第9話 奏で始めるホムンクルスと魔女の失言

 数日を共に過ごしてみて、ステラが物分かりのいいお嬢様ホムンクルスでないのは知っていた。けれども、彼女がその美しい瞳をあたかも武器にして私を脅してくるとは思いもよらなかった。


 彼女は勘違いをしている。

 私やヘイズがしばしば彼女に見つめられた際に、見返し続けることができずに目を逸らしてしまうのは、何も恐怖からではない。

 いや、恐怖の一種ではあるかもしれないが、背筋を凍らす苦悶ではなく、熱を帯びた甘い煩悶なのだ。これを彼女にどう教えたらいいのだろう……。


「わかった、降参よ。あなたと楽器を離さずに私の知っていることを教える」


 危うく魂ごと吸い込まれてしまいそうな碧い瞳から逃れて、私はそう言った。


「それでいいのです」

「言っておくけど、同じ方法を二度と私にもシスターにも使ってはダメ。約束して」

「未来のことは誰にもわかりませんし、できない約束はしません」


 生意気なホムンクルスだ。

 やはり彼女が町へと繰り出したらトラブルを次々に起こしかねないのでは。そうなる前にしかるべき教育が必要だろう。そう思いながらも私はひとまず、彼女にバイオリンの構え方、弾き方を言葉と身振り手振りで伝える。


「いい? 左の肩甲骨あたりに楽器を乗せて、そう、それでいい。そして下顎で挟むの。力み過ぎよ。ほら、腰が曲がっている。それにもっと楽器を水平に、ええ、そう。左手をネック部分にずらしていって。逆、先の細くなっている側。いや、そんな掴み方ではなく……」


 ああだこうだと言いながら、記憶にあるバイオリン奏者の構えをステラに再現させる。


 錬金術師の調合品だと推定されるバイオリンに酷似した楽器、それがどんな音楽を紡ぐかには私も興味があった。鍵のかかっていない箱に無造作に入っていたから、凄まじい効果を付与する道具ではあるまい。


「そうね、まずその上から三本目の弦。そう、それ。弦に対して弓が垂直になるように運んで、押し当てて引く。手ではなく弓で鳴らすイメージ、だったはず。たぶんそう」


 正直、構造と原理をある程度わかっていても、鳴らし方、特に左手の指の使い方は詳しくない。音を作る上では、その指使いが弓の動かし方以上に肝要なのだと想像はつく。

 ステラがもし何か曲を演奏したがった場合、力になれない気がする。ヘイズならおばあさまから教わっているだろうか。


 ……などと、あれこれ考えている間にもステラは試行錯誤を重ねていた。だが、聞くに堪えない音ばかりで、私は軽く耳を塞ぐ。


 ぎこちない音。ぎいぎいと不快な音。濁りに濁った音。私に構わず鳴らし続けるステラを止めるか迷う。

 でも彼女を止めないことを選んだ。夢中になっている顔だったから。必死に納得のいく音を出そうともがいている表情ではない。意地を張ったり、悔しさだけで弾き続けたりしている目つきではない。


