4. 理想と現実のちぐはぐ

 腰に付けた革袋へ今しがた討伐した魔物の魔石を入れる。

 軽く振ると4つの魔石がぶつかり合い、鈍い音が鳴った。

 

 もう暗いけど、負った傷も想定より少ない。

 視界の端でイノシシ型の魔物を視認する。


 防護魔法を展開した。


 向こうもこちらを感知したようで次の瞬間には目の前がイノシシの顔で埋まっていた。

 剣を振り抜き鼻先を切り飛ばしながら左へ避ける。

 第三の前足として牙を地面に突き刺して方向を変えこちらへ突っ込んできた。


 大きめに左へ飛んでしまったためまだ両足が地につかない。

 防護魔法の出力を引き上げる。


 牙に剣を合わせ、散った火花を背にイノシシの背中へ手をついて後ろをとりつつ跳ねて着地する。

 すぐに懐へ飛び込み、後ろ足を切り落とした。

 右足を軸にそのままに体を回転させ、左腰に剣を構え振り返る。

 こちらを睨む目と目が合った。

 幾分速度が落ちた突撃をいなしながら前足も切り飛ばす。

 強めたままだった防護魔法の出力を抑えた。

 

 四足へ戻らないよう蹴って姿勢を崩す。

 何回か首に剣を叩きつけ、切断した。

 

 魔物の体から魔石を取り出す。

 牙も引き抜きリュックへ放った。


 換金を済ませ、家へ帰る。

 そろそろ鍛冶屋で剣を手入れしてもらった方がよさそうだった。

 定期的に持っていきたいけど、プロの仕事は安くない。

 簡単な手入れの方法を通い詰めてなんとか教えてもらい、行く頻度を減らして節約している。


 本当は装備を整えたい。至る所に継ぎ接ぎが見える。

 魔物を狩ること、戦闘自体は嫌いじゃない。

 好きとは違うけど苦ではないから向いているんだと思う。

 ため息を飲み込む。


「ただいま」


 静かに扉を閉める。

 フードを外し、今日の稼ぎを玄関に置いておく。

 

 シャワーを浴びて姉の部屋へ向かう。

 帰ってきたらこうしろと言われている。

 姉は開いていた本を閉じ、本の上に手を置きながら振り返った。


「おかえり」

「勉強の邪魔してしまいましたか?」

「ううん。大丈夫」


 椅子に座っている姉の近くに寄り、右手を持ち上げる。

 少し前にぶつけた肩の痛みは引いていた。

 

「勉強お疲れ様です」

「……ん」


 こてんと僕の胸へ体を倒し、頭を押し付けてくる。

 後頭部を撫でるよう手の位置を変えた。


「……癖になっちゃうよ、これ。するのもされるのも好きぃ」


 下から覗き込まれるような視線に捕まる。

 腰の後ろに両腕が回されていた。

 濡れた瞳を期待に揺らしながら、ね?と目で訴えかけてきている。


「はい」


 右腕が重くなる錯覚。

 拒んだときのことは想像したくなかった。

 姉の鼻呼吸の音が大きくなっていく。

 思わず顔を背けてしまった。

 

「嫌?私を拒むの?」

「拒まないです。……嫌ではないですけど、擽ったいです」

「いい匂いなのが悪いんだよ。私は悪くない」

「そろそろ夕飯のお時間です。行きませんか?」

「……えー?」


 間延びした声に、とろんとした双眸、強まる両腕の締め付けは僕を離さない。

 痛みと別の感情から歪みそうになる表情を押し留める。

 

 腰に回された五指が順に蠢き、背を登っていく。

 肩まで這い上がったところで指をかけられ、下に向かって押し込まれる。

 抗わずに膝をつくと、おでこを指で押された。

 カクンと首が曲がり、天井を見上げる形になる。

 下あごを掴まれ、口を開けさせられる。


「いいよね?」


 腰を曲げて耳元で囁いた後、返答も聞かず唇を押し付けてくる。

 鼻を抓まれた状態で姉の唾液が流れ込んできたため、溺れないように飲み込んだ。

 鼻を抓まれたときは飲み込むまで離してくれなかった。


「んぐ、けほっ、んんっ」

「んふふっ」

 

