第18話 ホムンクルスの知りたいこと

 ステラがサンライトベリーで働き始めて一ヶ月が経とうとしている。


 少なくとも今のところ、お金稼ぎよりも一体のホムンクルスの社会性獲得、人間に倣った健全な就労が目的にまずあって、彼女に支払われている給与はそう多くない。

 労働時間は私の半分で、練習を含めた演奏時を除くと、ちょっとした手伝いや、空いている時間帯だと店の隅っこで本を読んで過ごしているのだった。


 彼女の読書はミーナたち一家の蔵書に興味を示したのがきっかけで、それらは教会の本棚に並んでいる書物と毛色が違う。

 たとえば、料理に関する本が数冊あるのは何らおかしくないが、とあるシリーズ小説が全巻揃っていたのは意外だった。数十年も前に大陸西方の都市部で一巻目が出版されて、次々と大流行したシリーズだ。

 聞けば、大陸で暮らしているミーナの叔母が何年かに一度、島を訪れるそうなのだが、その度に持ってきた本らしい。

 残念ながらと言うべきか、その叔母がぜひ読んでみてほしいミーナたちに熱弁したにもかかわらず、一家の誰も読み通していないらしかった。

 ちなみに私はというと、かつて大陸都市部にいた頃に、タイトルや出版年代を知る機会があった。しかし主人公たち一行と敵対する、悪しき魔女の一派が登場人物にいる冒険恋愛活劇と聞いて、読まなかったのだ。


 面白ければステラのほうから何か感想を言ってくるのではないか、そんなふうに思っていた。だが彼女は店でも教会の部屋でも何も言わなかった。それでも読み進めているのだから、彼女なりに楽しんでいるはずだと私は考えていた。


 彼女には演奏をしない時に店を離れて、ぶらぶらと辺りを散歩する権利があり、私はそれを阻むつもりはない。それは彼女を信用、つまりは勝手に例のネックレスを外して島民たちにその身をありのまま晒して、注目を集めることはないと信じているからだ。いちおうは。


 それなのに彼女は店で読書を続けるのを選んでいる。であれば、読書に楽しみを見出しているに違いない。


 私が導き出したこの完璧な論理を彼女は「いえ、べつにそこまで面白くはないですよ」と即答し、崩してきた。それは彼女がシリーズの半分に位置する八巻目を読了した際に、とうとう私から感想を聞いてみた時で日没直前、閉店間際のことだった。


「……勘違いしているの? 私が仕事を終えて帰路に着くまで、この店にずっといなさいよと言った覚えはない」

「ええ、わたしも聞いた覚えがありません。むしろ、夕闇ダスクはわたしに島を探索してもいいと言っていました。ヘイズに心配かけないよう、暗くなる前には教会に戻っておきなさいとも」

「では、なぜ」

「今更ですね。わたしがここで働かせてもらい、もうすぐ一ヶ月だと言うのに」


 私はぐるりと店内を見回す。数分前に客が一人帰って、今は客がいない。客席にいるのはこの子だけ。


「ねぇ、私からどこどこへと行ってみればと勧められるのを待っていたの? まさか、指示を大人しく待つ忠犬でもあるまいし」


 席についているステラを傍らに立つ私が見下ろす形で話す。店内にはカウンター席も数個あるが、彼女はそこに座らない。店の奥の二人席、誰の邪魔にもならない、誰にも邪魔されない時間と場所に腰掛けている。


「あなたの働きぶりを眺めるのは、そう退屈しませんでした」

「は?」

「この一ヶ月近くをかけて、教会内では見られないあなたを知りたかったのです。だから、ここにいた。本はついでです。正直、この物語の主人公が……」


 そう口にしてステラは読み終えたばかりの本、テーブルに置かれているそれの裏表紙を軽く撫でた。


「自分勝手な元貴族令嬢になぜ恋をし続けているのか、まったく理解できません。話の筋は追えていますが、もしかすると次の巻では彼女も邪悪な魔女の一味だと判明するかもしれませんね。主人公の心を操るような」


