第17話 魔女の姉妹、移る季節

 小さな楽器店の店主は、前に来店した私のことを覚えてくれていた。曰く、この島でバイオリンを弾く人間は片手で数えられるぐらいしかいないらしい。真っ当な修理や細かな調弦をするなら、大陸に渡らないと無理なそうだ。

 そうこう話しているうちに、店頭に置かれていない楽譜、倉庫に放っておかれている品も見せてもらえた。なんだったら好きなだけタダで持っていくといいとも言われる。

 それは交渉と呼ぶに及ばないやりとりだったが、ステラに感謝されたのは悪い気がしなかった。

 

 最終的に、いくつかの楽譜集を選んだのはステラ自身で、私は助言らしい助言はできなかった。次から次へと手につけてどの曲もままならない事態を避けるようにと、お節介もどきの苦言を呈するのが精一杯。

 そんな私に彼女は文句を言わずにいて、店を出てすぐにまた手を繋ごうとしてきたが、なんだか気恥ずかしくなって断った。




 教会に戻ってきたのは、サンライトベリーに出向く予定時刻の一時間前。

 ヘイズ曰く、昼食を食べながらの打ち合わせになるそうだ。ステラはさっそく新しく得た楽譜集のうちからどれか選んで、新しい曲を部屋で練習し始めた。その場に居合わせて耳を傾けるのも一つの選択だったが、ヘイズに誘われたので、いつもの小部屋でお茶をすることにした。


「そんなふうに夕闇ダスクさんが思ってくれていたのは……失礼を承知でいうと、驚きです」


 ステラ相手に口にした「家族」のことをヘイズに共有してみると、彼女はそう言った。


「失礼なんかじゃない。言ってみた当の私が、私たちの関係を『家族』と表現するのは、しっくりきていないから。歪な、と修飾語を付してなおね。ただ……」

「ただ?」

「三姉妹と形容するのであれば、さほど違和感がない……かも」

「なるほど、姉妹ですか」


 ヘイズが目を細め、ハーブティーを啜る。


「見た目で言うなら、私が長姉、ステラさんが次女、夕闇さんが末っ子でしょうか」

「わざわざ確認どうも」

「夕闇さんに姉や妹はおられるのですか」


 自然な流れで発せられたその問いかけに、私が口を噤むのは容易だった。いつもみたいに。でも、そうしなかった。話せる部分を話してもみてもいい、そう素直に感じた。


 ヘイズの淹れてくれたハーブティーのおかげかもしれない。ここのところ、彼女の勧めで毎晩飲んでいる別のハーブティーは私の眠りを徐々に安らかにしてくれている。悪夢を消し去るまでには至っていないけれど。


「私たちの一族ではね、何人かの魔女で姉妹関係を成すのが決まりなの。血縁者同士ではない義理の姉妹たち」


 昔に長が教えてくれたことには、すべての魔女たちに共通する掟ではない。同じ花の魔女の一派でも、義理の姉妹関係を尊ぶ一族とそうではない一族があると聞く。


「聞かれる前に答えておくと、私たち魔女の多くが、父親を持たない。あなたたちにとって普通の意味での父親をね」

「……祖母から聞きました。あっ、でも、詳しくは知りません」

「そう。こんな真昼間にハーブティーを飲みながら話す内容でもない。それで、姉妹の話だけれど、私にも姉や妹の関係を結んだ魔女がいた。最も数が多い時で、私は九人姉妹の上から三番目だった」

