第壱拾参話:馴染む黒狼
卯の刻……前世で言うところの朝六時に目を覚まし、伸びをする。
今日も早く起きたので日課をこなそうと……思ったところで思考が止まった。
布団の中に何かがいるのだ。それは俺の腕をがっちりと掴んで離そうとせず、すーすーと寝息を立てている。
「……起きろ真神ー」
「ッうぅぅ――まだはやいよぉ……あるじぃ」
「――また神楽に怒られるぞ」
「それはやだ……おきる」
「よし偉いぞ……おはよう、真神」
大体彼女が万屋に来て一ヶ月が経過している。
布団に侵入されるのも最早慣れたもので、大体四日に一回ぐらいのペースでこんなやりとりをしている。
「うんおはよぉ……ねえ、あるじ髪といて」
「はいはい。動くなよ」
そうして、侵入された日には必ず行われる櫛による髪
そして寝間着から彼女が着替えるまでの間に台所に向かった俺は、当番なので今日の朝食を作ってから神楽に会いに別室へと向かった。
「おはよう神楽、今日もよろしく」
「うん、おはよう夜見。よろしくね?」
部屋に行けば、そこでは自分の長い髪を整えている半裸の神楽がいた。
この夏の季節、熱いのが苦手なことを知っているから驚きはしないが……未だに慣れない彼女の格好に目をそらしながらも鼓動が速くなる。
それに対して不思議そうに首をかしげる俺の神様。恥ずかしいからという理由で指摘するのも、からかわれるのが目に見えてるので何も言えないという四面楚歌に俺は襲われている。
「ご飯出来てるぞ――今日は卵焼きもある」
「嬉しい……甘めのだよね」
「そうだな、神楽と真神のは甘めの用意したぞ」
「……ありがとう。でも……その前に動かないで」
立ち上がった彼女が俺へと近づいてくる。
……また少し速くなる鼓動を感じながらも、言われたとおりに待っていれば彼女がぎゅっと俺に抱きついてきた。
「……神楽様、何を?」
「上書き……今日も真神が潜ったでしょ」
本当になんでこんなに俺の神様は可愛いのだろう。
……いやさ、まじでやばい。俺の顔とか絶対赤くなってるだろうし、鼓動とかまじで速くなってる。
推しが今日もまじ可愛い……やばい、という遺言を残しそうになりながらも、俺はなんとか平常心を保ち彼女から離れた。
離れれば名残惜しそうにする彼女に罪悪感を感じるも、俺の方が限界なのでと言い訳をし、顔を逸らせば神楽がくすくすと笑っていた。
「酷いぞ、なんで笑うんだよ」
「ふふ、夜見は夜見だなぁって」
「……真神待たせてるし行こうぜ」
「はーい」
そして服をしっかりと着た彼女と共に真神が待っているだろう食卓に向かって、俺達の一日が始まった。
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信濃の国の信濃街。
そこは首都である戸隠から続き広がるこの国の中でも二番目に活気のある街だ。
そんな街の中心には朝早くだというのに行商の露店や屋台などが並んでいる……日が昇りきった真昼九つ……つまりは午の刻になる頃には、前世の市場にも引けを取らない喧騒がこの場所を満たすだろう。
「お、夜見の坊主に真神ちゃんじゃねぇか! こっちまで来るのは珍しいな!」
買い出しのためにここに来て色々な物を見ていると、肉屋の店主が俺達を見てそう言った。相変わらず気の良い元気な人だなと思いながらも、そんな彼に真神が近づいて……。
「肉屋、串焼き四本ちょうだい」
「お、串焼きかちょうど焼きたてだぜ!」
「うん、これお金」
「真神、流石に俺が払うぞ?」
「やだ主とのでぇとだし」
「……ただの買い出しだって」
「はは、受け取ってやれよ夜見。嬢ちゃんが頑張ったんだぞ?」
確かにそれはそうだけどなんか悪い気がするし。
でも、食べないのと言いたげに首をかしげる真神を見て受け取らないわけにも行かなくなった俺は彼女にお礼を伝えながらも串焼きを食べて、美味しいぞと言って真神を撫でた。
「ありがと肉屋!」
「おう! またよってくれよな」
真神が来て一ヶ月、彼女はこの信濃の国に馴染み今ではかなりに皆に愛されている。老若男女様々な人に人懐っこい彼女は親しまれていて、孤独も少しずつ癒やされているようにも感じる。
「えっと、今日の用事は覚えてるか真神?」
「うん、食べ物を買って――あと、神楽様が行くお茶会ようのお菓子?」
「合ってるぞ……日持ちを考えると、お菓子は後の方が良いだろうから、食材から買い込むか」
「うん! でぇと、あるじとでぇと」
今更だけど、どこでその言葉を覚えてきたんだろうか真神は?
彼女の交流関係を考えると、どこで教えられても仕方ないが……こうも連呼されると恥ずかしい物があるし教えた奴にあったらちょっと説教したい。
「よし、じゃあ出発だ」
「おー!」
そんなこんなで買い出しを続けて、お菓子を買いに行ったのだが……。
「あれ、いつもの十倍は高くないか?」
「悪いね夜見の旦那、今各地で
「まじか……どうしよう」
「一番安くてこれになるけど、どうだい?」
神楽が行くお茶会というのは戸隠に住んでいる俺等の住居を提供してくれた者とのものだ。あのヒトが定期的に神楽と話すために開いているものだが、参加の条件として高級菓子を要求してくる。
その彼女の好みは把握しているが、買えそうなものに好みのものが無いのは不味い……機嫌を悪くするというのはないが、世話になっている以上はちゃんとしたものを用意した方が良いし……。
「花林糖饅頭と……
「……もしかして九頭龍様への献上品かい?」
今いる菓子屋は俺達が今日会いに行くヒトが贔屓にしている場所ということもあってか、買う物を見て彼女は悟ったようだ。
それにこの人は俺達とそのヒトの関係も知っているし、それで気づいたんだろう。
「そう……ですね。というか陽糖黍が品薄って珍しいですよね、何かあったんですか?」
陽糖黍というのはようは高級砂糖黍だ。
日が出ているときしか収穫できないという特異なもので、かなり質の良い砂糖が取れるこの世界特有のもの。
栽培されている場所も限られてるらしいがその需要からかなりの量が収穫されている筈なのに。
「それがね……なんでも陽糖黍を育ててる村の朝が奪われたらしいんだ」
「え……そんなことあるんですか?」
「眉唾だとは思うだけどねぇ、実際に収穫されてないし――菓子屋としては死活問題なわけさ」
「大変ですね」
「まぁね。とりあえず、九頭龍様によろしく頼むよ――あ、これ真神の嬢ちゃんに」
「金平糖?」
「少ないけどね、いつものお礼だよ」
「……ありがと……甘い、美味しい」
「ふふ、よかったそれが一番嬉しい感想だよ」
皆に受け入れられてよかったな……とそう思いながらも、俺は受け取った荷物を大切にしまい、借家へと帰り……俺等の恩人、九頭龍様とのお茶会の準備を始めた。
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