第19話 魔女の過去を知る者、友人の死
彼らがサンライトベリーに来訪したのは、ステラが例のシリーズ小説の十巻目を読み終えた翌日、昼過ぎのことだった。
久しぶりの雨は大地を優しく癒すような降り方で、ステラが店内で演奏している曲もまた、それに相応しい趣があった。
雨のせいで客入りが少ない事実は店側からするとマイナスでも、私からするといつもより彼女のバイオリンに耳を傾けることができたのがありがたい。
今日の演奏を聴くことができた客は幸運だと思っているほどで、ここ一ヶ月の彼女の上達ぶりは認めざるを得なかった。
彼ら――男女の二人組が店に入ってきた時、ミーナとその父親が顔を一瞬見合わせた。嫌な感じではなく「あの人たち、誰か知っている?」と目で尋ね合うふうに。
二人組の見た目はどちらとも二十代後半で、男性は島の役人であるのを示す制服を着ていた。常連客の中にも役人がいるにはいるが、やってきた男性が着ている制服はその四十過ぎの常連客と比べると明らかに新しく清潔だ。と言っても新人ではなさそうだ。以前から噂されれいた、大陸から異動してきた人物で制服だけが新しいのだろう。
体格のいい彼の若さは、未熟さを感じさせるものでは決してなく、活力や剛健ぶりを周囲に印象づけていた。それでいて知性のある目つきをしており、髪色は暗めの落ち着いた茶色。ようは、島の女性たちの多くが、ついつい見てしまう風体だった。
一方、女性はというと、制服を着込んでいなかったが、襟付きのブラウスの右腕につけている腕章から、同じ役場関係者であるのが見て取れた。
連れの男性と比べると小柄であっても、島の女性としては平均よりやや高めの背丈で、体型も引き締まっている。
灰色に近い髪、それにアーチ型の髪留めを装着しているのもこの島では珍しい。少しつり目で、その眼光は穏やかではなかった。
彼らにウェイトレスらしく近づき、注文をうかがってから、私はふと気がついた。
女性は初めて出会った人物に違いなさそうだが、男性はそうではないと。
「ああ、ちょっと待って」
そう呼び止めたのは彼のほうで、そして呼び止められたのは注文を厨房へと伝えに行こうとしたウェイトレス、つまり私だった。
「なんでしょう」
「君ってお姉さんがいない? 僕と同じぐらいの年齢で、金色の髪をした、すごく美人」
彼のその言葉に、向かいの席に腰掛けて窓の外を見やっていた女性がぴくりと反応するのがわかった。そして、ゆっくりとこちらに視線をよこす。かと思えば、男性を黙って睨みつけ始めた。
「いいえ、おりません」
「そっか。顔立ちや、それに声がよく似ている人を知っているんだ。と言っても、遥か遠く離れた街での知り合いなんだけれど。最後に会ったのは何年も前さ」
きっぱりと答えた私に彼は笑みを浮かべつつも、残念そうだった。
「あなたがそれほど惜しく思う相手となると、もしや別れた恋人ですか」
「モニカ? どうした、怖い顔をして」
「何度言ったらわかるんですか。公務中はハインツェ秘書官とお呼びください」
「え、でも今は別に公務ってわけじゃ、というよりそんな言い方をすると、この女の子に変な誤解を……」
「いいから、答えてください」
たじろぐ男性。詰め寄る女性。
突然始まった痴話喧嘩もどきに私は呆れて、頭を軽く下げて退散することにした。しかし、やがて彼の口から飛び出した話に足を止め、振り返ってしまう。
「違うんだよ。彼女にもう一度会いたいのは、妹の形見分けをしたいと思って……」
数年ぶりに再会した彼――アランがそう言うとハインツェ補佐官の詰問がぴたりと止むのがわかった。
……レティシア、亡くなったんだ。
彼の妹であるレティシアとは学院にいた頃の同級生であり、私と友人と呼べる関係だった。兄妹間で仲が非常に良く、たしか二歳上のアランとも自然と交流が生まれたのだ。
私とあの子、そしてアラン兄妹の四人で都市郊外に遊びに出かけたことだってある。
うら若き乙女たち三人で出歩くより彼がいたほうが都合がよいことも少なくなかったのだ。私とあの子は魔女であるのを隠さないといけなかったのもあり、いい隠れ蓑にもなった。レティシアは世間が持つ魔女のイメージとは真逆、むしろ聖女とでも称されるような容貌と人柄で、今ここにいるアランからは「僕のお姫様」だなんて半ば本気で言われていた少女だった。
「――あの、時間がある時に教会を訪ねてみてください。ここから南方、小さな丘にあります。そこでならあなたが言った、その人を探し出すことができるかもしれません」
口早に、軽率で不用意な、そして嘘の申し出であった。
立ち去ろうとしたウェイトレス、彼らの物語にとって脇役ですらない人物からの突然の声かけに、二人とも驚いていた。ハインツェ補佐官が警戒している目つきで見てきたのも当たり前だ。それに対し、アランは数秒ぽかんとしていたが、それから笑って言う。
「明日にでも足を運んでみることにしよう。ありがとう、お嬢さん」
分別のある大人が、見知らぬ子供に見せる笑い方だった。
翌日、サンライトベリーの定休日にあたる曜日、ヘイズが薬草の取引へと出かけている午前中に、アランが一人で教会を訪ねてきた。ステラはというと相変わらずバイオリンの練習中だ。
「あれ? 君自身がこの教会の関係者だったのかい」
「わけあってこちらに住まわせてもらっているんです。それよりも今日はお一人ですか」
「うん。モニ……秘書官は別の仕事中。実を言うと抜け出してきたんだ。思ったより遠かったよ」
彼がわざとらしく肩を竦めてみせる。
「それで昨日の話なんだけどさ。正直なところ、あまり信じていないんだ。えっと、ここには、人探しに長けた、霊能力を持ち合わせている修道士でもいるのかい?」
「いいえ――いるのは、かつての友人、そして出来損ないの魔女よ」
アランがぎょっとする。そして私の顔をまじまじと見た。
「ねぇ、アラン。私に教えてくれる? レティシアがどんな最期を遂げたのか」
「嘘だろ……。君は魔女で、あのヘンリエッタなのか。だが……」
「今の名前は
正体を明かしたのは、レティシアを想ってのこと。とはいえ、一族を離れた身でなければ、魔女であると告白しなかっただろうが。
アランはさっきと違う意味で「信じられない」という顔をしながらもついてきた。
いつもの小部屋へ行き、彼を椅子に座らせ、ハーブティーを淹れてくるからと待たせた。ヘイズの淹れてくれる味には及ばないハーブティーが用意できたとき、台所にステラがふらっと姿を現す。
「訪ねてきているのは、昨夜話してくれた人ですか」
「ええ」
訪問してくる可能性がある以上、共有しておくべきだとしてステラ、そしてヘイズにもアランのことを昨夜のうちに話しておいた。古い知り合いだと。
「同席してもいいですか」
私が両手で持ち上げたトレー、その上に置かれたティーカップとティーポット。それらを見やってからステラが聞いてくる。
「ダメよ。部外者だから」
「では、後でその男性から、あなたの過去について教えてもらうのはいけませんか」
「過去の、しかも人の世にすっかり紛れていた私を知って何になるの?」
「わかりません。今はまだ」
……断っても、本当に知りたいと思っているなら一人で聞きに行くだろう。そうでないならそれまでだ。
「好きにしなさい」
私は素っ気なくそう答えた。
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