第25話 マジトラ教と邪龍
中央大陸の遥か東に人間達が魔大陸と呼ぶ大地があった。そこに住まうのは魔人達。信仰する邪神毎に共同体を形成して暮らしていた。
魔大陸の最西端にはマジトラ神を信仰する集団の街がある。マジトラ神は比較的新しく生まれた邪神であったが、最近は中央大陸を中心に勢力を伸ばし、めきめきと力をつけていた。
マジトラの街の中心にある神殿。降臨の間には、頭に立派な角を生やした魔人が立っている。その名はフラゴリーノ。マジトラ教の最高指導者として知られていた。
「フラゴリーノ様。御神託は下りましたでしょうか?」
マジトラ教の司教が緊張した面持ちで尋ねる。フラゴリーノは眉間に皺を寄せて目を瞑り、深く息を吸った。そして吐く。
「ラング帝国の教会が潰されたそうだ。新たに生まれた魔人百体の反応も消えたらしい。マジトラ神曰く、『勇者の仕業』だと」
「勇者……!?」
「あぁ。一晩で魔人百体葬るような存在は勇者しか考えられないとマジトラ神はおっしゃった」
司教は難しい顔をして考え込む。
「それで、どうするのです? 本当に勇者がいるのなら、我々魔人といえど、手を焼きます」
「それについても神託があった。『毒龍ヒュドラ―に相談せよ』とのことだ」
「おお! それは名案ですな。流石マジトラ神!」
自分が褒められたかのように、フラゴリーノは胸を張る。
「これから書簡をしたためる。使者の用意を」
「はっ!」
二人は足並みを揃えて降臨の間を後にした。
邪龍に勇者討伐を依頼するために……。
#
帝都ラングリアの冒険者ギルド。
ギルド長のジルベルトが気怠そうに扉を開けると、一階はいつも通り冒険者でごった返し、男臭い熱気に溢れていた。
二日酔いにはきついのだろう。口元を押さえ、えずきながら階段を上がり、ギルド長室に逃げ込んだ。
「はぁ……はぁ……。男の臭いはきついな……」
執務机の椅子にどっかと座り、なんとか息を整える。
かつてはA級冒険者としてその名を馳せていたジルベルトだったが、ギルド長になってからはすっかり堕落していた。
商人や貴族、他のギルド長との折衝ばかりで冒険者をしていた頃のような、ひりつくような緊迫感はない。
ただ人間同士の調整をしていることを嫌気がさし、酒ばかり飲んでいた。
そして、翌日は二日酔いで朝のうちは全く使い物にならない。
ギルド職員もそれは分かっているので、何か用がある時は、昼を過ぎてからギルド長室に訪れるようにしていた。
しかし、その日は違った。
慌てて階段をのぼる音がした後、ギルド長室の扉が叩かれ、返事を待たずに開け放たれる。
「ギルド長! 緊急事態です!」
男性職員が焦った声を出す。闖入者に不意を突かれたジルベルトはえずいた。
「おぇぇ……。俺も緊急事態だ。吐きそう」
「ふざけている場合じゃないですよ! ギルド長! 帝都の存亡に関わる事態です!」
ここでようやく、ジルベルトの目つきが鋭くなった。ぐっと背を伸ばし、俄かに威厳を取り戻す。
「邪龍ヒュドラーが中央大陸の東、イヤイナ神国にあるオイカル湖に現れたそうです! 毒の息で湖を汚染した後に飛び立ったと神国のギルドからメッセージが届きました」
「それで、むかった先は……?」
男性職員は唾を飲むと、はっきりとした口調で告げた。
「ここ、ラング帝国の帝都ラングリアです……」
「間違いないのか?」
「はい。幾つものギルドから情報が上がって来ています。邪龍ヒュドラ―はラングリアに向かっていると。早ければ、今日の夜にも到着するのでは? とのことです」
ジルベルトは険しい顔をして腕を組む。
「剣聖リベリウスは?」
「もう帝都を離れました……。もし、他の街の冒険者ギルドによっていれば、連絡がいく筈ですが、今日中に帝都に戻ってくるのはまず無理かと」
「他のS級冒険者も期待出来ないなぁ……」
男性職員の額に脂汗が浮かぶ。
「どうします?」
「とりあえず、皇帝陛下に報告する。帝国軍と宮廷魔法師団でなんとかしてもらうしかあるまい……」
そう言ってジルベルトは立ち上がり、ギルド長室を後にした。