 ――――歪な音が少しずつ、本当に少しずつだが、和らぎ、棘がとれ、澄んでいく。


 本来はこんな短時間で、しかも良き指導者なしに起こり得る変化ではないはずだ。愕然とする。ステラの手つきに見入り、聞き入った。


 やがて彼女は音階スケールを順に弾き鳴らしてみせた。私にとってピアノやオルガンならともかく、バイオリンではどうやって並べるかを知っていない音階を、だ。

 何度も並べ、いよいよ聞いていて落ち着く響きとなる。そこから十数度、繰り返した後、彼女は「ふぅ」と小さな息を漏らして、演奏を自らやめた。


「今のどうやって……」

「驚きましたか。実はわたしもです」


 そう口にしたステラの顔に驚きを認めるのは難しい。むしろ口許に浮かんだ笑みは、私をからかっているのではないか。そう僻むのを我慢して、起こった事象から推察してみる。


「つまり、こういうこと? あなたに楽器を演奏する能力が元々備わっているのか、それともその楽器が特別なのか。もしくは両方なのか」

「両方だと思われます。わたしだからこそ、この特殊な楽器の真価を引き出せたのでしょう。真価と言ってもまだほんのわずか、おそらく千分の一に満たないですが」


 音階を並べられる人物を全員、演奏者と呼んでいてはきりがない。その理屈はわかる。


「その仮説を確かめるためにも、私に一旦それを貸して。私がまったく弾けなかったら、その楽器が、ホムンクルスのために在る調合楽器の可能性が高まるから」

「お断りします」


 構えを解いたステラが我が子を抱くように楽器を抱き締めた。そして愛しげに撫でもする。どことなく聖画めいた構図だった。教会にうってつけな。


「この楽器はわたしを選び、わたしもまた選んだのです。魔女に触らせたくありません」


 私が「ホムンクルス」と言ったことに対する意趣返しでもあるのだろう、ステラはそんなふうに提案を拒んだ。私は肩を竦める。


「せめてシスターが帰ってきたら説明しなさい。彼女のおばあさまの遺品なら、話を通しておくのが筋。それはわかるでしょう?」

「はい、譲り受けたことは話しておきます」


 殊勝な反応に見えて、その実、既に譲渡が完了している言い方だった。


「わかった。それの扱いはあなたに任せる」

夕闇ダスク、何か企んでいますね」


 間髪いれずに返してくるステラに、私は腕を胸の前で組んで応じる。


「ええ、そうよ、私は魔女だもの。いい? くれぐれも練習する時間や場所は選びなさい。あなたが良識ある人間を目指しているのであれば、そうした配慮ができて当然」

「善処しましょう」


 小さな丘の上に建っている教会は最寄りの民家とは距離があるから、よほど大きな音で日夜鳴らし続けなければ問題にならないはずだ。


「ところで、今すぐに弾ける曲はある?」

「いいえ、まだありません」

「あなたの頭の中にはいくつも知っている曲があったり、作曲はできたりしそう?」

「わかりません。未知数です」

「そう。こっちでも楽譜を探しておく。何か弾けるようになったら聞かせて。それと、今日の午後以降にもあなたの能力検証に時間を割こうと思っていたけれど……」

「遠慮します。これを練習するので」


 バイオリンを掲げるステラ。


「ほどほどにしなさいよ。指や腕を痛めないように」

「心配してくれるのですか」

「いいえ。私が言いたかったのは、あなたが壊れても直すことのできる人物はいないってこと。私は錬金術師と知り合いではないし、この島にいないそうだから。あのオルガンみたいになりたくないでしょう?」

「あなたは意地悪ですね」


 否定はしまい。私が素っ気なく「そうよ」と返すとステラは「ですが」と言ってきた。


「時々優しくもあります」


 まだほんの数日間しか関わっていないのに、長年の付き合いから得た経験則かのような言い様だった。


「魔女が皆、冷酷で残忍だと思っていたなら誤解であり偏見よ」

「過去にそういった魔女と会ったことが?」

「ある。……いや、少なくともそうだと信じ切っていないと、命のやり取りをするのを躊躇してしまうから、そうしたまで」

「魔女同士で殺し合ったのですか」


 軽率に答えてしまったのを悔やんだ。

 ステラに私個人がどう思われても構わないが、下手に興味を持たれて詮索されるのは嫌だった。そもそもが私個人の性格の話を、魔女全体にすり替えたのが失敗だったわけだ。


「あなたが知る必要はない」

「わたしとしても、魔女の殺伐とした事情を知りたいと思いません。でも、夕闇のことはもっと知りたい」

「……なぜ」

「強いて言うなら、優しさのせいです」


優しさのせい。その妙な言い回しに私は溜息と、わずかばかりの笑みをこぼした。

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