「おばちゃん飴ちゃんやるわ」 雨上がりの空で/功琉偉 つばささん

 さて、二人目は功琉偉 つばささんです。


 感想ですが、話全体としてちゃんと最後まで通っております。最後には雨男に晴女をもってきてうまくハッピーエンドまで持ってきているところは、とても上手ではないでしょうか。最近の子はしっかりと物語を最後まで書けるのね。おばちゃんが若いころ書いていた子たちはだいたい序盤を超えるとだんだん支離滅裂になって、意味不明になってフィニッシュしたものだけど、大したものねぇ。


 さて、アドバイスですが、そうですねぇ、功琉偉さんには「伝える」という考え方を飴ちゃんとして持って帰ってもらおうと思います。


 さいかわ水無月賞なんて、そこかしこで名を上げた魑魅魍魎しか参加しないような賞レースに参加するくらいですから、恐らく功琉偉さんもカクヨム甲子園をターゲットにしているのだと思います。ということはやっぱり「面白い」だけの作品ではなくて、「選ばれる」作品を目指していると思いますので、そのあたりに役に立ちそうなアドバイスをいたしましょうかね。


さっそくですが問題です。以下を読んでみてください。


「今日は天気いいだね」

「そうだね。公園で遊びたいね」

「いいねえ! 行こうよ!」

「よーし! それじゃあ、学校終わったら集合ね」

 こうして、みかちゃんとあきらちゃんとわたしは、公園に行くことになった。


問題 「よーし! それじゃあ、学校終わったら集合ね」と言ったのは誰でしょうか?


 出題の意図は分かりますよね。答えは作者しかわかりません。一応、「みかちゃんとあきらちゃんとわたし」と言っていますので、その順番通りに解釈してもいいともいえますが、確実な根拠(こんきょ。もとになる理由。よりどころ。)はありません。また仮に最後の一文が、「こうしてわたしたちは、公園に行くことになった。」という表現になっていたら、もはや読者は想像すらかないません。


功琉偉さんの冒頭部を引用させていただきます。空行はカットさせていただきますね。


「ねえ。虹が見えるよ!」

「本当だ。 虹だ!」

「止まない雨はない。 ね。そういったでしょ。」

「そうだね。本当だ。」

僕と君は久しぶりに晴れた空の下で一緒に虹を眺めていた。


 作者は最初に「僕」、次に「君」の会話をしている”前提”で話を進めていますが、読者には一切その説明がありません。つまり、最初に「君」、次に「僕」と読むことも可能なわけです。その会話の内容で男女が推論できた結果、読者がそう解釈してもおかしくありません。


 このような冒頭の書き方は若い人ほど書きたくなります。理由はとても単純で、漫画的、アニメ的なドラマ展開を作者の脳内でイメージしてそのまま(あるいは断片的なまま)文章にしているからです。作者の頭の中にはいっぱい動画や静止画などのイメージはあるけれど、文面にあるだけの文字しか読むことのできない読者には、重要な情報を一切与えていないのです。これはいけないというよりも賞レースでは「一発でアウト」になりますので、厳にいましめなければなりません。


「ねえ。虹が見えるよ!」

 君は僕にうれしそうに言った。

「本当だ。 虹だ!」

 僕は空を見上げてから返事をする。

「止まない雨はない。 ね。そういったでしょ。」

 君は僕の顔を手で包み、僕の顔を自分に寄せてからウインクをする。とても得意げでかわいらしい表情だ。

「そうだね。本当だ。」

 僕はされるがままの状態で目を細めると、君は満足したのか、僕から手を離した。

 そして僕たちは久しぶりに晴れた空の下、もう一度、虹を眺めるのだった。


 どうも最初の会話は「君」の方でした。これは、おばちゃんが最後まで読んだからわかったことです。

 上記の補足や脚色をしたとしても、カクヨム甲子園ではおそらく失格になるでしょう。やはり漫画的、アニメ的なドラマ展開を冒頭に持ってくるのは得策ではないと思います。よくカクヨムで「プロローグを書くとそれ以降が読まれない」と言う人がいますが、それは何故かというと、プロローグにはこうした「作者にしかわからない漫画的、アニメ的なドラマ展開」が書かれているから、読者は続きを読む勇気を失ってしまうのです。