#
皇帝から緊急の指令を受けたアリエルは、全力で帝都近くの森へ向かって駆けていた。ありったけの魔力で全身を強化し、筋肉と骨を軋ませながら地面を蹴る。
森に入ってもその勢いは衰えず、たまにすれ違う冒険者はモンスターの襲撃かと武器を構えた。
アリエルはその度に急停止して、冒険者にこう尋ねる。
「ローブを纏い、フードを被った男女二人組を見なかった!? 女の方が背が高くて、男の方はまだ少年って感じなのだけど!」
冒険者のほとんどは「知らない」「見てない」と素っ気なく返事した。するとアリエルはまた身体強化魔法を発動して森の奥へと駆け出す。
そんなことを繰り返している内に、陽は段々と落ちて来た。昼間でも暗い森は更に闇深くなり、冒険者達はそそくさと帝都へと戻り始める。
「ねえ貴方! ローブを纏い、フードを被った男女二人組を見なかった!?」
アリエルが声を掛けたのは、大きなリュックを背負った屈強な男だった。しばらく森に籠っていたようで、髭が伸び放題だ。
「うん? フードを被った二人? あぁ、剣の修行をしてる奴等のことか?」
「その二人よ! どこで見たの!?」
「こっから少し行ったところにある、湧き水の泉の近くにいつも天幕をはっているぞ。水を求めてやってくるモンスターを根こそぎ、剣の錆にしているよ」
男の指差した先をギッと睨むと、アリエルは「ありがとう!」と叫んで走りだした。
#
夕暮れ時の森の中で、ロミオンは静かに短剣を構えていた。その正面には馬車の客室程の図体をした亀のモンスター、メガタートルがいる。
メガタートルは大口を開けてロミオンを威嚇し、何度も前足で地面を踏み鳴らしていた。
少し離れたところには長身褐色の女が腕組みをして立っている。自らをダークエルフの末裔と信じるただの人間、ラランだ。
ラランは目を細めてロミオンの戦いを眺めていた。
戦いの行方を心配している様子はなく、ただ優しい視線を向けている。
メガタートルの興奮が頂点に達し、今にもロミオンに向かって体当たりを開始しようとした時、俄かに森が騒がしくなった。
森の樹々を揺らしながら、何者かが物凄い速度でやってくる。
ラランが少し鬱陶しそうに、闖入者に視線を送った。
「アリエル……なのです?」
アリエルは剣を構えるロミオンを見付けて急停止して、息を切らしながらラランの傍へと歩く。
「緊急事態なの!」
「しっ! なのです。ロミオンの技を見るのです」
皇帝からの指令を遂行しようとするアリエルを、ラランは窘める。
ロミオンは我関せずと相変わらず静かに構えたままだ。痺れを切らしたメガタートルが地面を踏みしめながら体当たりを繰り出す。
「斬」
平淡な掛け声と共にロミオンは踏み込み、メガタートルの巨体を紙一重で躱しながら、短剣によって空間に線を引いた。
まるで紙に筆を走らせるように、容易く、当たり前に。
メガタートルの分厚い甲羅に線が走り終わると、その巨体は停止する。そして、力なく地面へと沈んだ。血が噴き出ることもなく、断末魔の声が上がることもなく。ただ静かに、命が刈り取られる。
さっきまで大いに慌てていたアリエルだったが、ロミオンの剣技に見惚れ、今は呆けていた。
短剣を腰に収めたロミオンがアリエルに気が付き、「久しぶりだな」と気安く声を掛けながら近寄る。
「で、何か用か?」
「なのです?」
ロミオンとラランに問われ、アリエルはハッと我に返る。
「一大事なの! 邪龍ヒュドラーが帝都に向かって飛んで来ているの! お願い、ロミオン! 力を貸して!!」
「邪龍」の言葉に、ロミオンの瞳が輝く。
おとぎ話の中でもエルフの英雄は邪龍と戦うシーンがある。それを思い出していたのだ。
「ロミオン。『邪龍討伐』ね」
ラランもまた、その赤い瞳を輝かせている。もちろん、おとぎ話の「邪龍討伐」のシーンを脳内で再生していたのだ。
「あぁ……。歴史は繰り返される。帝都に急ごう」
エルフの英雄のおとぎ話を史実だと信じるロミオンとララン。二人は「邪龍討伐」の場面を再現するために、帝都に向かって駆け始めた。
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