第28話 常識と正解はグニャグニャ動く

「じゃ、これ頼んだわよ」

「うぃーす」


 昼休みを終えて第六支局へ戻ってきた私達は、己が席に帰還して仕事へと向き合う。エンティ先輩から渡された分厚い資料人生を受け取って、その中身を覗き見て簡潔にまとめていく。


 筆記に力を要するえぐみのある一生もあれば、筆があまりにも簡単に進んでしまうサッパリとした人生も存在する。と言っても一人の人間の歩みであるワケで、どんなに特徴が無さそうな人であっても、その一生には山も谷も存在しているのだ。


 人生最大のイベントが十代の恋愛だった人物も在れば、一国を立ち上げた大偉業である人も存在する。前者よりも後者が凄い、というわけではない事はココ転生裁判所での短い経験でも理解しているつもりだ。


 裁判における全ては、当人の行動に帰結する。如何に一般的に偉業と呼ばれる事を成したとしても、その裏で個人として悪を行っていたならば負の転生へ。平凡な人生を送って死したとしても、小さな善行を積み重ねたならばそれは正の転生となる。


 現世の業は此処にて、ある程度公平に裁かれるのだ。


 乱暴者な不良が気が向いて捨て犬を拾って助けたからといって、それだけで日常の悪行が帳消しになるわけではない。真面目に生き、コツコツと真摯に過ごした人間こそが転生においては正なのである。


 ま、そうじゃ無きゃ世の中おかしいよね。ギャップで周囲の視線が変わったとしても、ソレですべて許されてちゃ、真面目に生きる人がいなくなっちゃうよ。職場見学した時に出された、イジメで一人死なせた人物の転生とかがまさにそうだ。たとえ反省したとしても過去の事実が許されてたまるか、ってんだ。


 生前によく見聞きした『被害者よりも優先される加害者の人生』って話。少なくとも死後の世界ではソレ相応な評価をされる事になる。最終的にはディケの気まぐれ判決になるけど、まあ多くは納得の割り振りになるものさ。


 今のところ私へ渡される資料の内容は、私の価値観で判断できるような人生に限られている。世界は違えど、いわゆる普通の人間が日々を懸命に生きていた記録だ。


 機械生命体が他の個体をハッキングして合体、惑星から飛び立って宇宙空間で謎の秘密結社と戦って相打ちになって爆発四散した、みたいなのは幸いにして貰っていない。


 事実を事実として纏めるとしても、世界によって常識が違うので『何処を大切な事として纏めるか』の勘所が難しいのである。これは今後の業務で慣れていくしかない、フィオーレさんに過去事例を出されたけどマジで分からなかったからね。


「ふんふん、これは~」


 で、今纏めているのはちょっとだけ難易度が上昇した案件である。


 魔族。

 私が知る魔族と言うとディアードさんになるのだけれど、彼はあくまで個人の特性として『ああいった行動原理極端な助力』を持っているに過ぎない。ディアードさんの世界の魔族は、ほぼ人間と同じ生活をしていた。


 しかし、いま確認している資料の人物が生きていた世界では違っている。


 それは人と似た種族でありながら、決定的な相違点を持っていた。人間とは桁違いの魔力、それが大きな違いだ。そしてその副作用とも言えるのが魔力量の乏しい存在への無関心である。つまりは足元の石を蹴り飛ばす事と、人間の首を刎ね飛ばすのが同列という認識なのだ。


 そんな魔族の一人として生を受けた女性。彼女は実に平凡な魔族である。


 それ即ち、自分の行動を阻害するものは力で除く、という常識を持っているという事だ。魔王の類ではない平凡な魔族といっても、人間にとって非常に危険な存在である事には違いが無い。そもそも種族間で魔力量に天と地の差があるうえ、魔族は躊躇も温情も一切無しに、息をするような感覚で殺しに来るのだから。


 老若男女問わず、魔族と遭遇したならば死あるのみ。それは小型の天災といっても良い様な危険だ。山野に生息する動物も、魔境に潜む魔物も、そして冒険と称して己の領域に侵入してくる人間も。その全ては排除するべきものであり、実際に彼女はそうした。


 人間たちはそんな魔族を憎んでいたが、対する彼女たちは全く意に介さなかった。


 人間は、足下を行く蟻の行列を踏んだ事を悔いるか?

 人間は、道を遮るように成長した樹木の枝葉を落とすのに憐憫の情を抱くか?


