第10話 研修開始、いざっ

 誰の席でもない事で物置となっていた机。積み上がった書類を適当に散らして、私はそこに座った。うむ、ここが今後の私の居城である。


 恩寵選択の時にパイプ椅子に座らされたからそういった机と椅子を想像してたけど、そうじゃ無かった。深い焦げ茶色の木製で社長室にありそうな机で、椅子は赤の座面と背もたれを持つ机と同色の木製だ。


 経費削減とはいったい。

 あ、そうか、元々使われていた物の再利用だ。この机、天板部分の端が削れて白くなってるし、椅子はちょっとギコギコいう。引き出しはどうやら少し建付けが悪いみたいで、引く時も押す時も微妙に抵抗があるぞ。


「はぁ……」


 我が城を確認する私の隣に立っている先輩は溜め息を吐いている。自分で補充人員を求めておきながら、投入された人材に文句を言う我儘なエンティちゃんだ。どんな人物でもキッチリ教育、それが先輩社員の模範というものでしょーがっ。


 ディケ達は私から離れて他の支局員と話をしている。どうやら折角足を運んだのだから、ついでに色々と確認をしているようだ。絶対権力者である裁判長相手なのに、対応しているお姉さまは随分と余裕のある対応をしている。


 黒のリブニット縦筋セーターをグオッと押し返す、とんでもなくデカいメロンが二つ。あれは絶対に百を超えているな、めっちゃくちゃ肩凝りそう。動く度に揺れてる、げに恐ろしき。


 下はボルドー暗い赤色のトレンチスカートで金色稲穂が刺繍されている、実にお姉さんなスタイルだ。靴は黒のヒールである。


 瞳は紫、目じり下がり気味のタレ目。ずーっとニコニコしている。ウェーブがかった金の髪を首の後ろ辺りで纏めていて、それを肩から前に流している。身長百三十センチメートルのディケより四十は高い、並んで立ってると最早親子だ。


 これは……おっとり系お姉さんという奴だ、実在したのか!頬に手を当てて、あらあら、と言ってくれたならば皆が満足するはず。言ってくれ、頼む!


「あらあら、ディケ様。御髪おぐしが乱れていますよ」

「む、そうか?」

「いよぉっし!」

「ひぃっ!?」


 勝利、勝利、勝利!!!

 生前世界の諸氏よ、我らは勝利した。繰り返す、我らは勝ったのだ。実在したぞ、おっとりあらあら系お姉さんは、あの世にて実在が確認されたぞ。安心せよ、安心して死ぬが良い……あ、ちゃんと天寿は全うしろよ?途中下車した私とのお約束だ。


「ん?エンティ先輩、何を震えて縮こまってるんです?」

「こわい、この人こわいよぉ……」


 んん、何やら怖がってるぞ?


「お前、大概にしろ。研修どころではなくなるだろうが」

「え、私なにかしちゃいました?」


 ディケが溜め息を吐く。失礼なちびっ子だなぁぐあッ!机を前にして座ってる状態なのに脛にッ、木槌がッ!どこにでも自在に出せるのか、コレ!


「ディアード、手伝ってやれ。最早どうにもならん」

「はは、畏まりました」


 ディケの言葉に従って、ディアードさんが私の隣へやって来た。彼に促されてエンティ先輩が何かしらの書類束を持ってきて、私の前へと置く。


「これは?」

「既に判決が下され、転生を終えている方に関する資料です。こちらを利用して、我々が作る資料というものを学んでいただこうかな、と」

「なるほど、りょーかいです」


 昔の事例で教育、実に効率的。実際の仕事だと明確な正解はあんまりないけど、既に終わった過去事例ならその決着が一応の正解だ。新人教育の最初に使うなら、現在進行形よりもこっちの方が良い。つまりは練習という奴である。


 糸で閉じられた資料は七十八枚の紙で作られている。どうやら一年イコール一枚でまとめられているようだ、実に分かりやすい。紙はつるっとしたコピー用紙じゃなくてちょっとゴワついてるな、読んだり書いたりするのに苦労するほどじゃなさそうだけど。


 えーっと、なになに?

 お、これは現代日本の事例だ。


 ふむふむ。とある県のとある市、そこで生まれた男性の一生、か。


 七歳から記録が始まっている。


「……あれ?一歳から六歳はどこに?エンティ先輩、紛失しました?」

「するわけ無いでしょ!」


 む、違ったか。持ってきたのが彼女だから、絶対に閉じる時にどっかやったと思ったのに。


よわい七つまでは神の御子おこ、七つ前は神のうち。色々な世界で様々な種がある故に一定ではないが、その間に発生した事象については神の問題としている。乳飲み子が母を噛んだとして、それを罪とは言えぬだろう」


