第33話 魔物と人と男と女

 おおよそ三十メートル角。

 時々ビクンビクンと脈打つように動く黒い塊は、その振動の度に身に生じた水疱を弾けさせる。バタタッと落ちた飛沫からは次々と魔物が生まれていく。


 だがしかし。

 その姿は今までの敵とは異なっていた。


 そう、人。人型。半分崩れた、液体になりかけのグズグズの。


 恐ろしいというよりもゾワッとする。それが今の感覚にピッタリの表現じゃないだろうか。心の底から上がってくるような、嫌な気持ちである。まるで、向かってくる相手を本能的に拒絶するように。


「総員、陣形構築。決して呑まれないようにお互いに守り合って下さい」


 冷静かつ沈着に、ディアードさんが指示を飛ばす。彼の言葉に即応した補佐官たちは黒いスライムを包囲しながらも、二人以上の組となって死角を無くすように動く。


「戦えない者は後方へ。……先程よりは対応が楽ですね」


 この状況にありながらディアードさんは、ふぅと息を吐く。


 犬などの魔物と比べて、人間体の魔物は楽な相手なの……?むしろどっちかと言うと、考えて動き回る方が危険な気がするけど。


 そんな私の想像を余所に、再び戦闘が激化する。


 半分溶けた人魔はその体を滅茶苦茶に動かしながら、補佐官たちへと向かって行く。おおお、あああ、と咆哮する口は大きく開いて決して閉じる事は無い。液体をまき散らすその姿は、実に気持ち悪い。


「あれ……?」


 なんだか、おかしい。


 向かってくる人魔の動きが変だ。

 ああいや、体の動きじゃなくて行動の方。


 何故だか特定の補佐官へ集中的に攻め寄せている。


 エンティ先輩とディアードさん。城壁の下では特にフィオーレさんに。


「あ」


 何となく分かった。

 エンティ先輩とフィオーレさんに攻め寄せているのは、男の人魔。

 ディアードさんに向かってきているのは、女の人魔だ。


 勿論それ以外の人に一切向かって行っていないワケではないけれど、傾向は理解した。そういう事か、ディアードさんが「対応が楽」と言った理由は。


 人間なら獣よりも同族に対して発生する欲がある、性欲だ。単純に誰某の顔が好き、身体つきが好き、というかなり広義のものも含めて全て欲。


 先程までの魔物の様子は本能のままに人に襲い掛かっているような感じだった。黒いスライムから生じた人魔が同じだったならば、欲にのみ動かされていてもおかしくはないんじゃなかろうか。


 というか、まさか人魔の正体って……。


「人間……?」


 私と同じ、いや同じだったモノの成れの果て。そういえば、私の後に判決を出されたピアス&タトゥーだらけの男の人が黒い穴に落とされていた。その時にディケは、こう告げていた。


『魂の腐敗著しく、転生に値せず。無限奈落へ送り、これを浄化する事とする』


 無限奈落。

 そこがどういった場所かは分からないけど、いわゆる地獄みたいなところなのだろう。となればそこから出たいと考えるのは当然で、裁判結果に逆らおうと、すなわち判決から収監、懲役の流れを力で無理やり覆そうとするのも理解できる。


「だから洪水、だから氾濫プリミラか」


 言い得て妙、というやつだろうか。魂の流れを川と例えたら、それを遡ったり横に逸れたりするのは本来のルールじゃない、災害の類だ。力ずくで魔物を押し返しているこの状況は、まさに堤防から越えてきた水を処理しているのと同じだろう。


 そしてその堤防という壁は。


「この事務局が城である理由、そういう事か」


 逆流した汚れた魂を止めるせき、それが事務局。そしてそこで働く私達はダムの管理員みたいなもの、という事になるのかな。エンティ先輩が言っていた、上と下にあるという他の事務局も同じ役割だとしたら、下の方の堰は破られてしまったんだろうか。


「いや、今はそんな事を考えてる場合じゃない」


 そうだ、あんまり自覚してなかったけど私も女である。比較的過激な恰好のエンティ先輩や、一目で魅了されるフィオーレさんとは比べられない凡庸だけど、身を守る力のない狩りやすい獲物なのだ。


 とりあえず、ディアードさんが言っていた通りに後方に退避だ。


「ワラワラと……ッ!」


 エンティ先輩が再び張ったシールドに、飛び掛かってはへばり付く人魔たち。その目は爛々と光っていて、確実に彼女をしようとしているのは明白だ。それを理解する先輩は何とも鬱陶しそうに舌打ちした。


「こんのっ。離れな、さいッ!」

ギュァッ


 円形のシールドが丸ノコのように回転し、人魔がそれに巻き込まれる。あるいは空中へと弾き飛ばされて城壁から落ち、また別の者は鋭利な刃に腕足を切り飛ばされた。石造りの床に倒れた奴は更に悲惨で、ミキサーで刻まれるように小間切れにされている。


 シールドって、なんなんだろう……。


「失礼」

ズッ


 ナイフが的確に心臓を貫き、飛び掛かってきた人魔が姿を失って液体となる。既に十を超える程の敵を助けた処理したディアードさん、魔物との戦闘から連続して戦っているとは思えない。いまだ疲れを見せず、十二分な余裕を維持している。