 一部が気管に入ってしまい、喉の奥につっかえたものを出そうと咳が反射で出る。

 咳に揺れる体を押さえつける様に後頭部と背中に手が回され、上半身が僅かに引き上げられる。


「ぐふっ、んっ、んふっ」

「ちゅ、あむ……ひゃいこぉ」


 姉の口に吸い込まれ、咳が出せない。

 後頭部と背中に回された腕の力が強まっていく。

 閉じた目尻に涙が溜まり、きっとそれを見たであろう姉の唇が薄くなった。

 目を開きたくない。

 開いたとしても映った姉の目は笑いに細められ、口角は上がっているに決まっている。


 喉を締めて咳払いをし、つっかえを取った。

 もっと苦しめと言う様に再度流れ込んでくる唾液を飲み下す。

 空気ごと飲み込んでしまい喉が鳴った。

 はしたない音に目を開く。

 熱が顔へ上ってくるのを感じる。


「っ、……それ好き。ごくって飲んでほしい」


 こちらを見下ろし、左右の頬をそれぞれの手で覆うように爪を立てていた。

 解放されたため姉から目を逸らし四つん這いになって息を整えていると、無理やり視界に入り覗き上げながら回答を催促してくる。

 それどころじゃ、ないのに。


「げほっげほっ、ん、はぁ、けほっ……、わ、わかりました」

「あとさ、敬語やめて」

「はい」

「シオリって呼んで」

「……わかっ、た」


 好きって囁いて。

 耳にキスして。

 撫でて。

 抱きしめて。

 ご飯食べよって耳元で言って。

 次から言われなくても同じことして。


 好き。

 んっ。

 うん。

 うん。

 ご飯食べよ。

 うん。


 僕は姉が好きだ。家族として。

 嫌いになりたくなかった。バラバラになればお互い一人ぼっちになる。

 元の仲良い普通の姉弟に戻りたいなら、家族として大事に思っているのなら、あのとき姉自身が自分を人質に取ろうと、受け入れちゃいけない部分はきちんと受け取れないと伝えなきゃいけなかった。

 そして当たり前だけど父上はこんなことしない。させない。


 理想は普通の家族で、母上の力になって姉とは以前のように普通の姉弟に戻りたい。

 ただ現状は普通とは言えなくて、母とはしばらく話してない。部屋に籠って何をしているのかわからない。

 姉との関係は壊れてしまった。壊してしまった。


 昔に戻りたい。

 父上が生きていた頃に戻りたい。

 こんなこと、止めにしたい。


「ねぇーえー。ご飯食べに行くんでしょー。早く行こーよー」

「……あの」

「シオンが何考えてるかなんて大体わかるよ。でもダメ。私を否定しないで。見損なわないで。失望しないで。捨てないで。諦めないで。無視しないで。逆らわないで。取り消さないで。認めて。好きでいて。愛して。愛させて」

「……」 

「シオンの優しさに甘えてばっかりでごめんね。でも私ずっとこうなの。ずっと前からこうだったんだ。お父さんが死ぬずっと前から。シオンを愛すためならシオンだけを愛すためなら、シオンから愛されるならシオンだけから愛されるためなら、私の体なんてどうだっていいの。卑怯なお姉ちゃんでごめんね。そのためだったら、私のこのたった一つの願いが叶うなら、私は何だってできる気がするの」

 

 未知の価値観に脳を無理やり広げられたような痛みが走る。

 そう言われて僕はなんて返せばいい。

 なんでもないことのようにすらすらと紡がれた言葉の重さを僕は理解できない。

 普通じゃダメなんだろうか。

 普通に生活して、普通に仲良くして、普通に喧嘩して、普通に許しあうのはダメなんだろうか。


 ……おいおいおい、今更普通に戻れるとでも?俺を殺しておいて?

 死んだはずの男の声が聞こえる。

 殺されるほど悪いことしたのか?なぁ、生きていけるだけの金は渡してただろ?

 忘れ去りたい思いに反して何度も夢に出てきては似たような事を言ってくる。

 

 うるさい。

 お前が消えなければ死んでいたのは僕だ。生きるために死んでいた。

 お前を消したのは爆じゃない。僕は悪くない。

 それに悪意に殺されるかそれを排除するかなら、誰だって後者を選ぶ。

 そのはずなんだ。

 

 その結果がこれだったなら、死ぬべきだったのは僕の方なのかな。


 内外から湧きぶつけられる感情は、僕が受け止めきれる許容量を容易く超える。

 処理しきれない負荷に脳は鈍痛を発した。

 大きくなっていく鳴りやまない耳鳴りを追い出したくて頭を振る。

 甲高い音が耳に刺さる。

 息が詰まる。

 

 苦しい。

 息を、吸え!

 足りない。もっと、じゃないと息が。


 耳鳴りが徐々に小さくなっていき、瞼が閉じていく。

 体が揺さぶられている自覚がない。ぐわんぐわんと上下に視界が動いているのにどこか他人事のように感じる。

 遠のいていく意識に逆らう気も起きず、そのまま手放した。

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