた世界の方が夢なんじゃないかと思った。
夢に覚めたくない。
ベッドの軋む音が聞こえる。
ただ目を閉じているだけの真っ暗な世界。
目を開くと自室の天井だった。
おでこに違和感を感じ、乗っかっているものを取る。乾きかけのタオルだった。
無視していた左腕にかかる重さへ視線を向ける。
「姉さ、シオリ」
眠っていたわけではなかったのか名前を呼んで数瞬の後、パッチリとした双眸と目が合った。
眉は心配そうに下げられている。
「シオリ、ご飯は食べたの?」
「そんなことより体調は大丈夫?」
「大丈夫だよ。心配かけてごめんなさい」
そう答えて外を見る。
夜が更けていた。何刻経ったんだろう。きっと夕飯は片されてしまっている。
悪いことをしてしまった。
「お腹空いた?私が何か作ろうか?」
「ふふっ、作れるの?」
「作れるよ。嘗めないで」
「何。それ」
ギィっと扉が開く音と重なって、低く響くその声が母上のものだと最初わからなかった。
「みんなして除け者にして。そんなに邪魔なんだったら殺せばいいじゃない!ねぇあなた、酷いと思わない?」
無音。
「そうよね。酷いわよね。反抗期なのかしら。シオリもシオンも今まで反抗期なんてなかったものね。嬉しくて悲しくて嬉しいようで悲しいわ」
母上のいる方へ勝手に右足と左足が交互に動く。
「母上、お久し、ぶりです。どなたと話されているのですか」
「なぁに?そんな顔をして。ここにいるじゃない。ねぇあなた。おかしなことを言うのね」
そこには誰もいません。母上。
目の前にいるのは母上なのだろうか。
整えられた髪と丁寧に保湿された肌と唇。
それに不釣り合いな窪んだ目元と光を反射しない瞳孔が強烈な違和感を際立たせている。
「あら、シオンってば小さい頃のあなたにそっくりね」
「母上」
「本当にそっくり。本当にそっくり。ここにいたのね、あなた。生きていたのね」
「僕はシオンです、母上」
「いいえ、違うわ」
「母上!父上はもう」
「私は母じゃない!あなたの妻よ!おかしいこと言わないで、兄さん」
……?
あぁ、まさか。
母が一歩、一歩と近づいてくる。
小さい頃の父上って。
父上と母上の馴れ初めって。
「シオリとシオンも大きくなったわ。そろそろもう一人ほしいと思うのよ」
「姉様!」
「あなたに姉はいないでしょ?兄妹は私だけじゃない」
「姉様!助けてください」
姉は俯いたままその表情を隠し動かない。
「……シオリ」
ふりふりと力なく揺れる髪。
どうしよう。僕が何もしなかったからだ。
どうしよう。どうすれば元に戻る?
どうしよう。何をすればいい?
誰か!
父上、助けてください父上。
「行きましょ」
「っい」
左手首を信じられない怪力で母上に掴まれる。
激痛で膝から崩れ落ちた僕を引きずりながら母上は寝室へ歩いた。
どうしようどうしようどうしよう。
何を言っても取り合ってくれない。
寝室へ着いてしまった。
ベッドへ投げられる。
木枠に腿をぶつけ、慣性で顔面からキルトに突っ伏した。
脇に手を入れられ、仰向けで寝かされて馬乗りにされる。
「幼くなったあなたもいいものね。犯しやすくて」
「何を言ってるのですか。正気に戻ってください母上」
「さっきから妻だって言ってるでしょ、兄さん。何度も言わせないで。もう七回目じゃない」
「何度でもいいます」
「次言ったらいつものお仕置きね」
僕の家族は元から普通じゃなかった。
血の気が引き、虚無感が指先まで流れていく。
体に力が入らない。
父上はいっつもあちこち行っては色んな話をしてくれた。
10人ぐらいが手を繋いでも収まりきらないほど大きい木がある国の話、髪の毛を赤く染めてツンツンに固めて踊る祭りがある国の話、人の頭より大きい卵を産む鳥がいる島の話、絵画みたいに綺麗な池がある山の話。
帰ったきたときは家族みんなで集まってへたくそな絵と一緒にあった出来事や出会った人のことを話していた。
「どうしたの?いつもならもう元気になってるのに」
そういえば、と。
どうしてあんなにも家にいなかったのかとか。
できるだけいたくなかったのかなとか。
たまに父と出かけるときも母はいなかったなとか。
というか姉もいなかったなとか。
「最近は特に忙しそうにしていたものね。疲れが溜まっているのかしら。仕方ない。明日にしましょう。明日は絶対にしましょう。そうしましょう。……おやすみ、あなた」
祖父母と話したことないなとか。
そもそも会ったことないなとか。
両親から祖父母の話聞いたことなかったなとか。
いないのはあり得ないとして。
僕の両親が兄妹だったとして。
祖父母は父方と母方で分かれてなくて。
そうなると曾祖父母は何人いるんだろう。
この狂った血脈はいつから続いている?
「シオン、シオン。私考えてたの。何でこんなことになっちゃったのか。お父さんの代わりにさせられそうなんだよね?このままお父さんの代わりになったらシオンは取られちゃうんだよね?私のところからいなくなっちゃうんだよね?シオンがお父さんの代わりになるなら、お母さんがいなくなったら私がお母さんの代わりにシオンの隣にいられるよね。だってお父さんとお母さんはずっと一緒にいるものでしょう?お母さんはお父さんと一緒のところにいるべきなの。送ってあげるべきなの。だって夫婦ってそういうものでしょう?そう決まっているから。だからそうするの」
振り上げられる先端の尖った銀光。
常温の液体が右上半身に降りかかり、右目の視界が赤く染まる。
「シオンっ、戻ろ?」
信じたくない。今目の前で行われたことは本当に現実……。
いや。嫌。
嫌でも逃げたって何も変わらない。
「ほぉーら、いくよ」
夢、だったらよかったのに。
眠くもないのに襲ってくる睡魔に身を任せたくなり、見たくない現実からの逃避が癖になってしまってるのを自覚する。
逃げたって何も変わらないのはわかってる。
わかってる。だから。
「姉様」
「誰?それ」
「姉様!」
「誰それって言ってるじゃん。もうあの女がいなくなったんだから夫婦になれたんだよ?」
向き合わなくちゃ。
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