第4話 皇國の四方を守るべし
「何と壮観だろうか。第一艦橋の景色は絶景なり、富士が良く見えている」
50万トン戦艦が戦列と加わると同時に正式な手続を経て司令官が着任した。本艦は単艦で数個艦隊の戦力と言われた都合より専属の司令官を設置しなければならない。司令官が50万トン戦艦に初めて乗り込んだ際の感動は人生最大に到達した。
「第二艦橋も負けず劣らずです。第二艦長が迎えの芸を考えていると」
「そんな暇があれば訓練でもすればよかろう。まぁ、今日だけは許そうか」
「未だに第一艦橋と第二艦橋、第一艦長と第二艦長に慣れません。指揮の優先権は第一艦長です。しかし、混戦時は二つに分かれることもあり得る」
「慣れるしかあるまい」
50万トンの圧倒的な巨体を制御する指揮系統は大きく分けて二つも存在した。普通の軍艦は巨艦だろうと一つの艦橋に一つの指揮系統である。本艦は一つで制御することに難が残された。やむなく、第一艦橋と第二艦橋を設けている。主に第一艦橋で全体を制御するが、その時の状況に応じて臨機応変を採り、第一艦橋は艦前部を担当して、第二艦橋は艦後部を担当した。
それに伴い艦長も2名を置かざるを得ない。通常時は第一艦橋から第一艦長が優先権を有した。第二艦橋が分離される際は第二艦長が艦後部の指揮を執る。第一艦長は艦前部の指揮を執る。さらに、防空長や応急修理長などの班長が存在した。あまりの巨体を効果的に動かすために徹底的な分担を強いている。もちろん、どれか一つの長が失われても即座に他の長へ権利が譲渡される手筈を組んだ。
これに司令官が1名なことはなかなか酷な話である。
「あまりの巨体が動く様子に度肝を抜かされた。機関を改めて知りたい」
「本艦は艦本式蒸気タービン機関と艦本式ディーゼル機関の併用になります。蒸気タービン機関の高速航行とディーゼル機関の低燃費を欲張りました。片方が故障してももう片方で航行可能な点は絶大です。50万トン戦艦は動けさえすれば戦えますから」
「大鯨と日進は良い働きをした」
「鮫島司令に献身と身を捧げています」
50万トン戦艦の規格外の巨体を見て航行可能かどうかを疑う声は未だにある。最初期案は最速40ノットで航行する計画も修正を繰り返した。最終的に空母護衛の最低限である最速30ノットに落ち着いたが、排水量が50万トン超えの巨体を動かす機関が見つからない。従来の艦本式蒸気タービンは高速航行に向いているが、燃費は比較的に悪いため、長期間の作戦に対応できない点がネックと縛られた。
ドイツのドイッチュラント級装甲艦を参考にディーゼル機関に注目する。ディーゼル機関は何よりも燃費が良いのだ。ドイッチュラント級はポケット戦艦として大西洋における通商破壊作戦に投入される。双方がディーゼル機関を採用した経緯は乖離したが、日本海軍は潜水艦や魚雷艇など多方面に採用を目指し、地道にコツコツと研究を進めた。実験艦を兼ねた水上機母艦の大鯨と日進で試験を繰り返して粗を削り取る。そして、遂に満足な高出力と低燃費を両立した艦本式特ディーゼル機関を開発したが、ディーゼル機関特有の振動問題から高速航行に向かない点を鑑み、艦本式蒸気タービン機関との併用を採用した。艦本式蒸気タービン機関と艦本式ディーゼル機関の合わせ技で最速30ノットと圧倒的な航続距離を確保している。ディーゼル機関のおかげ以外に莫大な量の燃料を積んでいることも働いた。日本本土からハワイまで往復可能と言われる。
「鮫島中将をハワイまで無事に送り届けることが仕事です」
「私以外に適任者はいただろうに」
「ご冗談を仰ります。鮫島中将の御懐の深さに敬服が追いつきません」
「砲術と航空を渡り歩いたことは布石だったか。今更気づかされている」
50万トン戦艦が数個艦隊に匹敵する故の司令官は鮫島具重中将だ。彼は根っからの砲術屋と知られる。海軍砲術学校を卒業した後も砲術畑を歩み続けてきたが、1937年に少将へ昇進すると、一転して航空畑に異動を命じられた。1941年の中将昇進まで航空畑を数年間を歩んで「砲術の権威」と「航空の新参」を兼任する。
