第弐拾陸話:月空晴らして朝日は昇る

「よく朧を救ってくれたな、感謝するぞ」


 暗闇の中で月詠様の声を聞く。

 出会ったときとは違う穏やかな声音で、彼女は俺を褒めてくれる。

 どことも分からない空間の中で、俺は目を開ければ――そこは月面のような場所だった。


「夜見、よければ妾の話を聞いてくれぬか?」


 そんな場所で椅子に座りながらもされた彼女の問いかけに俺は首を縦に振り、そのまま話を聞くことにする。


「妾はな、ずっと後悔していたのだ。朧を神として縛りこの地に幽閉したこと、苦しむ彼奴をただ見ているだけしか出来なかったこと――そして、それを仕方ないと割り切っていたこと全てを」


 そう言って悲しげに笑いながらも月詠様は言葉を続けていく。

 時が止まったような空間で彼女の後悔を聞き、俺は初めて月詠様の内面を知る。


「分霊である妾には力が無く、この数百年間見ているだけだった。本当ならもっと早く彼女に会い謝罪を伝えないといけなかったのにだ――それほどまでに朧に会うのが怖かったから、分霊として日に日に弱っていく姿を見せるのが嫌で、彼奴の中では強い妾のままでいたかったから」


「でも、朧様は気にしてなかったと思うぞ」


「汝には朧の真意は分からぬだろう。今も妾の事を恨んでいるかもしれぬのだぞ?」


「そんな訳ないだろ――朧様だぞ?」


「そうかもな、しかし……妾にはもうそれを確かめる時間が無いのだ。分霊である妾の役目は朧を救うこと、それが成された今は妾には何もなく次第に消えるだろう」


 数百年間は溜めていただろうその後悔。

 それは俺なんかでは図れない大事な想いだ。だけどそれは、朧様の事を見れてなくてこれは逃避と変わらない。怖いのも嫌なのも分かるけど、それじゃあ駄目だ。


 ――記憶で朧様の事を知っただけの俺が、言えることじゃないけれど、これだけは言わないといけないと思った。


「よく聞け月詠様、朧様はな――すっごく優しいんだよ、誰よりも貴方のためを思って穢れを喰らい、神としての役目も果たして、どれだけ自分が穢れようとも民を守るために生き続けたんだ。あのヒトの記憶を見た程度だけどさ、それは分かる」


 そんなあの神が貴方を恨むわけが無いと、そもそもの後悔は自分が目の前の神を傷つけたというものだから。

 これはどっちが悪いという話ではない――互いが互いを思って、齟齬が起こっているだけの話……それならば。

 

「二人とも相手が大好きなんだからさ、腹割って話そうぜ? 積もる話もあるんだろ? 友達なんだからさ、時間が無いからって逃げるなよ、朧様が悲しむぞ?」


「しかし――もうそんな力は、妾には残ってないぞ」


 あーもう、まじでうじうじしてんなこの神様は。

 あとで神楽に説教されるだろうが、月詠様のためならばと許してくれるはずだ。だから俺は今からの選択に後悔はしない。


「――俺が霊力を分ければ良いだろ? それならきっとまた話せるって」


「おい夜見、何するつもりだ?」


「――命がけであんたも助けるだけだ。手を取れよ、一緒に帰ろうぜ月詠様!」


 そう言って、俺は禁術を使って生命力を霊力に変換した。

 きっと月詠様は俺が何をしたか理解したのだろう、俺が手を差し伸べたが戸惑い受け取ることを拒否しているみたいだ。


「汝はどうしてそこまで……」


「助けたいって思ったからだ――決めたんだよ絶対に助けるって」


「馬鹿者が――なぁ、妾はまた朧に会ってよいのか?」


「そりゃ勿論、誰も責めないって」


「分霊だぞ? ――影法師のようなもので、本当の月詠ではないだぞ?」


「それがどうした? 少なくとも数百年の間、朧様を見続けたのは貴方だろ?」


「……妾は――まだ朧の友でいていいのか?」


「そんなの朧様に聞けって――だから」


 そう言って再び手を差し伸べる。

 ……そしてその手が取られたとき、俺の霊力が彼女に分け与えられて月詠様の存在感が増して――気づけば俺達は鏡の外、つまりは朧様の社に戻っていた。


「――夜見!」


 鏡の外に出た瞬間、俺は誰かに抱きしめられる。

 その声はここ数日全く聞いてなかった大切な神のもので、顔を見ればそこには神楽がいた。その顔には涙が浮かんでおり、泣き疲れたのか少し目が腫れている。


「は、神楽!? なんでここに!?」


「夜見が遅いから、龍水の眷属に送って貰った。来たらこんな事になってるし、五日も出てこないし本当に心配したんだよ?」


「そんなに経ってたのか?」


「うん、朧が元に戻ってから三日ぐらい経っても出てこなかったし、誰が乗り込むかって話になってた」


 ……体感一日もいなかったのに、そんなに時間が経っていたのは驚きだ。

 真神と朧様の様子を見るにかなり心配をかけたようだし、罪悪感が凄い。神楽は見るからに怒っている、謝ることが沢山だ……でもその前に確かめるとがある。


「月詠様は!?」


「ッ朧、離せ汝の胸に沈む――窒息するから離せ!」


「――わたくしの中にいたから分かりますが、貴方は消えるつもりでしたよね? 説教でございます」


「分かった受けるから、だから離せそろそろ息――もがぁ」


 ……ちゃんと月詠様が出てくれたか、心配になった声のする方を見ればそこでは朧様の胸に埋もれて窒息死しかけてる月神の姿があった。


「……無事みたいだな」


「どこが無事に見えるのだ!?」


「でも、喋れてるし……」


「馬鹿かなのか夜見、朧は力も強いのだぞ!? さっきから妾の体が悲鳴を上げて――まずっ」


「あ、月詠様!? 意識を失わないでくださいませ! 月詠様、月詠様!?」


 そんな光景を見て……俺は自然と微笑んだ。

 よかったと俺は思いながら。皆が揃って、こうやって集まれたことが嬉しくて……何よりこうやって神楽にまた会えて。


 二柱の神を見て呆れながらも笑う神楽と微笑む俺を不思議そうに見る真神。

 そんな少し混沌とした空間で、気が抜けた俺はゆっくりとその場に倒れて拳を強く握った――社には朝の日差しが満ちていて、それがどうしようもなく嬉しくて。


「依頼――完了だな」

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