第壱拾弐話:修羅場ー!

 まだ俺が不知火の姓を名乗れていた頃のこと。


『いいかい夜見様、漢が土下座する時は大切な者を護る時と本気でキレた女性に謝罪する時ですぜ』

 

 そんな事を言った使用人が自分の嫁である女中に笑顔で土下座していたことを覚えてる。その使用人の広く逞しく感じていた背中が、この時だけは小さく見えた。


『違うんだ朱梨しゅり! ――俺は、皆の誘いを断れなかっただけで!』


 と……何度目になるか分からない事を言いながら、必死に頭を地に打ち付けている自らの使用人の姿を見て俺はこう思った――土下座の練習だけはしておこうと。

  

 長年仕えてきてくれたその使用人曰く、不知火の男は昔から女性に勝てないらしい。それを口酸っぱく言ってくれたあの人に報いるためにも、ずっと詰められてた使用人のためにも、誠意を込めた謝罪である土下座だけは覚えようと決めたことは未だ記憶に残ってる。


 勿論だが、女性を怒らせるつもりなど毛頭ないが、それでも準備しておくに越したことはないだろう。備えあればなんとやら…………そして、俺のその努力は。


 いま、ここで報われる!


「説明して夜見、私は今冷静さを欠いている」


「――許して、まじで俺悪くないんだよ。俺も分かってないんだ神楽」


「私が欲しいのは土下座でも謝罪の言葉でもない…………ただ説明が欲しいだけ――ねぇ、なんでその子がいるの?」


 あ、やっぱ駄目でした……はい。


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──────


 とりあえず頭を上げることを許された俺は、固まりながらも椅子に座った。

 すると――今まで俺の土下座を傍観していた真神が俺の膝にちょこんと座る――長い髪が鼻をくすぐりそれと同時に良い香りがする。


「……真神、乗らないでくれ」


「でも……ここがいい」


「へぇ随分と懐かれてるんだね」


「俺もなんでか分かってないんだよ……」


「あるじ……げんき、だして?」


 元凶は……真神なんだけどなぁ。

 俺の膝に座りながらも周りを見て目新しそうに目を輝かせる。

 そして耳をぴこぴこ動かしながらも、尻尾を動かしていてその姿は純粋に楽しそうで可愛くはある。


「本当に今日会ったのが二回目なの?」


「その……はずなんだけど、なんでこんなに懐かれているんだろう?」


「だってあるじは、助けてくれたから」


 そう言われても、俺は解呪しただけだけどなぁ。

 少し大変だったけど、そもそもあれは神楽に頼まれたからであって……俺が自主的にやったことではない。


「頼んだのは神楽だから、主はそっちじゃないか?」


「知らない。それに覚えてるけど助けたのはあるじ」


「確かに、そうだけど……でも、なんかなぁ。俺ってそこまで凄いわけじゃないし」


「……夜見、卑下しない。それで――聞きたいんだけどね、真神はどうしてあぁなってたの?」


 俺の悪い癖を指摘した神楽は、そのまま流れで真神に聞いた。

 それに関しては俺も気になってた事だしと耳を傾ければ――彼女は明らかにしゅんとして、だけどゆっくりと俺達に何があったのかを話してくれた。


 自分はかつて高天原を守護する神使だったこと。

 ……そして、とある妖怪に負けて瘴気に侵されて高天原を追放されたこと。

 それ故に行ってしまった殺戮に狂気に蝕まれる苦痛、喋っている時にどんどん震えていき、その時の後悔などがひしひしと伝わる。

 

「それで気づけばあの森にいて――ずっと誰かを襲わないようにしてたんだけど、人がいて……あるじに助けられて、暖かかったんだ」


「もう……いいぞ」


 俺はそう言って、震える彼女の手を握った。

 ……ただ単純に震える真神を見るのが嫌で、変に彼女の境遇と自分を重ねてしまって――その苦痛を想像して、俺なんかと比べものにならない孤独に同情した。

 そして何より、俺の大事な神様も同じく孤独だった彼女の事を思っているようで。


「なんで……握るの?」


「俺がそうしたいからだ」


「そう、なんだ……ふふ、あるじの手って暖かいね。ほんとあったかい」 


 俺の暖かさを感じるためか、頭を擦り寄せて薄く笑う。

 そんな彼女を思うと……俺の答えは自ずと決まってくるもので。


「真神は俺なんかといたいのか?」


「うん……もう一人は嫌だから」


「そっか、ならいいぞ――神楽も良いか?」


「うん、いいよ――私そこまで鬼じゃないし、気持ちは分かる」

 

 そうと決まれば、手続きとかしないとな。

 同居人が増えるわけだし、近所周りに挨拶を行かないと……それに、このままの服でいさせるわけにはいかないから。


「……よし、真神。これからよろしくな」


「っ……ん……いい、の?」


 信じられないのかそう言って少し涙ぐんで確認をしてくる真神。

 そんな彼女をまた撫でて、俺は彼女と目を合わせる。


「あぁ、一緒に三人で住もう。万屋夜見はこれから三人体制だ。頑張ろうぜ、真神」


「う――ん、がんばる。よろしくだよあるじ!」


「真神ずっと言いたかったけど……夜見を主って言うの止めて」


「やだ神楽様の言葉でも――絶対や」


「えっと……喧嘩しないでくれると助かるんだが」


「でも、夜見が困ってるよ」


 確かに年上っぽい彼女に主呼びされるのは色々誤解を生みそうだし、困っているのはそうなんだが……そういえば、なんで彼女は主と俺を呼ぶのだろうか?


「……でもやだ。あるじはあるじだから」


「……なぁ、真神そう呼ぶ理由はあるのか?」


「わかんない、でも多分……ほんのう?」


 どういうこと?

 ……本能から主にするって何だ? とそう思いながらも彼女の続きの言葉を待っていれば……「あ、でも」と彼女は言って。

 俺の服をぎゅっと掴み、そのまま息を荒くしてトロンという目になった。


 ……なんか様子おかしくないか?

 急に変わった彼女を見て不安になっていく俺を余所に……あろうことか、真神はこういう。


「あるじにね、夜見にね……縛られて、上から躾けられて――優しくされたら、体が熱くなったんだ――こんなの初めてで、あるじって決めた」


 それを語るその目は、明らかに肉食獣そのもので――俺は、本能から恐怖を覚えた。


「――真神、夜見と同じ部屋禁止」


「なんで?」 


 あれ、これもしかしなくても俺……やばい?

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