50万トン戦艦の司令官就任が言い渡された。
50万トン戦艦という切り札に地味な人物を充てることに対する異論は根強い。超戦艦である以上は砲術屋を充てるべきと言われたが、鮫島中将も砲術の権威と知られているため、結局はまったく的外れで荒唐無稽と嘲笑に付した。50万トン戦艦は一定の航空戦力を有する。数年間と雖も航空畑を齧った経歴がある。鮫島中将が適任者と言わずしてどうするのだ。
その本音は彼の人格の人間力に依拠する。酒癖の悪い部下に殴られても軍法会議に突き出さないで他艦への異動処分は懐の深さを表現した。普段から温厚と分け隔てなく接する。50万トン戦艦を動かす約1万2000名を見事に統率し纏め上げた。もはや、50万トン戦艦は一つの地方公共団体なのである。
「本艦は未だ完成していない。それ故に決戦に間に合わない。悔やまれるばかりだ」
「ハワイを奇襲する作戦は立ち消えたと聞きましたぞ」
「軽率に口に出すでない」
これだけの規格外はサグラダファミリア同様に未完成とした。なぜなら、建造中も修正に修正が相次いでいる。未完成でも出撃可能に至るまでは半年を要した。対米決戦の開幕に間に合わないからと座して待つことは許されない。乗組員の訓練は月月火水木金金を徹底して行われた。特に応急修理のダメージコントロールを重視したことは興味深い。本艦は巨体で鈍重が足を引っ張りがちだ。ここは思い切って敵弾回避の一切を放棄した代わり、敵軍を長期間の消耗戦に引きずり込むべく、どんなに殴られても沈まない優秀なダメコンによる不沈艦を目指そう。
「陸軍が中華から退いてくれたおかげで太平洋に集中できる。政府も何だかんだよくやった。本艦を信じて時間稼ぎに奔走したことに謝意を示したい。日米決戦は絶対に避けられぬ」
「あの陸軍も大艦巨砲主義の虜でした。まぁ、うまいこと調整していますよ」
「草鹿(任一)のおかげで今村さんを説得できた。それから順調に進んでいった。陸軍さんも大きな戦艦が好みである。大きければ大きいほど良いという考えはあながち間違っていない」
「巨大戦艦が八八艦隊計画よりも安価ということに震えます」
50万トン戦艦の建造に海軍だけでなく陸軍の予算も圧迫された。犬猿の仲を加速させる。陸軍が頑なに譲らなかった中華と大陸への進出も閉ざされた。日本が分断されてもおかしくないところ、陸軍は以外にも海軍の壮大な計画に同調を示し、男の浪漫を追い求めている。
日本の国家予算を盛大に圧迫するはずが金田中将の慧眼が光った。彼の持論は正鵠を射ている。当初の八八艦隊計画に係る費用に比べて50万トン戦艦は安価に収まった。海軍軍縮条約に呑まれた廃艦や改造に生じた既存品の流用や修正に次ぐ修正がコスト削減に貢献する。
「失礼します! 式典も何も開けなくては祝いのしようがありません!」
「菱餅か。春に相応しい品であろう」
「はい! 丹精込めて手作りしました」
情報戦に則した機密保持も祝いまで封じられては堪らない。約1万2000名の将兵の胃袋を支える調理の長は三食菱餅を拵えた。春の季節にピッタリの祝いであり、各々の好きなように千切っては口へ放り投げ、のどに詰まらせないよう細心の注意を払う。我らが死するべきは戦場なのだから内地で餅をのどに詰まらせては一生の不覚と恥じた。
「美味い。間宮羊羹に勝るとも劣らない」
「そりゃそうですわ。間宮の奴は私の好敵手です。給糧艦以上の豪勢な設備を頂いた以上は腕に縒りを掛けなければ」
「噂によると、米海軍は全ての軍艦にアイスクリーム製造機を備えている。我々が甘味で負けてはな」
「お任せください。新しい料理も考案中なので」
まだまだ50万トン戦艦の全貌は見えてこないが、これ以上の掘り下げは大変なため、ミッドウェーの戦いに戻るとしよう。誰かがミッドウェー海戦が日米決戦の転換点と言った。
それでは戦局はどちらに傾くのだろうか。
続く
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