第30話 洪水警報発令!

 鳴り響く、ダムの放水警報を思わせる大きな音。広い塔内に反響し、上下左右からそれが聞こえているような感覚になる。発信源は事務局の中央から上へと伸びている尖塔の頭だ。


 周りを見回す事しか出来ない私と違い、共に城壁を歩いていた補佐官たちは日常の一ページが如くに話をしている。その顔には若干の面倒臭さと、少しばかりのヤル気が見えた。


 そして、最も近くにいる人物からは緊張が漂ってきた。


「あ、あのっ、エンティ先輩。コレ、警報、です?な、何の?」

「ああ、そうね。アンタは初めてだったわね」

「きゃっ、初めてなんで優しくして……」

「アホか!こんな状況でふざける度胸、素直に感心するわね」


 いつも心に余裕を、が我が信条。この程度の騒ぎで狼狽えてなるものか!


 いやまあ、そうは言っても何が起きるか分からないから心配で一杯パイです。なんでまた突然こんな警報が……はっ!?


「エンティ先輩がお昼、素直に私の意見に同意したから……」

「なに言ってんだ、コイツ」

「ノリ悪いですよ。そこは、私のせいにするにゃっ、ってプリプリしてくれないと」

「ちょっと、今の私の真似のつもり?」

「それ以外にあるとでも?」


 ちょっと可愛らしくありながらも鋭い突きを放つ感じが、エンティ先輩流のツンである。私がやると拙くて気持ち悪いだけ、これはまさに熟練度の違いというものだ。


「って、馬鹿な事をしてる場合じゃないわ。さっさと準備しないとっ」

「何の準備です?というか質問に答えて下さいよー」

「ああ、そうだった。プリミラの警報よ、コレは」

「いやその、説明で専門用語を出されましても……」


 誰かに教える時は、可能な限り噛み砕いて理解しやすく。横文字多用や専門用語連発は悪手よ、悪手。というわけで今の先輩の説明は零点です、落第点です、補修必須の赤点満点ですよ!


「ん、悪い悪い。改めて説明する事なんて無いから、つい」


 悪びれる様子も無く、エンティ先輩はサラリと流す。


「プリミラは洪水、氾濫。本来の方向へと流れるべきものが遡り、溢れ、暴れる事」

「洪水って……。ココ転生裁判所には雨も雪も無いって言ってたじゃないですか。川とかもなさそうだし、洪水警報でこんなにサイレン鳴らす必要はないような?」


 首を傾げる私、先輩は首を横に振った。


「生前の世界なら洪水はその名前の通り、水の災害ね。ココでは便宜上で洪水って呼ばれているだけなのよ」

「と、すると、溢れてくるのは水じゃない、と?」

「正解」


 エンティ先輩はピッと私を指さした。


「氾濫するのは―――」


 彼女が答えを口に出そうとした、その時。


オオオォォォォ……ッ


 何者かの咆哮が、遥か下方から響いた。それはまるで、地獄の亡者が解き放たれたかのような怨嗟に満ち満ちた声だ。身体の芯に寒気が走る、そんな感覚になるほどの力を宿している様に思われた。


「来るぞーっ!」


 誰かが放った言葉を切っ掛けとするかのように、下層の闇の中から何かが迸る。


 黒。

 闇だ。


 塔の底に溜まっていた暗がりがそのまま湧き出てきたような、そんなナニカ。液体の様に自在に形を変え、正門から伸びる空中通路に生物の様な手を掛ける。途轍もない質量のそれが、遂に姿を現した。


 人の形をした、顔の無い黒の塊。そしてそれからワラワラと生じて正門へと駆け出す、獣に蜥蜴に蟲に鳥。そんな禍々しい存在を形容する言葉は一つしかない。


「……魔物」


 思わず口から言葉が出た。

 生物ではない何かであり、人ではないだ。どこかの異世界であれば別のものを指す呼称なのかもしれないが、此処あの世に在ってはあれこそがそれ。確実な害意を持って私達に迫る、一目でわかる程の危険な相手である。


「先輩、私はどうすれば……?」

「どうするも何も、アンタ戦えないでしょ。下がってなさい、危ないわよ!」


 先輩は私の肩を掴んで、グイと自分の後ろへと移動させた。

 悔しいけどエンティ先輩の言う通り、私に戦える能力は無い。いや多分、生前の日本で格闘術を学んでいたとしても、この場では大して役に立たないだろう。既に戦いが始まっている正門前、そこでの戦闘を見ればそれは明らかだ。


