第10話
快晴とはいえない曇り空。けれど、庭園でアフタヌーンティーを楽しむにはちょうどいい気候。
ベアトリーチェは出された紅茶に口をつけ首を傾げた。
「あら、コレは?」
「さすがベアトリーチェさん、気づくのが早いですね! コレ、実は近いうちに隣国で発売する予定のフレーバーティーらしいんですけど……どうですか?」
「そうね……コレならうちでも流行らせることができると思うわ」
もう一口飲み、そう評価するとアンナが目を輝かせた。
「ベアトリーチェさんがそう言うなら間違いないですね! なら、今のうちに多めに買っておこうかな」
ちらちらとベアトリーチェの反応を窺うアンナ。ベアトリーチェは微笑み、頷いた。
「そうね。それがいいと思うわ。相手もそのつもりで勧めてきたのでしょうし……ただ、その際には提示された金額よりも高い値段で購入するようにね」
「え? それは……なんでですか?」
まとめて買うのだからその分値切った方がいいのではと首を傾げるアンナ。ベアトリーチェはソーサーにカップを戻してアンナの目をじっと見つめた。自ずとアンナの背筋が伸びる。
「コレを勧めてきたのは
「はい」
素直に頷くアンナ。先日行われた隣国との交流会の後からアンナとヴィットリアとの間で文通が始まった。あちらとしては数少ない『落ち人』、しかも王太子妃という肩書を持っているアンナとは仲良くなっておきたいのだろう。
それ故、現在アンナは本人が思っている以上に重要人物となっている。
アンナ次第で隣国との関係性が変わる可能性が高い。だからこそ、下手な対応はできない。そのことにアンナ自身も気づいていた。だからこそ、こうしてベアトリーチェを招待して助言を求めているのだ。実にアンナらしいやり方だと感心する。
「
「
「そう。それも正解。今、アンナ様以上の広告塔はいないでしょうからね。もう一つは……試金石」
「試金石?」
首を傾げるアンナ。
「アンナ様がどう対応するのかを試しているってことよ」
げっと表情を歪めるアンナ。ベアトリーチェが咳ばらいをすると慌ててアンナは表情を繕った。
「そこでアンナ様が気をつけなければならない点は二つ」
「二つも?」
「ええ。一つは、商品価値をむやみに下げないこと。むしろ、上げて
「なるほど。もう一つは?」
「もう一つは、一方的に受け入れないことね。たとえば、このフレーバーティーをアンナ様が購入してお茶会で広める代わりに、例の新商品を同じように隣国で広めてもらうとか」
「え! それって大丈夫なんですか? アレって日本のデザインをもろに取り入れた商品じゃないですか。私が言うのもなんですけどそんなレア商品を簡単に隣国に渡しちゃっていいんですか?」
「大丈夫よ。技術を公開するわけではないし、開発中の商品は他にもまだまだあるから。それに、販売を始めればいずれ模倣品が出回ることになる。それよりも、アンナ様と仲良くすれば『落ち人』の恩恵を優先的に得られるというメリットを明示する方が大事よ。同時にアンナ様が
アンナは「ふえ~」と気の抜けた声を漏らした。
「王太子妃って想像以上にめんどくさいんですねえ。よかった~ベアトリーチェさんがいてくれて、いや、本当に」
萎れるアンナにベアトリーチェが優しく声をかける。
「私としてもアンナ様が王太子妃になってくださって本当によかったと思っていますわ」
「え? 本当ですか?」
「ええ。アンナ様のコミュニケーション能力の高さもそうですが、危機回避能力の高さには目を見張るものがありますから。今回のようにその場で即決はせず、助言を得てから判断しようとしてくれるのがどれだけ助かることか……」
もちろん、自分で判断できればそれがベストなのだが今のアンナでは難しいだろう。それが自分でわかっているだけでもすごいことだと思う。
誰とは言わないが、その判断すらできずに問題を起こす人がいるのだから。それに比べたらよっぽどアンナは王太子妃として上手くやっている。
アンナもその人物に思い至ったのか苦笑いを浮かべた。
「確かに。あの人って私ですらやばいってわかるくらいのことを平気でしようとしますもんね」
ベアトリーチェは遠い目になりながらも頷く。
「最近はアンナ様が止めてくださっているから本当に助かっていますわ」
「よかった。私にできることはこれくらいだから……他も一応頑張ってはいるんだけど」
眉を下げ、下腹部をさする仕草を行うアンナ。
「そう、なのですね」
返答しづらいのか言葉を濁すベアトリーチェを見てアンナが前傾姿勢になった。小声で話しかける。
「ベアトリーチェさんだから話すんだけど。ここだけの話……マルコに問題があるんじゃないかって思うんですけどベアトリーチェさんはどう思います?」
「それは……何かそう思うきっかけがあったということかしら?」
