第24話 修道女の告白と魔女の見た夢
沐浴をした水辺から教会への帰路、敢えて遠回りをしたその道中でヘイズは下腹部の刺し傷について話してくれた。
教会の小部屋やサンライトベリー、もしくは別の場所に腰を据えて話すのを選ばなかったのは彼女だ。絶えず歩きながらの彼女の告白は、ある意味で彼女がもう立ち止まりたくないことを、つまり今この時を彼女なりに生き続けているのを暗示しているようでもあった。
ありふれた不幸の顛末。
彼女はそう表現したが、それら一連の出来事が彼女にとって特別であるのは言うまでもない。
「……と、まぁ、こんなわけなんです。神に操を立てた身であるはずの修道女が、上っ面だけの男に引っかかって、諍いの末に逆上されて刃物で刺された。短くまとめてしまうとこんな感じでしょうか。どうぞ笑ってください、
「あなたがそれを本気で望むならね。笑い飛ばしてあげてもいい」
「なら……そうしてください」
そうヘイズが口にしたのは、ちょうど教会の出入り口まで戻ってきた時だった。
私は肩を竦めて降参した。笑えない。世の中で悪女に騙される男もいれば、その逆も然り、それは珍しくともなんともない。だからと言って、ヘイズの優しさを、愚直さを知っているから全然笑えない。
「周りの人たちは止めてくれたんですよ」
ヘイズが鍵を使って扉を開く。
「でも、彼が『あんな男』と言われる度、誰も彼をわかってあげていないんだって、あたかも清廉な修道女らしく彼を正しい道に導こうとすらしていました。でも、それは結局……私が彼に対して盲目的に想いを寄せていたというだけ。刺されてなお、痛みの中で考えたのは、彼が罪人にならないようにするにはどうしたらいいかでした」
私の前を歩きながら話し続けるヘイズ。礼拝堂内には響かない小さな声に私は耳を傾けた。
「今、その男性は……?」
「島からの永久追放処分を受けました。利き腕を切り落とした後で」
身体の一部を欠損させるなど、罪人であっても大陸都市部ではありえない刑罰だったが同情はしなかった。ヘイズが失血死に至らなかったのは、ミーナがその日ふらりと教会に寄って、血を流しているヘイズを発見したからだ。かの男性は現場から逃げ、身を潜めているところを見つかったのだと言う。
「もしも彼が今いる場所がわかったら……」
私の言葉に反応してヘイズが立ち止まり、こちらを振り向いた。
「会いたいだなんて思いません。夕闇さんたちと出会う前の色褪せた日々の中で気づいた、一つの確実なことは、私はもう彼を愛してなどいないということです。でも同時に、憎んでもいないんです」
「そう……。傷は今も痛む?」
「いいえ。見かけほど深くないんです」
でも消えはしない。
私はその言葉を飲み込む。
「話せてよかったです。肩の荷が下ろせた、そんな感覚がありますから。さぁ、朝食にしましょう。ステラさんを呼んできてください」
言われたとおりに私は方向転換をして歩き始めた。しかし数歩すると、「あの」と後ろから声がかかった。
「私は、告解や懺悔をする相手としては不向きな修道女です。でも、友人や姉妹としてなら、貴女の力になれますからね」
「それって……」
「べつに私でなくてもいいんです。ステラさんに貴女のことを話してみてはどうですか。過去は過去、それはそのとおりですが、いえ、だからこそ一人で抱え込んでしまうよりも信頼できる誰かに打ち明けてみたら……意外と心が安らぐかもしれません」
当事者ゆえに説得力のある言葉だ。
ヘイズの瞳に澄んだものを見出して、私は彼女から話を聞けてよかったと思った。彼女からの信頼は素直に嬉しく、かつての友を思い出しもした。今は亡きレティシア、彼女が残してくれた詩集は、あの日受け取ってから毎晩のように読み返しているのだった。