 魔法を使える者の手から生じる爆裂する炎、炸裂する雷。

 ロボットやアンドロイドと呼べる人物から放たれる青色レーザー。


 言い表すなら一人一人が圧倒的攻撃力を持つ戦車である。身体的にちょっと強い程度では、あっという間に魔物に呑まれてしまうのは一目で分かるというものだ。


 そしてその中には。


「あっ、支局長にフィオーレさん!?」


 いち早く防衛線を作った人々の中に、よく知る二人がいた。


「今日も沢山だねっ、強治癒スマッシュヒール!」


 自分の身長以上に長いロッド、その先端に付いた宝珠が輝く。そこを中心として白い癒しの力が球を作った。


 優しい光が示すのは回復魔法、傷付いた仲間を助けるための術だ。


 だがしかし。


「とりゃーっ!」


 その光の球をピエリス支局長は、魔物に向かって投擲した。


ズッッバーーーンッ!

「えええぇぇっ!?」


 突っ込んできた魔物の先頭に衝突すると同時に、それは炸裂する。その威力はもはや爆撃、突撃してきた数百の魔物が一瞬で消し飛んだのだ。


「か、回復……魔法、とは?」

「ああ、私達って言ってしまえば不死者アンデッドだし。アレ魔物は特にそっちに近いから生命力を回復する魔法は強力な攻撃になるのよ。優秀な回復魔法使いだったピエリス支局長なら、下手な攻撃魔法の使い手よりもずっと強いのよ」

「な、なるほど」


 死後の世界での回復魔法使いは役割が反転するという、癒し手ヒーラーの概念が破壊される現実だ。再び支局長に目を戻すと近寄ってきた魔物を次から次へと消滅させている、強い。


「うふふ、ピエリスちゃん、さすが~」


 ニコニコと笑顔を見せながら、フィオーレさんは魔物の攻撃をひらりひらりと軽やかに躱す。十数体に囲まれている状況でありながら彼女には焦りはない。いやそれどころか、迫りくる相手に対する敵意も見られない。


「愛を忘れた哀しい子たち、私が思い出させて、あ、げ、る」


 そう言ってパチンとウインク。


バンッ!

「えええっ!?」


 フィオーレさんの視線の先にいた魔物が突然弾け飛んだ。粉々になった黒の粒は桃色に変わり、ふわりと宙に舞って消滅する。


「あ、あれ?フィオーレさんの恰好が……?」


 リブニット《縦セタ》にトレンチスカートの落ち着いたお姉さんファッションの彼女。だがしかし、一瞬のうちにその服装は変化していた。


 というか、ほぼ全裸になっていた。


 局部を隠す程度の面積しか持たない黒ビキニ、エンティ先輩のそれよりもずっと危険なレベルの露出度だ。そしてその背中には巨大な、黒のコウモリ羽が出現していた。黒い尻尾が、何処か艶めかしく彼女の身体に這う。


「え、え、フィオーレさんって人間じゃ……!?」

「そういえばアンタは知らなかったわね。フィオーレさんは女淫魔サキュバスよ」

「マジか!!!」


 全男子に聞きました、自分の所に来てほしい悪魔は?という匿名全国アンケートで堂々一位となった存在がこんな身近にいたとは!


 前に見た転生者の後付け反則能力チート魅了チャームとはワケが違う天然物、そりゃあ周囲の人間を惑わしたり、そいつらが暴走して戦争起こしたりするわけだ。


 フィオーレさんが振りまく色香に触れた魔物は、漏れなくその身を弾けさせる。彼らの中を優雅に、遮られる事なく歩くそのさまたるや、無人の野を行くが如くである。


「えーっと、どういう攻撃です?」

「生命力が活性化する魔法は攻撃」

「性欲とかが強まる魅了も凶悪な攻撃魔法、と」


 表情筋が死んだ顔でエンティ先輩は言い、私は真顔で答えた。女としての格の違いを見せつけられているというか、凶悪過ぎて何も言えないという感覚が強い。男だったら誰でも、いや女であっても生前世界ならば誰もがフィオーレさんに魅了されていたのは確実だ。


 ピエリス支局長の回復攻撃魔法の様に動きモーション無し、詠唱も何も必要とせずに垂れ流し状態。生命力が迸る魅力的な誘蛾灯であるために、魔物たちは次から次へと突撃しては破裂していく。彼らにとっては動く毒沼か、全自動の処刑装置である。


 ……おや?

 氾濫プリミラは危険極まりない事態かと思ってたけど、これは結構大丈夫そう?

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