「えっと、他の義姉妹とくっついたり離れたりをするのですか」

「ええ、数年に一度ぐらい。互いの姉妹同士での協議と合意、契約の儀式を経てね」


 頑なに二人姉妹で生きるのを選ぶ魔女たちも中にはいたけれど、少数派だった。

 そういう魔女たちは姉妹というよりは、恋仲やもっと深く重い関係だった。


「あの……この島にきて、夕闇さんは寂しく感じることがありますか。姉妹たちと離れて暮らすことを」

「現状に何も感じていないと言えば嘘になる。でもね、シスター」


 ハーブティーを飲み終えた私は、片腕で頬杖をつき、ヘイズに笑いかけた。暗い表情で話してしまうと、落ち込んでいるみたいに受け取られるだろうから。


「実はね、私が森を発つ時には姉も妹もいなくなっていたの」

「……絶縁を言い渡されたってことですか」

「いいえ、そうではなくて。言葉どおりの意味。――全員、もう死んでいるってこと」


 一族全体で生き残っているのは今や十人足らず。私やあの子が大陸都市部から森へと急ぎ帰還した時にはまだ三十人弱いたから、それからの月日でおよそ三分の一になったわけだ。それでも生き残り、アマリリスの魔女の血は絶えなかった。長曰く、最盛期には百人程度の数を成した一族であり、花の魔女のうちでも名門や名家と称えられた時代もあった一族だそうだ。


「それってどういう……。みなさんが流行り病に罹ってしまったのですか」


 平気な顔で私が言ったせいだろう、ヘイズも黙り込まずに死の理由を尋ねてきた。

 病、それは普通の人間も魔女も蝕むものだ。浄化魔法や治癒魔法で対処できない病気があるのも事実。

 けれど、姉妹たちの死は病によるものではない。


「殺し合いよ」

「えっ――」

「魔女同士のね。戦争なんて言葉を使うには及ばない水面下の、陰湿で、騙し討ち上等の、血塗られた報復の繰り返し。ま、そんなところ」


 口を少し開けたまま固まったヘイズの顔を私はしばし見つめていた。それから「ごめん、これも昼間に話す内容でなかった」と謝った。


「私は理由があれば誰かを傷つけられる側の人間であり、実際にそうした経験がある魔女ってわけ。でもね、シスター。信じて。決してそこに快楽は伴っていないの、むしろ残ったのは苦しみよ」


 遠くから聞こえ続けるバイオリンの音色。途切れ途切れ。苦戦しているようだ。


 一方、ヘイズは懸命に言葉を探している。

 その様子はかつていた姉を思い出させた。


 姉妹の中で最も優しく、争いを厭う性格であった彼女は、私たち姉妹の中で初めに殺された。あの戦いが始まってから、一族の中ではたしか三番目の死者だったと記憶している。


 つるぎの魔女、私たちが戦った相手である彼女たちは、姉個人に対して怨みを抱いてなどいなかったはずだ。ただ、不幸にも居合わせてしまった。ようは巻き添えに合ったに過ぎない。


 今でも思い出せる。目に焼き付いているのだ。奴らの得物である刃によって切り裂かれた姉の首筋、魔力の残痕、安らかとは程遠い死に顔。


 それ以上思い出さないために、頬杖をといて目元を指で軽く揉み、席を立った。


「――信じています」


 座ったままのヘイズが私を見上げた。


「夕闇さんを信じます。冷血の魔女ではないって。私たちは……姉妹になれるって」

「ありがとう。でも、無理はしなくていい」

「無理だなんてそんな」

「修道女とホムンクルスと魔女。おかしな組み合わせ。悲観的になるつもりはないけれど、このままの暮らしをずっと続けられはしないでしょうね」

「予言、ですか」

「そんな神秘的なものではなくて直感。悪いわね、気の利いた言葉を返せないばかりか不安を煽ってしまって」


 平和な日々をぶち壊され、大切な人たちを失った経験がある。

 だから、島に来て二ヶ月でしだいに充実感を増していくこの生活に、かえって恐れも抱いているのかもしれない。粉々にされてしまうなら、そんな兆しがあるなら、その前にどこか遠くへ逃れたい、そんな思いが。その時、隣に誰かいてくれるのだろうか。誰かを私は求めるだろうか……。




 予定していた時間となり、私たち三人はサンライトベリーへと赴いた。ステラは、特別製のバイオリンを納めたケースを両手で抱えて運んでいる。


 朝と比べ、日差しがぎらぎらとしていて、季節の移り変わりを感じるのだった。

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