ベアトリーチェはメイド達に離れるように指示を送ると、注意深くアンナを見つめ返した。
一瞬ためらうような様子を見せたが、アンナが意を決したように告げる。
「実は……私こっちの世界に来る際に若返ったみたいなんですよ」
「え?」
「本来はベアトリーチェさんよりも年上だし、あっちの世界では子供も二人いました」
ベアトリーチェは瞠目した。けれど、不思議と疑う気持ちは湧かなかった。アンナが嘘を吐くメリットがないというのもあるが、元々『落ち人』は異世界を渡ってきている不可思議な存在だ。その際に何かしらの作用が起きていたとしても不思議ではない。過去には魔法という不思議な力を持った『落ち人』もいたと聞く。
「わりと結婚してからすぐに子供ができたんですよね。だから、もしできない理由があるとしたらそれは私じゃなくてマルコにあるんじゃないかって思って」
「そう、だったのですね。貴重なお話、ありがとうございます。ですが……私は今の話を聞かなかったことにします。ですからアンナ様もその件については二度と口にしないように気をつけてください」
「え?」
――――死にたくないなら。
ハイライトの消えたベアトリーチェの目を見てアンナは息を吞んだ。黙ってコクリと頷く。
――――アンナ様が鈍い方でなくて本当によかった。そうでなければ……。
コレは、ベアトリーチェと王妃だけが知っている『真実』だ。いや、正確にはベアトリーチェも王妃から直接聞いたわけではない。
ただ、「今後、私が王家の子供を生むことは絶対にないでしょう」と断言した王妃の言葉から推測しただけ。
歴代の国王達と同じ金髪とベアトリーチェと同じように王家の血を継ぐ王妃と同じ碧眼を持つカルロ。
側妃と同じ茶髪と現国王に
二人の顔を思い浮かべる。
次いで、最近アンナと顔を合わせるたびに苦々しい顔をしているビアンカを思い浮かべた。
ベアトリーチェはちらりとアンナの頭部に視線を向ける。
この世界に来たばかりの頃は見事な金だった髪も今では半分以上が真っ黒になっている。碧眼も今は黒い。
聞いた話によると異世界には髪の色を染める技術や目に入れることができる色のついたレンズがあるらしい。
残念ながら、マルコとアンナではビアンカの望みが叶うことはないだろう。ベアトリーチェとだったらまだ可能性はあっただろうが。
そのことにようやくビアンカも気づいただろうが、それ以前の問題だったとはまだ気づいていないはず。
――――もし気づいたら……いや、それを考えるのはまだ早い。何の為に手を打ったのか。
今はまだこの幸せに浸っていたい。ようやく、カルロと一緒になれたのだから。
それに、もしかしたら自分達に奇跡が起こる可能性だってある。
ベアトリーチェはそっと己の下腹部を撫でた。
実を結ばなくても結んでもどちらでも構わない。もちろん、実を結んでくれたら嬉しいが。
◇
お茶会の後、ベアトリーチェはまっすぐにカルロがいる執務室へと向かった。
「ベアトリーチェ? どうしたの? 今日は妃殿下とお茶会じゃあ」
「ええ。早めに終わったからよってみたの。少しだけでもいいからカルロの顔が見たくて」
カルロが持っていたペンをぽろりと落とし、頬を真っ赤に染める。ベアトリーチェはそのペンを拾い上げるとカルロに手渡した。
「あ、ありがとう」
「どういたしまして」
「ぼ、僕もベアトリーチェの顔を見たいと思っていたから嬉しいよ」
そう言って恥ずかしそうに微笑んだカルロに胸がきゅうっと締め付けられる。ベアトリーチェは無意識に顔を近づけカルロの唇を一瞬だけ奪った。きょとんとしたカルロの瞳と目があう。
「あら、失礼。まだ日も暮れていないというのに私ったら」
「っ~?!?!?!?!」
「それでは、また後程」
ベアトリーチェはこれ以上自分が暴走しないようにと部屋を出た。扉の向こうで我に返ったカルロが狼狽えているのが分かる。上がった口角は当分下がりそうにない。
ああ、幸せだ。まさかこんな日がくるなんて。これもそれも、マルコのおかげだ。一時期は殺したいくらい恨んでいたが、今は違う。むしろ、感謝すらしている。
カルロは王太子に相応しい能力を持ち合わせてはいるが、如何せん心根が優しすぎる。だからこそ、王妃もベアトリーチェも『真実』についてはカルロにも秘密にしている。『真実』を知ればカルロも覚悟を決めざるをえなくなるだろうから。
今のままで国が回るなら『真実』は墓場まで持っていくつもりだ。
でも……もし、もしも、側妃やマルコが余計な動きを見せたらその時は……。
背中に突き刺さるねっとりとした視線に気づかないフリをしてベアトリーチェは真っすぐ前だけを向いて歩き始めた。
不実なあなたに感謝を 黒木メイ @kurokimei
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