 淡々と話すステラの顔を私は見る。

 表情は特別変わりない。ネックレスに魔力を込めた私には目眩しは一切効いておらず、彼女の本来の顔立ち、その整い過ぎている造形が常にはっきりと映っている。


「……夕闇? ああ、なるほど。失礼しました。わたしはあなたのことを邪悪だとは思っていません。今の発言を不快に感じたのでしたら謝ります。ただ、この物語に出てくる魔女は――」

「そんなのはいい。ねぇ、どうして知りたかったの? 私のこと」

「人間の根源的欲求の一つである好奇心がわたしに備わっているのが不満ですか。ですが、あなたの今の表情は嫌悪や憤りというより……なんでしょう、よく読み取れません」


 誤魔化さないで。

 そう言おうとして堪えた。自分でも戸惑っている。


 好奇心。それでいいではないか。

 ステラが私に対して抱き、現に観察をしていた事実が何に起因するのか。それを単なる知的欲求で片付けていい。私が彼女を対象とした観察記録を細々と続けているのと同様に、私も観察されていたのだと、そう割り切ってしまえば。


 だというのに、彼女が私を見上げて「あなたを知りたかったのです」と、そう言った時に私は……。


「それで?」

「なんですか」

「何を知ったの。私の何を」

「報告書を作成したほうがいいですか。それなら時間をください。書き留めていませんから」

「書かなくていい。いえ、書くな。記録に残すな。わかった?」

「――ふふっ」


彼女が微笑むのは見慣れてきたと思っていたが、小さく声を立てて笑う様は珍しかった。そしてそれが……ひどく魅惑的な笑みだったせいで私は言葉に詰まった。

 それでも、間をおいて「何よ。何がおかしいのよ」と訊ねることができた。


「気づいたのです。というより、確証が自分の中で得られました」


 ステラが本を手に取り、すっと立ち上がる。すると私たちの視点、その高さは逆転する。


「わたしの知らない誰かに接客している夕闇より、今こうしてわたしだけを見てくれているあなたのほうが好きだということに。……さあ、時間ですよね。帰りましょう」


 ステラがそう言った直後、ミーナが私を呼ぶ声が聞こえた。私は振り返って、でも彼女のもとへと歩き出せずにいた。

 そんな私のすぐ脇をステラが通り過ぎていく。本を元あった場所へと返しにいくためだ。一ヶ月近く働いているステラの存在をミーナだってきっちり認識できている。だから「ステラもお疲れ様ぁ」と愛想良く、間延びした調子で声をかけた。ステラはわずかに頭を下げて「はい、明後日もよろしくお願いします」と従業員らしく応じる。


 一連のやりとりを見聞きし、ステラの姿が視界から消えてから、私の足は動いた。


 彼女が言う好き嫌いは、食べ物の好き嫌いと同レベルだと思う。

 本人に確かめたら否定するだろうか。否定されてなお、追及したならどんな答えが返ってくるだろう。


 私は休憩室兼更衣室になっている小さな部屋で、ミーナが友人に頼んで仕立ててくれたというエプロンドレスから着替えた。

 ここを出ればきっと彼女が待っている。そしていつものように、私たちは二人並んで教会へと帰るのだ。

 帰り道でのおしゃべりはそう多くない。たった一言、二言のときだってあった。しかし、つい昨日であれば、私は彼女の演奏について思ったところを話してみた。どっちからだ。あれは私から話したのか、それとも彼女が聞いてきたのか。


 いや……過ぎたことより、今日のことだ。


 室内の鏡で自分の顔を見る。


「何、動揺しているのよ」


 思わず呟いた。私自身に。

 鏡、そこにあるのは少女の顔だ。とうに見慣れた今の私。でも、いつもと少し違った。

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