「ありがとう、ヘイズ。いずれ話してみる、あの子にもあなたにも」
「ええ。あ、そういえばもう一つお願いが」
「というと?」
かなり軽い調子で追加されたお願いだ。何だろう。
「――今後は、夕闇お姉様と呼ばせてもらっても?」
「それは却下で」
肩を落として「わかりました」と言うヘイズと別れて、私はステラを呼びに行くのだった。
約束した満月の日となった。
サンライトベリーの定休日にあたる日で、私は昼下がりに抗えない眠気を感じ、仮眠をとることにした。
夜中に活動するのにも都合がよく、部屋に自分一人しかいないのもちょうどいい。ステラはヘイズに連れられて街へと出ている。用件を聞いたら「内緒です」とヘイズに言われたが、どうもステラも知らない様子だった。
浅い眠りの中、あの子の夢を見た。
いつもの悪夢であれば、悲しみの顔を思い浮かべている彼女なのに、その表情はぼやけていた。懐かしい声がする。もう夢でしか聞こえない声だ。これまでの悪夢の中では、生き残ってしまった私に対して恨み言を叫ぶ声、それが今は穏やかな声となって届く。悪夢のうちでは私の首をきつく締めてくるその腕が私を優しく抱き寄せる。それなのに顔は靄に覆われたままだ。
愛しい義妹の顔、それをいつしか忘れてしまう日が来るのだろうか?
ふとそんなことがよぎった瞬間に、靄が晴れ、笑顔の彼女と目が合う。
幸福な夢だった。久しぶりに見る、安らかな真昼にうってつけの夢。それが終わりを告げる寸前で彼女が私に囁く。
『レティシアが遺したあの銀色のハーモニカ、あなたにあげるね。お願い、あの綺麗な子といっしょに奏でて、わたしがいる場所まで音色を届けて。きっとよ。星空の向こう、月の裏側へとどうか――――』
行かないで、が言えない。
彼女が私の唇に人差し指を当ててきたから。そして首を横に振る。別れの言葉を彼女は音なく、唇だけ動かして私に伝える……。
意識が覚醒し、最初に目に入ったのはステラだった。ベッドに腰掛け、横たわる私を見下ろしている。
「おはようございます」
「……何のつもり?」
「あなたの穏やかな寝顔を目にするのが初めてだったので、つい見惚れていました」
「それはどうも」
私は起き上がると、ステラから顔を背けて「今夜の首尾は?」と訊ねた。
「上々です。後は空を雲が覆わないことを祈るばかりです。それよりも、これを」
「うん?」
私はステラのほうを向き直る。起きてすぐには目に入っていなかったが、彼女は何か小さな包みを持っていた。そして今、それを私に差し出している。
「気に入ってくれるといいのですが」
「私への贈り物ってこと? ああ、ヘイズに言われたのね」
「夕闇、そんなふうに言うのは無粋ですよ。ちゃんとわたしが選びましたから。それとも照れ隠しですか?」
「さあね」
私は包みを受け取って、中を確認する。
ネックレス。そう、ただのネックレス。つるりとした天然石がついている。そこには魔法なんてかかっていない。でも、魔法にかけられた気分。
「ねぇ、あなたがつけてくれる? それでおあいこよね」
「喜んで」
ステラに渡す。彼女は私の首にネックレスをかける。間近で交わる視線。吸い込まれそうな碧い瞳、無垢な唇……。
「一つ提案があるの」
「なんですか」
「実は私も楽器を手に入れたのよ。今はもういない大切な人たちとの繋がりの中で得た楽器をね」
私はベッドから離れ、例のトランクから包みを取り出して、中にあったハーモニカをステラに示す。恐れは失せた。この子にどう言われたって、どう思われたってかまわない。揺るがない、この楽器は私の特別だ。
「いっしょに演奏してくれるのですか?」
――ステラは微笑んだ。
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