第16話 魔女の苛々、ホムンクルスの心
身につけた者の影を薄くするネックレス。
ステラにつけて、無事に効力が確認できたた三日後、夕食の席にて、ヘイズがステラに働き口の候補の話をもってきた。
店の名はサンライトベリー。
朝早くから夕方過ぎまで、言い換えれば日が昇って沈むまでを原則的な営業時間としている食事処だ。昼間は賑わう一方で、夕食目当てで来訪する客はわずか。
扱っているメニューのうち、数種類のロングパスタの売れ行きがよい。パスタ以外だと、季節によって具が変わるスープも評判だが、逆に店主が熱意をもってブレンドや新しい淹れ方に挑戦しているコーヒーはあまり頼む人がいない。競合相手がすぐ斜向かいにいて、コーヒーならそちらのカフェで飲む人が多いからだ。
最近だと、新顔の従業員が適切な方法に則って淹れるようになった、高級ではない紅茶のほうが美味しいと言う客が少なくない。
何を隠そう、私こそがその従業員であり、つまりサンライトベリーは既に私が働いている場所だった。
なお紅茶の淹れ方は昔、大陸都市部にいた頃に友人から習ったものである。
「従業員の立場から言わせてもらうと、あの店にバイオリンの旋律は似合わないと思う」
「ものは試しですよ。たとえば日が傾き始める時間帯に、ゆったりとした曲を流すのはどうでしょうか。あるいは朝一番に心地よい、爽やかな曲。実はもうミーナさんに相談済みなんです」
ミーナというのはヘイズの幼馴染だ。
年はヘイズの二つ上。腰の調子が悪い母親に代わって、今は店を父と二人で回している女性で、当然私も面識がある。ヘイズとは違い、会ったその日からまるで親しい友人のように接してきた人物なのだが、離婚経験のあるいわゆる出戻り娘だそうだ。
「ステラさんとしても職場に知り合いがいたほうがいいでしょうし、
「たしかにね。シスターの心遣いはよくわかった。ところで、別のお店にも頼んではみたの?」
三日あったのだから、他の店や施設に出向いていてもおかしくない。そう、おかしくないのだが、ステラがヘイズと共に出かけたという話は聞いていない。
仕事にするうえで演奏が何より大事だから、出向いた先で試しに演奏するのが筋だろう。それなのに私が知る限りだと、この三日間でのステラの外出は、私がステラに島の案内をしてみせただけだ。
「探してはいましたが、店の方に声をかけたのはサンライトベリーが初めてです」
「……そう、わかった。いつもありがとう、シスター。今回については私から店主たちに相談してみればよかったかもね」
もしかするとヘイズは私がそうするの期待して、三日の猶予を与えたのかもしれない。
私からステラへの歩み寄り。
それをヘイズは望んでいる節がある。最近は特に。それは裏を返せば、最近の私がステラと適切な距離を置きたがっているのを見抜かれている証拠でもあった。
ヘイズの職分からいって、人を導くのは誤りではないが、魔女とホムンクルスとに生じつつある妙な関係を、修道女が変に愉しんでいなければいいのだが。
「というわけで明日、三人で行くことにしませんか。お店の定休日で、私も急ぎの用はありませんから。ミーナさんが言うには、昼過ぎからなら時間がとれるそうですので、その時間に」
ヘイズが笑顔で私たち二人を見る。
段取りは済ませてあるみたいだ。首肯した私に対してステラが「それでしたら」と思いついたふうに言い出した。
「昼前にわたしをもう一度、楽譜が売られている店に連れて行ってください」
「……私に言っているの?」
「そうです。あなたです、夕闇。人を話をする時は目を合わせるものですよ」
教会通いの子供に説き聞かせるような物言いに、思わず私はステラを睨んだが彼女は平然としている。
「教えて。あなた一人で行こうとしないのは、私がそれを引き止める確信があるから? 道順を忘れたぐらいだったら聞けばいいものね」
ネックレスは存在感を完全に消すわけではない。だから一人で行ったとしても、自分から店の人に話しかければ、会話はできる。だからこそ働くことにも問題はないのだ。
「どうしたのですか。苛立っている顔をしていますが。あなたが一人で働きに出始めた時点で、わたしの監視役として機能していない自覚があるのでは」
「それは――」
「意見を参考にしたいから同行を頼んでいるのです。嫌なのですか?」
「ああ、もう。……わかった、いっしょに行く。参考にならないと思うけれどね。……ご馳走さま、先に部屋に戻っている」
私は席を立つ。ちらりと見やったヘイズが苦笑いを向けてくる。ステラのほうは、見ずに去ったからわからなかった。
翌朝、今ある楽譜を購入した店へと私とステラは二人で向かっていた。
気まずい沈黙を避けるべく、ヘイズも誘ってみたが断られてしまった。彼女は「よければ、何を話したか後で聞かせてください」と言ってきた。その目に浮かんでいたのが心配であったから、聞こえなかった振りはせずに、「ええ、たぶんね」と返して彼女の私室を後にしたのだった。
「人間は時に言葉で理屈を並べるよりも、言葉では表せない感情を重視します」
唐突だった。異様に。道端でいきなり話すに相応しい内容ではない。
「ですよね?」
「……はぁ。そうかもね。で、急に何なの。どうしたのよ」
「覚えていますか。わたしはまだ答えてもらっていないのです。昨夜、あなたに尋ねました。わたしと共に出歩くのが嫌なのかと」
「本当に嫌だったら今ここにいない。ほら、これでいいでしょ」
「昨夜、あの時すぐに尋ね直したらどう答えてくれていましたか」
「そんなのどうでもいい」
「よくありません」
そう言って、ぴたりと足を止めたステラ。振り返って目にしたその表情はこれまでと違う。怒りや悲しみの入り混じった美しい顔、それは見る者の心をかき乱す。つまり今この場については私の心を。
「これはわたしの『心』にとって無視し難い変化や成長かもしれません」
ホムンクルスの心。
その言葉は、以前は細かくつけていた彼女の観察記録の内では数回登場し、なおざりになっているこの頃は敢えて書かないでいるものだ。
「わたしが昨夜のうちに尋ね直さなかった理由は、あなたに『嫌よ』と明瞭に嫌悪を示されるのを恐れたからです。自分が傷つくと考えたのです」
心があれば、それが癒されることもあり、その逆に傷つくこともあるのが道理だ。
私の反応をステラが待つ。その碧い瞳が私を決して逃がさないのは何度目だろう。
「それはなんていうか、人間らしい反応ね」
「というのは?」
「……私たち三人の暮らしは、歪ながらも家族のような体裁を成している。家族間で嫌悪が顕在化し、それをぶつけられるのを喜ぶ人間はきっといない。だからよ」
家族。咄嗟に出たその表現はくすぐったく、懐かしく、そしてやっぱり虚しかった。
ステラは沈黙した。私の答えをどう受け止めるかを思案していた。おそらくそう。次に口を開いた時には、その表情は元に戻っていた。
「あなたの並べた理屈で今は満足しておきます。昨夜の意地悪も許してあげます」
「何よそれ」
「あの時『べつに嫌ではないわ』と言ってくれればよかったのです。夕闇は意地悪です」
優しいの次は意地悪、か。
ステラは不意に私の手をとり、そして歩き出した。
「ちょっと、何よ」
「理屈ではなく感情で繋ぎました。嫌なら振りほどいてください」
何だそれ。
……しっかり握っているくせに。
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