第6話 ホムンクルスは、普通の人間扱いされたがる

 天使の如く微笑み。あるいは悪魔的な。

 なんて顔するんだ、このホムンクルスは。


 軽く目眩がした。心なしか動悸もする。


「……あなた、笑えるのね。いえ、それよりも理由を聞いていい?」

「表情が備わっているのは、そのほうが人間らしいからです」

「そっちではなく」


 知りたいのは、私と行動を共にするのをどうしてあっさりと承諾してくれたのか。彼女自身が教えてくれたことには、人間に対して決して従順な存在でないはずなのに。


「現状、他に行く当てがないからです。わたしをホムンクルスと知り、しかも敵対者でないと表明している相手から同行を求められているのであれば、了承するのは不自然でないのでは?」


 微笑みから一転、もとの無表情に切り替わってステラがそう言う。振りかざされた正当な主張に私は「そうね」と短く返した。


「では、はじめの質問に戻ることにする。ここで何をしていたの? あなたが目覚めた部屋の中には、私が近くにいたはず」

「あなたはわたしに起こしてほしかったのですか。わたしはあなたの目覚まし時計ではないですよ」

「それは知っている」


 目覚し時計を最後に使ったのはいつだろう。ずっと遠い日のように思える。都市部を去ってあの森に帰ってからは不規則な生活が続いていたものだ。……今、そんなことを思い返している場合ではないか。


「自分がどこにいるか把握したく思い、散歩していたのです。夕闇、何をそんなにピリピリとしているのですか。わたしに対してあなたが示している感情をうまく読み取れません」

「未知との遭遇に臆しているのだと捉えてもらっていい。ええ、ホムンクルスに関して全然詳しくないの。そうだ、あなた自身から講釈してくれる? 性能や特性を」

「面倒ですね」


 さらりと。ステラが示した軽い拒絶に私は「えっ?」と目を丸くする。


「意外でしたか。ですが、こちらからしたら、そうも異物扱いされるのは快くないのです。自分がホムンクルスであるのを明示する行為には積極的になれません」

「ねぇ……それって、普通の人間扱いしろってこと?」

「平たく言えば」


 笑い飛ばす場面ではないのだろう。

 ステラが冗談を口にしているようには見えなかったから。どんな思考基盤が設定されていて、その表情をどこまで自由自在に変化させることができるか定かではないけれど。


「ところで、今は戦争や飢饉の最中でないですよね?」

「ええ。この辺鄙な島は平和そのもの。世界に目を向ければ、人間同士の小競り合いが常に勃発している。……この教会に一人暮らししている修道女を起こしに行きましょう。彼女からいろいろ説明してもらうことにする」

「その方もわたしの素性を知っているのですか」

「ホムンクルスだとはね。でも私以上に何も知らない人間。ついでに言うなら、昨日知り合ったばかり。まあ、それはいいわ。ついてきて」


 そうして私はステラをヘイズと引き合わせることにした。



 

 ヘイズの部屋へと入り、改めて彼女の寝姿を目にすると、起こしていいものか迷った。

 修道服から寝巻きに着替え、すやすやと眠っている様子は、二十代半ばではなく十代後半の少女じみていた。

 ひょっとすると確かめていなかっただけで、この修道女は本当にそれぐらいの年齢なのだろうか。いや……寝顔を注視するとそこには加齢が、苦労してきたのを感じさせる面持ちがある。


「夕闇、そんなにも寝顔をじっと観察している目的は何ですか」

「どうやったら驚かせずに起こせるかを考えていた」

「わたしにアイデアがあります」

「……話してみて」

「室内が薄暗いのがいけないのです。あの窓にかかっているカーテンを開けましょう。昇った朝日によって目覚めるのは人間にとって普通のことですよね」


 至極、真っ当な方法だった。

 かえって拍子抜けする。私は彼女のアイデアに従い、カーテンを開けてみた。日差しが部屋全体を明るくする。今日も快晴だ。空には雲ひとつない。


「たぶん、そこにいないほうがいい」


 ベッドのすぐ傍でヘイズを見下ろしているステラに向かって小声で言う。彼女は顔を上げて私を見ると、唇を動かす。「なぜ」と彼女は無音で尋ねてきたのだ。器用な真似だ。まるっきり人間の行動。


「起きて最初に目にするのが、あなたなのは心臓に悪いから」


 私はステラに近寄って囁く。ステラは小首を傾げた。その顔にも疑念や不思議が表れている。私は説得を諦める。ヘイズがいくら驚いたって、それでまさか発作を起こすことはあるまい。


 ――現実に起こったこと。

 私たち二人が見守る中、目を覚ましたヘイズは、ステラを見て、ぽかんとした。目をぱちくりさせ、彼女自身の頰をつねった。それから口をパクパクとさせたかと思うと、ステラからの「おはようございます」があたかも合図となって、奇声を発してベッド上を這って、ついには床へと転げ落ちた。


「わたしは朝の挨拶として凡庸な言葉を口にしました。夕闇、この認識は間違っていますか。この島では禁句でしたか」

「少し黙っていて。……シスター・ヘイズ、大丈夫? 怪我はない?」


 私は身を屈め、倒れたままでいるヘイズに手を差し伸べた。彼女は私の手を取ってくれる。そして私は彼女をベッドに座らせた。


「夕闇さんっ! また一人で調査を、しかも目覚めさせたのですかっ」

「恨めしく思わないで。私が起きた時には、既に目覚めていたみたいなの。本人曰く、月と太陽のおかげでね」

「お怖ろしい殺戮兵器ではないのですよね」

「さあ。本人に確認してみて」


 ステラに目配せをすると、彼女はヘイズの正面に回り込んだ。


「ひゃっ。あの、えっと、その……は、はじめまして」


 ヘイズの視線はぐっと下方へ。ステラと顔を合わせられず、たどたどしく話し始める。


「わたしはステラです。あなたは?」

「この教会のシスターである、ヘイズです」

「俯いて話すのは、わたしに表情を読まれないようにするためですか」

「ちがっ、そうではなく、緊張しちゃって」


 緊張の度合いが私と対面した時の比ではない。


「わたしは殺戮兵器ではありません」

「あっ、はい。すみません」

「夕闇はわたしに言いました。ヘイズにいろいろ説明してもらうと。教えてくれますか」


 ちらりとヘイズが私に向けた目つきには、助力を求める様相とステラを押し付けたことへの非難とが入り混じっている。


「朝の雑事が全部終わってからでいい。……待ってくれるでしょ?」


 私はヘイズに、それからステラに言う。

 うんうんと強く頷くヘイズと「わかりました」と応じるステラだった。

 

 その後、着替えるから部屋を出て欲しいと言われて私とステラは二人で退室した。


「そういえばあなたって飲み食いするの?」


 寝泊まりした部屋へと向かって歩きながら訊く。ヘイズの朝の支度の中には着替えや洗顔、薬草園の手入れもあれば、朝食の準備だってあるはずだ。昨日の夕食中、明日の朝食も二人分作りますからと言ってくれていた。これが三人分となるかは確認しておくべきだ。


「普通の人間同様に、と言うと嘘になりますが、おおよそ同じようにできます」

「それは生命維持に必要?」

「はい。多少、人より長持ちしますが」


 長持ち、か。

 つまり、相当な空腹期間がない限りは飢え死にしないのか。……排泄機構はあるのか? 昨夜はドレスの下を詳らかに調べはしなかった。今になって頼むのは気が引ける。


 ステラの覚醒によって私の調査、換言するなら長から課せられた処罰も更新された。


 ヘイズにステラを託して島から出る、なんて選択肢はもうなさそうだった。

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