 いつの間にか向かいの席に座ったディケが説明してくれた。

 ほほう、むかーし昔に何処かで聞いた事が有る様な無い様な話ですなぁ。日本で七歳というと丁度小学生に上がるくらい。


 七五三の最後の節目、千歳飴ちとせあめを貰える最後のチャンス。紅白の長~い飴、鷲掴みにしてベロンベロン舐めてたような記憶が。その後で侍ソードにして柱ブッ叩いて木っ端微塵、掃除する羽目になった親にしこたま怒られた思い出……。


 と、それはそれとして、今は目の前の研修に向き合おう。


 書類の中の、既に次なる人生を歩んでいる人物。彼は順調に小学校へと入学した。緊張しつつも同級生たちと学び、遊び、そして。


 喧嘩した。


 小学校高学年、そこから変化が生じる。喧嘩相手に対して攻撃的な行動を起こすようになったのだ。相手が大人しめの男子だった事もあり、小突く程度から次第にエスカレートし始める。


 中学校へ入学。運動部に入って日々の練習に真摯に取り組み、同級生や上級生にも慕われる。二年に上がると後輩が出来、そんな彼らの面倒も良くみて先生からの評価も上々だ。


 そんなある日、一つの大きな出来事が発生する。


 彼が校舎屋上から飛び降りたのだ。


 彼とは書類の中の男性ではない、この人物は七十八足す七で八十五歳まで生きている。命を自ら断ったのは小学校の頃に彼が喧嘩した相手、中学二年に至るまで裏でいじめ続けた男子だ。


 これは彼にとって途轍もなく衝撃的な出来事となった。


 学校はいじめは確認できなかった、と発表する。それによって実行者だった彼らが裁かれる事は無く、一年もすれば同級生の会話の端にも落命した彼の事は出なくなった。


 それでもこの書類の中の彼は自分の行いを悔い、その後の行動を大きく変える。


 高校入学。勉強、部活、友人たちとの語らい。全てにおいて順調な中、彼は教師を志す。自分がしてしまったいじめ、それによる相手の死。己が教壇に立ち、同じ事が起きないようにする。それを心に決めたのだ。


 大学は教育学部へ。教員免許を取り、彼は母校へと戻ってきた。


「んー……」


 これで三分の一、人の一生は長く複雑だ。


 彼は長い教師生活の中で多くの生徒を救う事になる。形を変えて行われる陰湿ないじめ問題を解決するための運動を起こし、日本中の教育現場を変えていった。結果として彼は多くの人々を救い、最終的には勲章を受けたのだ。


「確認は終わりましたか?」

「おっけーです、うん、大丈夫」


 ふぅ、大変だった。主だったところだけをメモしたけど、これでも五枚以上だよ。


「では、この人物はどういった判決を受けたか分かりますか?」

「ふふん、どうせ分からないでしょうねっ」


 エンティちゃん、煽ってくるねぇ。


「うーん、そうですねー。まあ負の転生になったのは間違いないとしてー」

「えっ」


 おや、エンティちゃんが驚いたぞ?


「程度としては、そうですねー…………善行の五割増くらい悪行が入る感じ?」

「ふむ」


 腕を組んで私の解答を聞いていた向かいの席のディケが、目を瞑って一つ頷いた。


「どうでしょ?」

「お見事、判決の通りの解答です」

「おお、正解した~」


 ディアードさんは感心した様子。

 ふっふっふ~、我が力を見たか!特にエンティちゃん!


「一つ聞く。なぜ善ではなく悪と判断した」

「いやだって、一人殺しておいて自分だけ良い転生しようなんて虫が良すぎるでしょ。私が受けた内容から『他の人間に何をしたか』がポイント判断の基準だと考えると、どれだけ善行ポイント積んでも『他人を殺した』は上限一杯レベルの悪行でしょーが」


 な~にを当然な事を。

 善行も悪行も、どちらも行為の一つ一つで評価してた。つまりはどれだけ罪を自覚しようが、死なせた相手の家族に許されようが、発生した事象はポイントとして加算されるのだ。後に良い行いを沢山したとしてもソレはソレ、コレはコレの論理だね。


「やはりお前には補佐官の適性がある」

「やった、ホメられた~」

「それは、どうだろうな?」


 フッとディケが鼻で笑う。


 素直にホメろ、この。


「さて、では次は私から出題しよう」


 私の前にバサッと別の紙束が飛んできた。手に持つ事なく投げられるとは、魔法みたいだ。木槌生成できる時点で、この位の事が出来るのは分かってたから驚かないよ。


「お手並み拝見といこうではないか」

「私ゃ、新人なんですが。お手並みも何も無いでしょーよ」


 ふう、全く横暴な上司だ。

 お望みに応えられるかは知らんけど、考えるだけ考えてみますよーっと。


 でも今度の紙束は十枚くらい、連戦だから手加減してくれたのか?そんなに慈悲深いチビッ子じゃなかろう、ディケは。という事は、この内容が面倒臭いって事だ。


 ペラリとページを捲る。


 と。


「これは……」


 そこに書かれていたのは。


 もう一方の人生だった。

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