救世主の正体

「日出処の天子より」

キリスト=厩戸皇子=天照大神=大日如来

アヴェマリア=推古天皇

ヤハウェ=蘇我馬子=ヤコブ

キリスト十二使徒=十二天


難を逃れ中国へ渡り、十二人の使徒を引き連れ遥々日本へやって来た耶蘇教の神。

そもそも耶蘇教は中国でのキリスト教名でありキリストを大日如来と解釈すると、十二使徒は十二天という仏教思想に結び付く。

釈迦如来である仏陀の他、如来とされる仏は複数おり、多神教の根幹を仏教は持っている。

自身を救い、日本へ助け船を出してくれた中国へ恩返しをするため、遣隋使を派遣したならば納得のいく歴史的事象が出来上がる。


だが、守るべきものは信仰よりも暦かもしれない。西暦0年をキリストの誕生とする要因。

考古学研究によるものならば、キリスト真の誕生は紀元後30年とされ西暦のズレが生じているのも又事実。

もし、そのズレが500年にも及ぶものならば天地が引っくり返ってしまう。天変地異よりタチの悪いだ。


西暦540余年にイエス・キリスト(厩戸皇子)が誕生したと仮定すれば、570年頃にローマ皇帝ではなく、キリストの反対勢力から磔刑を逃れ中国へ渡った計算になる。

前述した通りアラビア語の悪魔と解釈したアラブ又はエジプト勢力か、若しくは熱心なユダヤ教一団に迫害されたものと考えられる。


そもそも磔刑など存在しなかったのではないか。思想の違う絆の強い集団をイスラエルから追い出したかっただけなのかもしれない。


もう一つの疑念が湧く。

マグダラのマリアは何処にいるか。

私が気に掛かったのは、ルネサンス期にラファエロが造り出したピエタ像である。

若い女性のマリアがキリストの死を悼む姿。


加えて日本の戦国大名で第六天魔王を自称する織田信長。彼はキリスト教を保護し、耶蘇教会礼拝堂セミナリヨまで創建した。

此は悪魔や魔王の姿をしたヘブライの神ラケルを信仰するものに由来したと考えられる。

臆測に過ぎないが、ポルトガル人が鉄砲を持って種子島に流れ付くには余りに出来すぎた話である。

中国船に乗ったポルトガル要人の一団が、悲運にも嵐に遭遇し難波。其所へ信長が迎えを送ったものではないか。

信長の新しい物好きは一様にヨーロッパのみが関与したとは限らない。


つまり、救世主キリストは時の権力者によって書き換えられ神として君臨し続けたのである。

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