第14話 魔女からの贈り物、ホムンクルスのしたいこと
軽い目眩を起こした私に、ヘイズは脱いだばかりの衣類をサッと身に纏うと悲しげな表情を浮かべて近寄ってきた。
「ごめんなさい、まさかそんなふうに
「誤解よ」
私はどうにか笑みを作って彼女に向けた。
「仮にあなたの身体にどんな傷が、どんな経緯で、どれだけついていたとしても。それ自体で私の気分は悪くならない。おそらくね。今のはただ、昔を思い出したの。少し。ええ、あなたは何も悪くない」
私の弁明に「そう、だったんですね」と返しながらも、見るからに腑に落ちていないヘイズだった。
「触れられたくない過去があなたにあるように、私にもある。そう考えて」
「それって……貴女が犯した禁忌と――」
ハッとヘイズが口を噤む。
今の私の目つきに彼女を黙らせるだけの力はなかっただろうから、彼女自身が失言だったと気づいてくれたのだと思う。
しばしの沈黙の後、私は自分の衣服を脱ぎ始めた。
「さあ、早く身を清めましょう。なんて、魔女が言うと変かもしれないけれど」
「は、はい」
「あまりこちらを見ないで。ずいぶんと貧相な身体つきになってしまったから」
そう口にした私に、ヘイズはこくりと頷いて背中を向けた。
そうして私たちは互いの裸体をほとんど目にせずにそれぞれで沐浴に及んだ。
水面に映る黒髪の少女。幼さの残る顔立ち。成長途中の四肢。それが私である事実にもはや違和感を覚えなくなってきている。
かつて自分が金髪の少女であり、確かに魔女であった頃、周囲の魔女たちの瞳こそが鏡であった。
その中でも私を私たらしめ、共に大人になった銀髪の魔女はもういない。
……こうした過去をヘイズやステラに話す時が来るのだろうか?
もしもあのホムンクルスがまっすぐに尋ねてきたのなら、それを真っ向から拒絶するのを何度繰り返すことができようか。
もしもあの唇が瞼ではなく今度は……いや、こんなのおかしい。たかが一夜の、なんてことないやりとりだ。そう割り切ってしまうべきだ。少なくともあの夜から、ステラの振る舞いに別段、変化した部分はないのだから。彼女が私の涙を綺麗だと表現したのは、夜空に浮かぶ月や野花の間を飛び交う蝶々にでも言うのと同じに決まっている……。
むしろヘイズは理由を話したがっていたのかもしれない。
そんな想像を巡らしたのは沐浴を終えてからだった。本当にあの傷を語るのを拒んでいて、誰かに見られたくないなら、私の同行を断るか、見張りにでも徹して自分は脱がないのでは?
彼女はこの水辺についた時、ぐずぐずせずに、その修道服をするりと脱ぎ、「理由は聞かないでください」とわざわざ言って私の注意を向かせたのだ。
普段、私が彼女についてあれこれと詮索しないのを知っているはずなのに。
彼女なりに覚悟をもっての言動だったのかもしれない。私がそこに、つまり彼女の心の深い部分へと踏み込むのを期待していたのだろうか。
「ところで、ステラさんの身体は夕闇さんが拭いているのですか」
雑木林を出て、私が改めて彼女の傷のことを触れるか否か迷っていると、当のヘイズが何気なく尋ねてきた。
「もちろん自分で拭かせている。彼女に私が使う浄化魔法に似た自己浄化機能は備わっていないから。定期的に肌などに付着した汚れを落とさないといけない。と言っても、大して汚れないけれど」
「なるほど。ステラさんの体って、その、成長するのでしょうか」
ベールをとったまま、乾ききっていない赤茶色の髪を風にさらしているヘイズが言う。
空を覆っていた雲はいつの間にか散り散りになっていて、暖かな日差しが注ぎ込み、澄んだ青空が顔をのぞかせてもいた。
「話していなかった? 例の錬金術師が残した手記によれば、加齢は極めて緩やかで、半ば不老と言ってもいい。その点において彼女はどうあっても普通の人間にはなれない」
「そういった事実もまた、夕闇さんがステラさんを外に出したくない理由なのですか」
「さあね。そうだ、答え合わせがまだだった。そうよね?」
私の言葉にヘイズは一瞬、わけがわからないといった表情を見せ、それから「ステラさんにかけようとしている魔法についてですか」と目を輝かせた。
「そう。結論から言うと、あの子を外に出すための魔法よ」
「えっ。ほ、本当ですか。今度は嘘ではなく?」
ごくりとヘイズが答えを求めてくる。
私がステラを外に出そうとしていることに驚きを隠せていない。これまでの私の態度からしたら当然の反応であるし、私自身、迷った末の試みだ。
「もしや、さっき言っていたように猫か犬にでも変身させてしまうのですか……?」
「いいえ。そんなのできっこない。今の私でも昔の私でも、そんな魔法」
「であれば、周りから見えなくする魔法ですか。それなら、祖母から聞いた覚えがあるんです。昼夜問わず魔女たちの隠密行動に欠かせない魔法だと」
興奮した口調のヘイズだ。隠密行動だなんて仰々しいな。
「他の一族のことは詳しく知らないけれど、私たちの一族が人目を忍んで、各地を転々としたのは遥か昔だと聞いている。いえ、それよりも今のはかなり惜しい答えね」
「つまり……?」
「教会に帰ったら試してみましょう」
もったいつける私にヘイズは微笑んで「はい」と応じてくれる。
このシスターの過去、それも色褪せた日々ではなく、色のついた過去に触れるとしたら慎重にしなければならないと思った。
三人でのいつもより遅めの朝食を終え、その場で例のネックレスを渡すことにした。
「夕闇、あなたなりの友好の証なら、あなた手ずからわたしにつけてください」
ネックレスを受け取ろうとせずに、ステラはそんなことを抜かした。
「友好の証ではないから、自分でつけて」
「では、いったい何なのですか、その装飾具は。求婚ですか」
「ねぇ、ホムンクルスってくだらない冗談が好きなの?」
「ダ、夕闇さん。つけてあげるぐらいいいじゃないですか」
もっともなことだ。何をむきになっているのだ、私は。ステラの減らず口は今に始まったことではないのに。
ステラを椅子を座らせたままにして、私は椅子から立ち上がり、彼女の首にネックレスをかけてやった。
――果たして、すぐに効果が発揮される。
「上手くいった。そうよね、シスター」
「これは……えっと、存在感を薄くしているのですか」
じいっとステラを見つめ、ヘイズがそう口にする。日頃、そこまで露骨に見つめないのに、今はまるで探すかのようだ。
「察しがいい。これで町を歩いても悪目立ちしない、何か事を起こさない限りは」
「わたしも日中、外を出歩いてもいいと。そのための道具なのですね」
無表情でステラが言う。
飛び上がって喜ぶとは思っていなかったが、こうも反応が薄いと、この一週間、魔力を込め続けた甲斐がないというものだ。
「……周囲の人があなたをそこらの石ころにでも認識する魔法がそのネックレスにかけられている。ただし、元から知っている私たちには効果は薄く、見失うことはまずない」
「一つ教えてください、夕闇。どういう心変わりなのですか、これは」
「初めから、教会にずっとは閉じ込めておけないと考えていた。だから、勝手に出ていかれる前に、作ることができてよかった。心変わりではない」
「これはあなたの傍にわたしを留めておくための贈り物というわけですか」
挑発的な物言いに感じるのは、私ばかりで当人にその気はないのが、かえって憎らしい。
「言い遅れました。ありがとうございます、夕闇。これでわたしも働けますね」
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