第20話 残された者たち、銀色の形見

 果たしてアランは新任の役人だった。

 大陸から異動してきた彼の職務は、端的に言えば島と大陸との公的な商業取引の仲介役らしい。島で長年勤めている同部署の職員のうちで、ベテランの一人が退職間近であるのを考慮し、後釜として退職前にやってきたそうだ。


 かつて私たちが知り合ったのは遠方の地であったが、彼はこの島に来る前まで、つまり先々週まではそこまで遠くない土地の役所で働いていた。

 いずれにせよ島民からすると彼は余所者には違いなく、まだあまり島には馴染めていない。けれど本人曰く、仕事のほうは捗っている。


「昨日、僕といっしょに店にいたハインツェ秘書官のおかげでね。彼女、人好きのする愛嬌はないんだけど、それを補えるだけの事務処理能力があるんだ。今いる人がサボりがちで、溜まるに溜まっていた業務も彼女の力を借りて、かなり処理できているんだよ」

「あなたと同じく大陸から来た人?」

「ああ。当初の予定では僕一人で来るはずだったんだけれど、頼りないからって、彼女自ら秘書官に志願してくれたんだ。僕と違ってご家族は健在だそうだから、彼らと離れてこの島に来るのは大きな決断だっただろうね」


 そこまで話したアランが私の用意したハーブティーを一口飲んで、お世辞を述べた。私は当たり障りのない返事をして、話を続けることにする。


「ねぇ、敢えて聞くけれど『頼りないから』が建前だって理解しているのよね」


 昨日の、ハインツェ秘書官の店での様子。

 仕事はできても、恋愛方面では素直になれない女性そのものだった。


「……まぁ、そのことはつっこまないでくれ。然るべき時が来るまでは鈍感でいたいんだ」


 私とて本気で彼らの恋路に興味があるわけではないのでこれ以上の詮索はやめた。


「さて、それじゃ本題。ええと、君たちが街を去った正確な日を僕は知らないんだよ。レティシアが学院を卒業後、とある医療機関に就職したのは……?」

「初耳よ」

「そうか。決して怪しい機関ではなかったんだ。間違いない。ただ、運が悪かったんだ。その機関が管理する療養施設内で厄介な感染病が急速に広まって、レティシアも倒れてしまった。そしてそのまま治せずに、さ」


 レティシアが医療従事者になったのは意外でも何でもない。夢を叶えたと言ってもいい。けれど、その選択の結末が、若くして病死というのは、ひたすらに切ない。


 たった一人の家族、最愛の妹の死は、当時既に役人だったアランの精神状態をぼろぼろにしたそうだ。その結果、左遷になったのだと言う。だが閑職に据えられることはなく、この数年は各地を転々として、行く先々で彼の能力に合う仕事をこなしている。

 そんなふうにして何とか立ち直った、あるいはその振りを続けているのだった。


「隔離状態だったせいで、レティシアの死に目に会えなかったのは今でも心残りだよ。病室で書いた手紙……実質的な遺書を僕が読むことができたのは、亡くなってから少し経ってから。危うく人知れずに処分されそうになってもいたんだ」

「その手紙に形見分けの件が?」


 彼は首肯き、微笑む。空気を重くしないように気を遣って、否、彼自身が気落ちしないように。


「君も知ってのとおり、レティシアは知り合った人たち、そして友人になった人たち、一人一人との出会いを大切にしていた。思い出を形として残したがる性格で、だから、レティシアの部屋はもので溢れていて、僕はよく……」


 そこまで言って、笑みがほどける。声を詰まらせあ。見ていて痛々しい。


「アラン、今はそんなに長居してもいられないのよね? 仕事中だから。日を改め、落ち着いて話したほうが……」

「いや、話すよ。今ここで。すまない、僕にとって忘れようがないこと、忘れたくないことだから、つい。それに誰かに詳しく話すのは久しぶりだったし」


 アランは深呼吸をして気を取り直した。

 彼が秘書官の気持ちに鈍感でいたい理由は、先立った妹への後ろめたさが少なからずあるからなのだろう。

 然るべき時など来ないのかもしれない。あの秘書官がこの男性の心の奥の奥に触れて、癒しを与えられない限りは。


 彼は荷物から一冊の本、そして小さな布包みを取り出すと机上に置いた。本は薄く、かなりの年代物。包みは手のひらには収まらないが片手でゆうに持てる大きさだ。


 まず本を示して彼は言う。


「こちらが君への形見だ。こうしてこの島に持ってきていたこと自体が運命とでも言えばいいのかな」

「驚いた――どうやって手に入れたの」


 その本は詩集だった。

 あの頃、探していた詩集。

 学院の図書目録に記されていながらも、発見することができなかった。さして詩に関心が向いていたのではない。当時、目録で偶然見つけた書名には「花の魔女」という語が入っていたのだ。


 幼い頃に、長から聞いた長自身の昔話の中に、とある詩人との十七日間に渡る不思議な旅路というものがあって、もしかしたらと思って探しだそうとしたのだった。その捜索にはあの子はもちろん、レティシアも協力してくれた。

 

 でも当時は結局、見つからずに諦めた。

 それが今、こうして私の目の前にある。今は亡きレティシアがいつどこで、どんな巡り合いを経てこれを見つけ、ろくに別れの挨拶をせずに去った私のためにどんな思いで遺してくれたのか。


 目頭が熱くなった。

 少女三人で笑いあった日々はもう戻らない。私だけが今なお、姿を変えて生きている事実に胸を詰まらせる。


「具体的な入手経路は僕も知らない。だけど、その様子だとレティシアの選択はあっていたみたいで、よかった」

「ええ……。ありがとう、大切にする」

「なぁ、ヘンリエッタ。――リリアンとはいっしょにいないのか?」


 詩集にそっと伸ばした私の手が止まる。

 不意打ち。覚悟はしていた、していないといけなかった、彼はあの子を知っているのだから。学院に通っていた頃、リリアンという名前を使っていたあの子を。魔女であり私の義妹であった彼女を。


「言ったでしょ。今は夕闇ダスクよ」


 そんな返答、今この場では心底どうでもいい返事をしてしまう。

 察しのいい彼は「まさか……」と暗い顔で呟く。その先を聞きたくない。だから私から告げることにする。彼がレティシアの死を話してくれた以上、ここで黙るのは不義理だ。


「あの子はもういない」


 あの子が魔女であったのを知ることのない誰か、普通の人に対して、彼女の死を伝えたのは初めてだった。


 真名を伝えはしない。アランや亡くなったレティシアにとっては、リリアンという名前の友人でこれからもあり続ける。平和な日々の思い出とともに。


「……そうだったのか。なあ、これを君に預けていいかな。レティシアがリリアンに遺したものなんだ。どうか受けとってほしい」


 そう言って彼は、今度は布包みを示す。

 レティシアがあの子に遺したもの。


 私が預かる資格はあるだろうか。

 ――あってもいい。そう思った。

 

 他の誰かの手に渡るのが嫌だと感じる。私以外でこれを受け取っていい人物などいない。長ですら違う。


 預かる意志をアランに伝えると、微かに安堵した表情を見せた。渡すべきものを渡せた、レティシアの遺志をまた一つ叶えられたのが喜びなのだろう。


 包みを開ける。一瞬、銀のインゴットのように見えたそれは、側面にいくつも穴が空いている。


「これは……?」

「ハーモニカだよ。口で演奏する楽器だ」

「笛の類ならいくつか知っている。でも、この形状の楽器は初めて」


 銀髪の魔女のために遺された、その銀色の楽器を私は見つめるのだった。

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