 よく考えてみれば、そりゃそうだ。だっていま殺している相手こそ、彼が生前で一番多く手に掛けてきた生命体なんだから。いやぁ、魔物を処理するよりもずっと早く人型の相手をサクサクやっていく、怖いねぇ。


「ほぉ、吾輩を模するか。くわっはっはっは、稚拙である、実に実に」


 巨人を熱線でぶった切ったドラクルさん。爆ぜた巨人はその質量を減らして姿を変え、彼と同じ龍の姿をとっていた。形は神に近しき黒龍と同じ、だがしかし鱗も無ければ瞳も無い不完全な影のような存在だ。


 スゥ、と黒龍が深く息を吸う。

 影の龍も同じ動作をとった。


 両者は同時に、強烈な熱線を吐き出した。衝突した二つの奔流は相手を押し返そうとせめぎ合い、凄まじいエネルギーのぶつかり合いが衝撃の波を発生させて周囲を破壊する。怪獣大戦争は第二段階へ、もう誰も近寄れない状態へと進展していた。


「こらーっ、フィオーレにたかるなーっ!」

「うふふ、皆に愛されて困っちゃうわ」


 誘蛾灯なフィオーレさんに、人魔が突撃しては消滅していく。ブンブンと杖を振り回して、ピエリス支局長が不逞の輩を弾き飛ばす。


 一部の人魔はサキュバスじゃなくて幼女に寄って行っているようだが、それを目ざとく発見したフィオーレさんが魅了の視線で都度消し飛ばしている。そういう犯罪者は魂になっても変わらないのか、なんと深き業。


「ぐ……っ」


 そんな風に周囲の状況を見まわしていると、くぐもった小さな声が耳に入る。


「あっ!?」


 その声の出所へ目を向けると、先程よりもずっと多くの人魔に攻められているエンティ先輩の姿があった。十数体程度だった敵の数はいつの間にか三十を超えている。彼女が張った盾の端に切られてもなお、溶けた人間はしがみ付き、圧し掛かっていた。


 一体一体なら簡単に弾き飛ばして切断できる相手。だが次々と寄ってきたそれは回転する刃の動きを止め、殴り齧りついた事でシールドに傷を負わせている。


 一目で分かる、エンティ先輩の出現させた盾は既に限界が近いんだと。


 危機的状況で私は思い出す。

 人生の不平等に胸焼けしながら昼食を取った時の事。

 その時に先輩が言っていた事を。


「先輩っ!そ、そうだ、超魔法!敵を纏めて吹き飛ばす超魔法を!」

「……ッ」


 私は呼びかける。でもエンティ先輩は両手を突き出して、盾に魔力を注いで支えながらギリッと歯ぎしりするだけ。一向に反撃に移ろうとせず、顔を俯かせている。


「どうしたんですかっ!まさか怪我を」

「………ゎ…」

「え?」


 周囲の喧騒に紛れて消える程の小さな声。よく聞き取れなかった私は首を傾げる。


「……ぃ…の…」

「聞こえないですっ!なんですか!」

「使えないのよ、そんな魔法!私は防御魔法しか使えないの!」

「えええっ!?なんで嘘吐いたんですかッ!!!」

「カッコ悪いじゃない!!!」

「理由がくっだらねぇッ!!!」


 危機のど真ん中、危険の真正面。そんな状況だけどツッコまざるを得ない。


 だって、希望が消えたんだもの!

 というか先輩がやられたら真後ろにいる私が危ない!


「エンティさん、チホさんっ」


 私達の状況に気付いたディアードさん。

 彼は助けに入ろうとする、が。


「くっ」


 群がる女の人魔が彼の行動を阻害する。

 さっきまでの戦いを見ていて分かった、ディアードさんの戦闘手法は一対一が基本で集団戦に向かない。多くの敵を葬っているとはいえ、それは一を積み重ねてきたに過ぎないのだ。いきなり数十を斃したわけではないのである。


 数を頼みに押し込まれるのは、最も苦手とする状況なのだ。


 彼は次々と人魔を討ってはいるが、私達の下まで辿り着く事は出来そうにない。


「チ、チホっ。アンタ逃げなさい!」

「先輩を置いてけと!?」

「このままじゃ二人ともやられるわ、早く!」

「誰が逃げるかッ!」

「戦えないくせに何言ってんのよ!」


 エンティ先輩の言う事は真実だ。

 私には戦う力が無い。


 転生しなかった事で私は元の世界のままの自分、追加で何かを得たりはしていない。この状況で敵を討てる、そんな魔法も剣技も戦闘術も持ち合わせていないのだ。


 先輩を引っ張って逃げるか?

 いや無理だ、私にはそんな腕力も脚力も無いッ。


 くそッ、私の世界に魔法があったなら……っ。




 力が、あったなら。




 力が。




 力。

 私の世界の……?




「あ」


 そうだ。


 そうじゃないか。


 私は、閃いた。

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