第11話 魔女とホムンクルスは月下を進む

 ステラが月下の演奏を提案してきた翌朝、私は朝食の席でヘイズに話を共有しようとした。黙ったまま数日後の夜に二人して抜け出すのは忍びないし、もしも彼女にあの岬までの道のり、つまりは整備のまったくされていない道を進む技術と度胸があるなら誘ってみていいとも思っていた。


 しかし、ステラがなぜか口を挟んだ。


夕闇ダスク、あの件であればわたしたち二人の秘密ですよ」


 そんな意味深長な言い回し、それでいて何食わぬ顔で釘を刺してきたのだった。


 そういうことなら前もって部屋で言っておいてほしいと内心、ステラをなじった。

 予想どおりヘイズは私たちの顔を交互に見やって動揺している。そこには不安よりも好奇心があって、私はこのシスターが何かとんでもない想像をする前に「大したことでないわ」と言った。


「そうでしょうか?わたしにとっては一つの大きな出来事になると思いますが」


 ステラが反駁してきた。こちらは予想していなかった。私が睨みつけても彼女は平気な顔で食事を続けている。今ここで彼女の外出、そして演奏の価値について大小を議論しても無駄だと悟った私は、根本的な部分を問うことにする。


「ねぇ、シスターにあのことを秘密にする理由を教えてもらえる?」


 本人の前で確認するのもどうかしているが、ヘイズとしても納得のいく答えがほしいに決まっているのだ。無論、私も。


「なんとなく、です」

「冗談でしょう?」

「いいえ、本気です」


 どこまでもすまし顔でステラが応じる。

 所詮、ホムンクルスの考えていることはわからない。そんなふうに思考を投げ出してしまってもいいのではないか。


 とりあえず、ヘイズに目配せしてみると彼女は「む、無理に聞きませんから」と意思表示をした。面倒な問答は私だって勘弁だ。だからその場でそれ以上の話をするのはやめておいた。




 食後、少ししてから私とヘイズは、教会にステラを置いて、町のほうへと出かけた。

 私は例の食事処で働きに、ヘイズは診療所に用事があるらしい。


 ところで町の人には私の素性について「祖母の古い友人の孫娘で、身寄りを無くしてから祖母を頼って島にやってきた」とヘイズから説明してもらっている。早い話が不憫な小娘だ。


「承認と尊重、なのでしょうか」


 道端でヘイズがそう口にする。私はかぶりを振って、続きを促した。


「先程、ステラさんが秘密を作り、それを守らせようとした動機です」

「なんとなく、ではないってこと?」

「……それはそれで彼女自身の感覚としてはあっているかもしれませんが。思うに、ステラさんなりに、私たちとの関係をより人間同士のそれに近づけたいのでは」


 秘密を持つこと。それを共にする相手に口止めを乞うこと。なるほど、人間らしい行為の一つと言える。

 承認と尊重。そう表現するのは大袈裟な気もするが、ヘイズが知る教義、もしくはおばあさまから教わった訓話から得た言葉だとすれば得心がいく。


「シスターは私なんかよりも、あの子をよく観察しているのね。素直に感心する」

「ステラさんは、目が惹く方ですから。それに観察というより、全部ただの推測ですよ」


 謙遜しつつ、満更でもない面持ちのヘイズだ。


「私としては、まだ同じ部屋で眠るのも落ち着かない」

「えっと……ステラさんから聞きました。うなされてばかりで、よく眠れていないって本当ですか」

「あの子がそう言ったの?」

「は、はい」


 私が眠れずに長い夜を過ごしているのを、ステラは白い棺めいた寝床の中から感じ取っていたのか。悪趣味だ。


「不眠によく効くハーブティーならご用意できますよ?」

「ありがとう。はぁ……そういうのは秘密にしておいてくれないのね」

「ステラさんなりに心配しているのでは」

「そうだと推し量れる口調だった?」


 ヘイズが苦笑いを返す。

 単なる報告、それこそ情報共有として言ったに過ぎないと思われる。私がいない時に、ヘイズ側からステラに「部屋での夕闇さんの様子ってどうですか」とでも聞いたに違いないのだ。