 少々長くなりましたが、小説の基本は「読者にどう伝えるか」にあります。もう少し話に直しますと、「一方的な自分語りではなくて、相手に向かって話を伝えるスタンス」である必要があるのです。功琉偉さんがおばちゃんに自作を音読している風景をイメージしてみてください。おそらく、おばちゃんは、3行目の「止まない雨はない。 ね。そういったでしょ。」あたりで、「ちょいちょい、いったいそれは誰が誰と話をしてんねん!?」と言うと思います。これまでの説明で、それはそうだと思ってくれますか?

 細かいですが、「僕」と「俺」は統一してください。混乱のもとになります。現在と過去の話として意図的にそうしている解釈もできますが、丁寧な文章説明がまだ慣れていない段階で、名称を変えるのは致命的なマイナス評価になりかねませんので、気をつけてください。今は素直に書くことを大事にしましょうね。

 

 それから、冒頭部で読者の興味を掴み損ねると、やはり審査終了になってしまいます。特に冒頭部は作品の「顔」なので、文法にも気を使いたいとこです。


俺は雨宮あまみやすぐる

勉強が得意なわけでも、運動が得意なわけでもない普通の高校1年生だ。

だけど俺は天性の雨男だった。


 「だけど」は使い方的に「AだけどB」となりますが、この場合はAは「勉強が得意なわけでも、運動が得意なわけでも……」になりますから「得意ではない」になります。

「勉強と運動は得意ではない、だけど、何々なら得意だ」になります。こういうときは日本語よりも英文法で考えた方がストレートにイメージできると思います。


 あるいは(というよりもおそらく)Aは普通の高校1年生でBが天性の雨男だと思います。しかし、普通と天性の雨男はダイレクトに「だけど」でつなげるには違和感があります。


勉強が得意なわけでも、運動が得意なわけでもない、見かけはごく普通の高校1年生だ。

だけど、俺にはもはや天性としか言いようのない才能が備わっている。びっくりするくらいの雨男なのだ。


 くらいに分割できるといいですね。要点は「いかに読者に正確かつシンプルに情報を伝えるか」です。今まではどう表現すればいいかに腐心(ふしん。心をいため悩ますこと。苦心。)してきたかと思いますが、これからは「どうやったら読者に簡単に伝えられるだろう」ということを心掛けてみてほしいなと思います。


 小説全体の話の流れは良くできていますので、「いかに読者が簡単に理解できる小説を書くか」が課題ではないでしょうか。文章の理想は簡明(かんめい。簡単で、はっきりしていること。簡単明瞭(めいりょう)。)であることです。修飾やデコレーションは二の次です。しっかりと内容を読者に伝えていない文章は、カクヨム甲子園だけでなく、普通のカクヨム作品としても読んでもらえませんから、とにかく注意をしたいところですね。

 

 色々説明しておりますが、何もこれらは功琉偉さんだけの問題ではありません。そこそこ上手だと言われている大人であっても大なり小なり同じ問題を抱えています。おばちゃんは大人にはので、「何を言っているのかさっぱりわからん! おばちゃんにわかるように書け!」って吠えてます笑 とにかく、功琉偉さんはこれからの人ですので、勉強していけばもっと上達できますよ。


 功琉偉さんはちょいと陰キャぎみな主人公とヒロインとの青春ものをうまく書ける才能がありそうですので、プロが書いた最近からひと昔まえくらいの十代向け恋愛小説の本をたくさん読んでみてください。どういう風に説明をしているのか、情報を伝えようとして書いているのかに着目して読めば、今よりもっと話が豊かな小説が書けるようになりますよ。特に恋愛ものは相手あってのお話ですからね。

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