 魔族にとっては人間などそんなもの。

 少しばかり目障りで鬱陶しい、そんな存在に過ぎないのだ。


 ではそんな彼女が目の前の人間を殺したとして、それは悪なのか。人生における大きな事象として、資料に纏めるべき事なのか。私の常識においては殺人は禁忌の一つだけども、血を吸いに来た蚊を叩き潰す事は単なる日常の出来事じゃないのか。


 世界によって常識は異なり、それゆえに資料に纏める内容も変わる。この女性が生きた世界、いや魔族という種族としての常識では人間殺しは日常の一幕に過ぎないのだ。


 というわけで、これは殊更に取り上げるべきものではない。たとえ私の常識からすると信じられない事だとしても、常識とは環境によって変動するものなのだから。そして偏りなく異世界の人生を纏めるという事は、自分の価値観を維持しながら視点を変えるという困難なわざなのである。


「脳が……痛ぇ~」


 両手の親指で両のこめかみをグッと押す。

 分かっている、そういうモノだとここ数日で理解はした。でもそれはそれとして、自分の中の常識とは異なる常識を仮インストールしながら考えるというのは疲れるのだ。もはや半分、哲学の分野に足突っ込んでるからね。


「うーん……」


 隣で仕事するエンティ先輩も眉間に皺を寄せながら唸っている。経験が長い先輩であったとしても、この苦しみは同じである様子だ。それはつまり、我が脳の痛みは未来永劫続くという事なのか。生前の仕事とは違う辛さがあるな、ここの仕事。


 社会人の仕事は学校のテストと違って、不動の正解が存在しないと生前には良く言われていた。昨日の客への対応が今日の訪問者に最良とは限らず、かといって必ず間違いともならない。ある種の勘所が重要となる事もありながら、手引書マニュアルに従う事も大事。


 転生裁判所での業務は、その振れ幅が何十倍にも増幅されている感じと言えばいいのかな。一個一個の案件の質量が大きく、それなのに定型と言えるものなど存在しない。当たり前だよね、人生に決められた型なんてモノは無いんだから。


「せんぱーい、魔族が人間の町を消し飛ばしたのって重要事項ですか~?」

「ん、ああ、ちょっと見せてみなさい」


 質問にちゃんと答えてくれる。良い先輩だよ、エンティ先輩は。受け取った資料をじいっと見る事で彼女はその世界について理解し、その異世界に存在する基準を読み取った。


「んー、中々難しいわね。同じ世界の資料が何処かにあったはずだけど……」


 記憶を遡りながら、エンティ先輩は席を立つ。背後の巨大な書棚に格納されている本の背表紙をなぞりながら、その世界に関する資料を探していく。


「あら、無いわね。たしかここら辺にあった様な気がするんだけど……」

「先輩、もしかしてどっかやっちゃいました?」

「私はちゃんと片付けたわよ!」

「えー、信用できないなぁ」

「ムッ、なんでよ」

「ご自分の机の上をご確認ください」

「……ぐッ」


 先輩の机の上には筆記用具と丸められたメモ用紙が散乱している。いかに忙しいとはいえ、尋常ではない程の散らかり具合だ。間違いなく、エンティ先輩のお家の中は整理整頓という言葉が存在しないレベルでぐっちゃぐちゃだろう。


 なので、片付けたという言葉の信憑性は一ミリも存在しないと言っていい。


「し、支局長っ」


 あ、逃げた。

 私の下から脱出した先輩はピエリス支局長の所へ小走りで向かい、お目当ての本について確認をしている。少しして、エンティ先輩は勝ち誇った顔で戻ってきた。


「先輩、顔が気持ち悪いっす」

「失礼な事を言うなッ!」


 いや、だってその通りだもの。

 ニマニマしながら近寄ってこられたら誰だってそう思うさ。


「で、どうだったんです?」

「よぉ~く聞きなさい?」

「そういうの良いからサッサと言って下さいよ、面倒臭い」

「なんでそんなに辛辣なのよ。普段は好き放題に私の事を弄るくせに、仕返しぐらいさせなさいよ」

「はいはい。じゃあ、どうぞ」


 スッと手を差し出して続きを話すように促してあげた。


「あの世界に関する本、別の部署に貸し出しているのよ!どーよ、私の事を片付け出来ないポンコツなんて言わせないわよ!」

「私、そんな事言ってましたっけ。自分でもそこそこ理解しているのでは……」

「そ、そんな事は無いわっ。私は偉大なる大悪魔なんだから!」


 そう言って先輩は腰に手を当てて胸を張る。

 片付けと大悪魔に何の関係があるのだろうか。もしかしたらエンティ先輩の世界では片付けパワーが悪魔の力の源だったのかもしれない。私の常識では計れない世界は文字通りに星の数ほどあるからね、そんな世界の変な種族も存在するだろう。


 今度、先輩の家に遊びに行かせて押しかけさせてもらおうかな。そこで答え合わせ出来るからね、ふっふっふ……。


 そんなこんなで私達は、西洋の城のような事務局を取り囲む防壁を渡った先に存在する別部署へと出発したのでした。

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