「承認と尊重、ねぇ」


 食事処の前でヘイズと別れた私は独りでそう呟いてみた。魔女の世界、アマリリスの一族においては、凡庸以上の評価とそれなりの敬慕を寄せられていた私も今となってはただのウェイトレス、か。

 くしゅんと侘しいくしゃみが一つ出た。




 満月の夜はあっという間にやってきた。

 ステラは部屋の窓辺から夜空を見上げている。小さな窓だ。たとえば私が彼女と横に並んで、いっしょに空を見るには心もとない。


「もう練習しなくていいの?」


 離れた場所から彼女の横顔へと声をかけた。私たちは寝巻きに着替えていない。出発の準備はできている。


「夜中にここで音を響かせてはいけないと言ったのは夕闇です」

「ええ。けれど、なんだかそわそわしているから。そんなふうに見える」

「だからと言って、ここで弾き始めても落ち着きは取り戻せないでしょう」

「否定しないのね、そわそわしているって」

「事実ですから」


 さも当然のように、確認する私の側がおかしなような言い方だ。


「……いつ行くの?」

「あの月に少しだけかかっている雲がどいてくれたら、すぐにでも」


 そこまでやりとりをしてから、彼女が私のほうをやっと見る。ちらっとではなく、その顔を確かに向けてきた。仄かな月明かりで薄ぼんやりと浮かんでいてなおわかる、特別な顔立ち。


「魔女であるあなたなら、あの叢雲をかき消せますか」

「無理よ。今も昔も、彼方の空まで届く魔法なんて使えない」

「残念です」


 魔女ではなくホムンクルスの願いに雲が答え、真ん丸な月の周りからいなくなったのはさらに三十分してからだった。「行きましょう」と楽器ケースを持ち上げた彼女が微笑みかけてきて、私は黙って首肯いた。


「結局、ヘイズには今夜の件を明かしたのですか」


 教会を出てすぐにステラが私に訊ねた。


「事前には言っていないけれど書き置きは残した。夜中に目覚めた時に、不安がらせないように」

「そうですか。一ヶ月が経とうとしていますが、ヘイズはわたしたち二人を友人として受け入れてくれています。善良な聖職者です」

「ありがたいことにね」


 もしもと考える。

 私たちに居場所を与えたのが、善良とは言い難い、欲望に忠実な人物だったら、ここにいる世にも美しいホムンクルスを相手に理性的に振る舞えただろうかと。やめておこう、気持ちのいい話ではない。


「ヘイズが言っていたのですが」


 道なき道へと入って進んでいた時、背後にいるステラがそう言った。私は振り返らずに小声で「何?」と返す。


「夕闇がわたしに町を歩かせたくないのは、怖いからですか」

「ええ、周囲への影響を危険視しているという意味で『怖い』のよ」

「いいえ、そうではありません」


 振り返る。

 ステラの金色の髪が、木々の間から注ぐ月光に照らされているのを目の当たりにした。幻想的な光景。今この場では彼女のほうが魔女らしい姿だ。


「では、どうなの?」

「わたしが夕闇から離れていってしまうのを恐れているのでは、と」

「……シスターがそんなことを?」


 私は鼻で笑った。前にヘイズが言っていたおとぎ話の魔女を思い出して。


「私が執着しているとしたら、あなた個人ではなく魔女の矜持よ。死に損ないの追放者でも、長から与えられた責務を果たしたいの」

「何をもって達成とするのですか。わたしの死ですか」

「さあ……私が決めることではない」

「誤魔化しましたね」

「静かになさい。ほら、こっちよ」


 また前方を向き直し、月下を進む。足音がついてくる。岬までもう少しだ。

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