第15話 修道女の提案、魔女の戸惑い

 古代より、為政者や哲学者に限らず多くの人々が、労働を価値ある行為ないし不可欠な社会的体制、在り方を問い続けるべき観念とでもみなして議論し合い、書を著し、各々の共同体内外へと思想を流布し、規則を定め、浸透させてきた。


 人間を象り、人間として生きようとさえするホムンクルスが、自ら労働をしようとするのはおかしくないのだろう。


「どんなふうに働きたいの? 不特定多数と関わりを持つ仕事なら賛同しかねる」


 私が毅然とした言い方でそう口にすると、ステラはなぜか微笑んでみせた。というより笑った。可笑しくてつい、といった雰囲気。


「……何がおかしいのよ」

「まず、わたしは思いつきで言ったのではありません。このネックレスを贈られるよりも前から、働き口を考えていました。そしてそれを他でもなく夕闇ダスクやヘイズに相談しようとしていたのです」


 教会内で私たち以外に話ができる相手がいないから当然だ。たとえば、バイオリンの音色につられて飛んできた小鳥たちとおしゃべりをする彼女は見たことがない。絵になる光景だとは思うけれど。


「それで?」

「夕闇は『ダメよ』と頭ごなしに、わたしに芽生えた労働の意志をすぐさま葬り去りだかるだろうなと考えていました。だから、さっきの言葉は意外で、笑ってしまいました」

「そうね。ネックレスを与える前であればそうした」

「ですが、その数日後には、教会内の掃除であったり食事の支度であったり、そうした雑事をわたしに任せてくれたはずです。あなたは優しいですから」


 ステラがヘイズへと身振りで同意を求める。するとヘイズは曖昧に頷き、こちらへと目配せしてきた。困り顔、しかし笑みが口許に浮かんでいる。


 私は咳払いを一つして仕切り直すことにした。ステラは前にも私の人柄を表すのに「優しい」という語を部分的に使用していたがその意味や定義は我々とは異にするかもしれない、そんな我ながらひねくれた考えはさっと頭の中で溶かした。


「話を戻す。どう働きたいか教えて。相応しい職が見つかる可能性もゼロではない。あなたの労働の対価で得られるものが、シスターへの恩返し、ひいてはここでの暮らしを豊かにするなら、私だって協力する。無論、島の人たちに迷惑をかけないのが最優先よ」

「あの、それなら……」


 ステラの返事を待たずにヘイズがそーっと挙手した。私としてはステラの展望をいち早くに聞きたがったか、お世話になりっぱなしのシスターをここで邪険にはできない。


 ただし、釘は刺しておこう。


「ねぇ、シスター。この子を舞台に立たせようだなんて言わないでよ」

「い、言いませんよ! 夕闇さんがステラさんを目立たなくしたのに、それを無下にする提案なんてしません。第一この島には、都市部にあると聞く、立派な劇場はないですし」


 そのとおりだ。

 屋外で野ざらしになっている、祭儀にでも使われていそうな石造りの劇場、斜面に沿って席が階段状に配置されているので半球形めいた場所があるぐらいだ。


「勘繰って悪かった。提案を話して」

「えっと、せっかくなのでバイオリンの演奏を仕事にしたらどうかと思って。ま、待ってください、夕闇さん、そんな顔しないで。何も私は、ステラさんの姿が皆に見える場所でとは言っていないです。演奏が主役だとも」

「どういうことですか」


 ステラはヘイズの言葉からはどんな仕事なのか予想が一切ついていないらしかった。

 私はというと、いちおうの見当がついたが敢えて口を挟まずに続きを促した。


「どこかのお店……そうですね、大衆食堂といったお店ではなく、落ち着いて食事ができたり、あるいは商品や展示物を見たりできる施設にでも雇ってもらうんです。それでお客からは直接見えない場所でステラさんが演奏する。どうでしょう?」


 永きに及ぶ音楽史を参照せずとも、音楽がそれ自体にじっくりと耳を傾けることなしに何らかの効果や心的作用を期待されて奏でられ続けてきたのは普遍的な知識としてある。

 

 ようは主役ではなく脇役としての音楽だ。


 だがそれは演奏そのものが特別ではなくありふれたもの、否が応でも耳を傾けてしまう演奏では決してないのが前提である。


 ステラの演奏を人々はどう感じるのだろう? それをステラも知りたがっている?


「夕闇、言いたいことがあるなら言ってください。さもなければ、わたしはヘイズにお願いして彼女の提案に乗るつもりです」


 存外、ステラは私の表情をよく観察しているのだった。


「――あなたは自分の演奏をもっと大勢に聞かせたい?」

「わかりません。現状、演奏家という道に強く憧れがあるわけではないです」

「イメージってできる? あなたの演奏を聞いた人々がそれを快く受け入れ、賞賛し、もう一度ぜひにとお願いする様が。そしてその反対も」

「いいえ、できません。わたしの頭に浮かんだのは、あの夜のあなただけです」


 ヘイズがその口に手をやり驚くのが横目でわかったが無視しておく。


「私たちだけに聞かせることに、満足できていないからこそ、あなたはシスターの提案に乗ろうとしているのでは?」

「いいえ、違います。今日明日にでも始められそうな仕事だからです。楽をしたいと思うのはおかしいことですか」


 楽をしたい。どうもその言葉は単に能率化を指すのではなく聞こえた。機械的ではなく人間的な響き。


「わたしがヘイズのように料理を上手に作れるようになるまでは、かなりの日数が要することでしょう。魔法の扱いに至っては百年かかっても無理だと思われます。ですが、バイオリンの演奏ならば今この瞬間からでもできる。その意味で楽なのです」


 自分にできる、できそうな仕事だから引き受けようとしている。単純な動機。前向きとも後ろ向きとも言い難い決断。


「ねぇ……あなたの演奏を集中して、そう、じっくりと聴いた私だからこそ言うけれど」


 私はそんな前置きをする。彼女への承認と尊重をもって自分の考えを伝える。


「シスターが提案してくれたとおりに、うまく仕事場が見つかったとして、そしてあなたの姿を誰も目にきなかったとしても、いずれは目立ってしまうのではと懸念がある」

「それって、ステラさんの演奏が評判になるってことですか」


 手短にヘイズがまとめてくれた。


「その時はその時です。夕闇、あなたは臆病が過ぎるのです」


 物怖じなど皆無に、むしろ明るくステラがそう言い切った。わかっている、この子は私の憤りなんて端から恐れていない。


「安心してください」


 ステラは私に反駁を許さなかった。


 ふらりと立ち上がった彼女は、私の右頬に触れてくる。陶器のような指先は体温を持たずに冷たい。だというのに私の頰は急速に熱を帯びる気配がした。


「わたしはいつでも、そして誰を相手にしてでもああいった演奏ができる奏者ではありません。綺麗な月の下、あなたが聴いてくれていたから――あなたを想って奏でた。その結果、あなたは涙を零した。それは特別で、日常になりませんよ」


 そこまで言うと、触れてきた時と同様に、彼女の指先がすっと離れる。


「あなたの演奏で皆が泣くのを不安がってはいない、決してね」


 私は声を絞り出した。ステラは微笑んでいる。


 ……不安になることがあるとしたら。


 ステラのこうした振る舞い、突然の接触と美しい囁き声を他の誰か、出会ったばかりの島民たちに、容易くすることだ。


 なぜ、それを案じているのか?


 それは善良な人々の平穏な暮らしが一体の美しい人形にかき乱されてはならないと思っているから。それだけ。そのはず。

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